ウクライナの教会|正教編1|ウクライナ正教の教派概要|スラヴの聖地を考える
以前日本で、ウクライナ正教会の聖職者が逮捕されたというニュースが放送されました。これをたまたま見た際に、この報道ではどの教派かわからず、あたかもウクライナ正教会は1つの組織のような印象を受けました。そこで今回はこの3つの教派について紹介します。
〇ウクライナ正教会の3教派について
3つの教派とは以下の通りです。実際の表記を見れば、あれ!違うぞ!とわかりやすいと思います。
・ウクライナ正教会(Православна Церква України)
首座教会ーミハイル修道院 首座ーエピファニー府主教
・ウクライナ正教会キエフ総主教座(Українська Православна Церква Київський Патріархат)
首座教会ーボロディミル聖堂 首座ーフィラレート総主教
・ウクライナ正教会(Українська православна церква、通称モスクワ総主教座)
首座教会ーキリスト復活聖堂? 首座ーオヌフリー府主教
※実はおそらく活動していないと思われる派が1つあります・・・。いずれ紹介します。
〇なぜ3つの教派になってしまったのか
ウクライナ国内で現在、最も大きな教派は上記の一番上にあるウクライナ正教会です。もともとは2019年1月、ウクライナ正教会として正式に独立しました。母体となったのはキエフ総主教座と独立正教会で、それにモスクワ総主教座も当初は合流していました。
しかし独立の際に、コンスタンティノープル総主教から受け取ったトマスの内容が問題になりました。特にウクライナ正教会の権限はウクライナ国内のみとし、在外ウクライナ教会を切り離すような内容があったこと、ウクライナ正教会は正教の教義に何ら付け加えることはできない、コンスタンティノープルの指導的地位の明記といった内容が問題になりました。
これにより、ウクライナ正教の統一と独立に指導的な役割を果たしていたフィラレート総主教が批判の先鋒に立ち、ウクライナ正教会の成立により閉鎖していたキエフ総主教座の復帰を宣言しました。同時にモスクワ府主教座もトマスの内容に不同意として活動を再開したのです。
つまり・・・各教派を統一して1つのウクライナ正教会が成立するはずだったのが、2つの流れが活動を再開したことにより3つの流れになってしまったのです!
〇東スラヴの聖地としてのキエフ
スラヴの正教史を考える上で、聖地ともいえるのが以下の地域ではないかと思います。
・チェコ・モラヴィア地方(西スラヴ)・・・キュリロス(※)・メトディウス兄弟が宣教した大モラヴィアが存在した地域です。兄弟が首都べレフラドに到着したのは863年。モラヴィア自体は900年に滅亡しますが、兄弟の弟子が各地で活躍することになります。
・ブルガリアおよびマケドニア(南スラヴ)・・・兄弟の弟子はブルガリアで活躍の場を得ることができました。特に当時の首都ブレスラフでナウム、現在のマケドニアのオフリドでクリメントが活躍します。そしておそらくブレスラフ、またはオフリドでキリール文字が誕生したと考えられています。
・そしてキエフ(東スラヴ)・・・当時強力な国家であったキエフルーシが正教を国教(キエフの洗礼~988年)としたことは、ビザンツや周辺国にとって非常に大きな出来事でした。そしてこの精神的遺産を受け継いだと主張しているのがロシアでもあります。彼らの主張する「第3のローマ」説は、キエフ府主教座の栄光をモスクワが最終的に総主教座として受け継いだことも根拠となっています。社会主義のソビエト時代ですら、国歌にも「偉大なルーシ」とあったことは、これを端的に象徴しています。
次回以降に各教派の教会について紹介したいと思います。
※おまけ
キュリロスに興味があり、イタリアのローマに行く可能性がある方は是非ともサンクレメンテ教会を訪問することをオススメします。同教会はコロッセオの近くにあり、建立の経緯は兄弟が聖クレメンスの遺骨をクリミアから持ち帰ったことに由来します。これにより兄弟は当時のローマの話題の人になりました。ここにキュリロスのお墓と慰霊碑もあります。さらに地下には広大な古代ローマの遺跡やキリスト教と覇を争って敗れたミトラス教の聖堂も残されています。これは一見の価値があります。
表紙の写真はキエフ洞窟大修道院(ペチェールスキー)のウスペンスキー聖堂です。
