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ウクライナのガンジー?アンドレイ府主教とギリシャカトリック ユーリー大聖堂

ウクライナの教会といえば、多くの人が正教を連想すると思います。確かに中部~東部は圧倒的に正教の教会が多いのですが、中部から西部になると変わってきます。
特にリヴィウの教会は、圧倒的にギリシャカトリック所属です。そこで今回はギリシャカトリックとその伝説的な聖職者、アンドレイ府主教について紹介します。


〇ギリシャカトリックとは?

ウクライナにおけるギリシャカトリックとは、ローマ教皇の権限を認めるものの、正教と同様の典礼様式である点に特徴があります。現在の指導者はスヴャトスラウ総主教。首座教会はキエフの復活大聖堂。

起源は、16世紀にポーランドが支配領域を正教圏まで拡大したことに始まります。当初のポーランド国王・ジグムンド3世による他教会に対する政策は、イエズス会を利用したローマカトリックへの強制改宗でした。しかし
激しい抵抗にあったことから、教皇の権限を認めることで正教の典礼の継続を認可するという妥協案を提示しました。

これにより1596年、ブレストにおける教会合同会議が行われ、教皇クレメンス8世の祝福を受けてギリシャカトリック教会は成立しました。ただしジグムンド国王やポーランドのカトリック教会は内心不服で、これ以降もローマカトリックへの強制改宗の野心を捨てることはありませんでした。

このような経緯から、西部ウクライナ~リトアニア、ポーランド等に多くの信者を持ちます。特に、リヴィウを中心とする西部ウクライナでは住民の約4割がギリシャカトリックを奉じています。

〇アンドレイ府主教とは?


アンドレイ府主教とは、アンドレイ・シェプティツキー(1865~1944年)を指します。代々聖職者を輩出した旧家に生まれ、その資産の多くを人々に還元しました。
・私費で美術館を設立して寄贈→現在の国立美術館
・私費で教育機関を設立→現在のカトリック大学

もっとも大きな足跡は、ウクライナ独立を目指す活動でした。表題にウクライナのガンジーと評したのは、決して誇張ではありません。彼もまた非暴力・不服従に徹しました。府主教が活動した時代は、ほとんどの期間が他国の占領下にありました。オーストリア・ハンガリー、ポーランド、ロシア、ドイツ(第一次大戦期)、ソビエト、ドイツ(第二次大戦期)・・・。そのためなら当時のオーストリア・ハンガリーで議員として活動することもためらいませんでした。そのためロシアやポーランドでは敵視されました。

真の愛国心とは隣人への愛に他ならない。それゆえ私はウクライナの愛国者となった。

『ウクライナ・ギリシャカトリック教会 最初の一歩。告白。復活』2013年

また健全な独立運動に関しては積極的に支援しましたが、テロや暗殺を行う組織は徹底的に批判しました。

犯罪は常に犯罪であり、神聖な大義は血で染まった手で成し遂げられるべきではないと、我々はこれまでも主張してきたし、これからも主張するだろう。

「イヴァン・バビー暗殺事件とテロ行為の非難に関する府主教による信徒への司牧書簡」1934年

独ソ戦が始まった当初、ソビエトからのヨーロッパの解放を謳っていたドイツにより、一時的にウクライナが再び独立しました。1941年6月30日、リヴィウでヤロスラフ・ステツコを長としてウクライナ国家回復法が採択されました。府主教はこの宣言を歓迎しました。
 
しかしステツコの国家はわずかな日数しか続かず、その後指導者はドイツに逮捕され、強制収容所に移送されてしまいました。

そして化けの皮がはがれたドイツに対して、府主教は人間の尊厳に対する罪として批判し、特にユダヤ人への扱いや、ドイツの組織におけるウクライナ人の使用に抗議しました。そのために親衛隊等の治安機関の長であったヒムラーに宛てた府主教の手紙は重要であり、そのなかでもドイツの弾圧に対するユダヤ人の擁護を表明しました。それらの状況は各国へ、特にローマ教皇庁には多く伝えられました。

このウソ、不正、欺瞞、略奪、文明と秩序のあらゆる概念の歪曲、この利己主義のシステムは、完全に狂気じみた国家主義、美しく善良なものすべてへの憎悪が不条理なまでに誇張されている。
この怪物を見た際の最初の反応は、ただ驚くだけである。このシステムは、不幸なドイツ国民をどこへ導くのだろうか。それは、人類史上かってないほどの退廃でしかない。

「ピオ12世への書簡」1942年9月

1942年11月21日、ドイツの占領下で府主教は伝説となる書簡「汝殺すなかれ」を執筆し、人間の尊厳の擁護、あらゆる形態の殺人、特に政治的見解の相違による暗殺行為の批判、そして兄弟殺しとしての戦争を批判しました。

アンドレイ府主教は、リヴィウがソビエトに再び占領された直後の1944年11月1日に没し、リヴィウ市内のユーリー聖堂の地下室に埋葬されました。そのユーリー聖堂が表紙の写真の教会であり、左に見えるのがアンドレイ府主教の像です。

アンドレイ府主教の棺

〇ユーリー大聖堂とは?

ユーリー大聖堂とは、21世紀にキエフの復活大聖堂に移動するまで、ウクライナ・ギリシャカトリック教会の首座(総本山)でした。ユーリーとは勝利のユーリー、すなわち聖ゲオルギーを指します。ゲオルギーは世界中で
人気のある聖人です。フランスではジョルジュ、ドイツではゲオルグ、イギリスではジョージ等々・・・。

現在はリヴィウ教区のカテドラル。また神学校を併設しています。

中央の祭壇付近
右上に見えるのがアンドレイ府主教の肖像画
聖母のとりなしを祈る


#この街がすき

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