【イタリア】【創作SF】 『ラウェイという名の男』#0 ー今すぐ破棄だなんて手厳しいなー クラウド シリーズ 外伝 |航跡雲
あのな、小僧。
研究者はしょっちゅう間違いを仕出かすが、そんなにバカでもない。
俺は左の割合が多い、とは言ったが、左が死亡の原因である、とは言っていない。
生物由来の天然化合物に、突然反転の分子が検出されるのはおかしい、自然の理(ことわり)に反している、と言っただけだ。
いいか?自然のことわりに反する現象だぞ、いいや、手品や超常現象は抜きにしよう。だとすれば、これはどういう事態だと思う?……どこかに既存の常識を覆すような理屈があるんだよ。
あらすじ
1950年代はじめ、ルサティア地方からイタリア共和国に流れ込んできた特殊な力を利用するチョレイチアは、とかく黒い噂の絶えない団体である。
カンパニア州とラツィオ州一帯がこの秘密裏な結社に支配されて約50年。
11歳で両親を亡くした少年ルノは、里親の元での生活に耐えきれず逃げだして、1998年、このチョレイチアの会員となった。そして数年が過ぎたころ、彼は仲間とともに、ある不思議な現象に出くわす。
今回ご紹介させていただくのは、このルノの物語であるSF本編に、脇役として登場する研究者ラウェイの若き日を追った物語、本編の外伝である。
このエピソードはフィクションです。
一部、実在の人物・団体・事件などの名称、
現実の現象などを取り扱っておりますが、
作品の内容は実際のそれらとは一切関係ありません。
クラウドシリーズ 外伝・航跡雲
「ラウェイという名の男」
#0
#0 はじめに (ラウェイ抄)
(いつやられたんだろう?)
199X+Y年イタリア共和国。
ローマ市街東南に広がる広大な敷地内、R第二大学のサイエンスキャンパス、第三研究棟。F学部生命F科学科、微生物学研究室。
男はPCのディスプレイに映された画像を前に、一瞬、混乱した頭で思いを巡らせていた。
(いつ?)
ラウェイは写真を撮られることを嫌がる男で、手術の後遺症が残ってからしばらくは、特にその傾向が強かった。その眇は、本人が思うほど彼の容姿を傷つけてはいなかったが、足掻いても決して引き上がらない眼瞼に慣れるまで、しばらくの間 自分が醜くなったように感じ——
——それは、空を諦め、恋に敗れたのと同じに、決して取り戻せぬ現実であり、目の当たりにするとどうしても気持ちが沈むのだった。
命がないと言われたところを生きのびたのだ。そんなわずかな見た目のあれこれなど、どうということもないはずなのに、鏡を見るたび気鬱になる見え張りな自分も嫌で、もともと好まなかったカメラの前に立つ気には到底なれなかった。
なので、どうしてその写真を撮られてしまったのか、ラウェイはまったく覚えがなく、彼は仲間たちにこっそり段取られ してやられたのだ、ということを理解した。
左側やや下方から見上げるように撮られたその写真の中で、ラウェイは驚くほど朗らかに笑っており、そもそも笑って写った写真など幼いころから一枚もあったかどうか、というほどなので、彼はこれが本当に自分なのだろうかと疑うほどだった。
だが、それは紛れもなく自分であった。
葉巻を指の間に軽く挟んでリラックスし、今まさに歓談も酣と言わんばかりの様子は、ちょっと上等のポートレイトのようで、ラウェイは、自身が自覚している「常に周囲に対し好戦的である」という事実と、写真の外見が示す「柔らかで受容的」という映像の間に生じている乖離に、ふと心が乱れるのを感じた。
20代初めに三途の川を渡りかけ、壮絶な闘病生活を送った。
尊いと信じた恋を失い、健康を失い、嫉妬に苛まれ、身体の真芯から愛していた空という世界までもを失くして 病との戦いに疲弊する中、這うように一歩、また一歩と奥歯を軋ませてここまできた。だが、画像の表情の朗らかは、そんなみじめな過去など何ひとつ背負っていないように見える。一体どちらがほんとうの自分なのか?
εεεεε
それは、新し物好きの写真マニアが購入した、勃興期の海外製デジタルカメラによって撮影され、絵心のある同僚により加工されたもので、当時からグラフィックに関して評判の良かったaqqle社製パーソナルコンピュータ「アサヒ」のデザインソフトにより画像処理され、見事な口髭と頰髯を蓄えさせられていた。
つまりちょっと遊ばれたのであるが、それは周りがどよめくほどの効果をもたらした。
どういうことだったかというと、被写体の表情といい構図といい、30年ほど前にキューバ革命を成功に導いた革命家、チェ・ゲバラの、とりわけ有名な一枚そっくりに仕上がっていたのである。
その画像は本物のゲバラのそれと横並びにされ、さらに複写で碁盤目に区切ったフレームに収められ、左から右手方向へ向かって段階的に、アンディー・ウォーホルを模したポップアート調にデフォルメされていた。それを微生物学研究室すべてのPCの壁紙に貼られたのだ。その完成度の高さに、そして、ラウェイと稀代の英雄とのあまりの相似に、研究室中が沸き立った。
その日出勤したラウェイは、室に足を踏み入れるなり呆気にとられ、なぜ自分が、エドアルドからパルチザンと言われたり、仲間から爆弾製造の噂を流されたりしたのかを、ようやく理解できたように思った。本人の生き方や性格など関係ない。この顔つきが、革命家のアイコンでありその精神であると、世の中に広く周知されている。おそらくは無意識に投影されてしまったのだろう。
εεεεε
違う。
ラウェイはげんなりした。
キューバ革命が達成されたのはゲバラ31歳の時。
今のラウェイはその時期の彼と大差ない年齢だが、なにかを成し遂げるどころではない、ようやく食べていけるギリギリの職にありついたところだ。大学の研究職員の給与は一般企業の研究員と比べてとりわけ安く、妻が働いていなければ、子どもをいつ持つかと迷うところである。
紆余曲折があった、病という止むに止まれぬ事情である。闘病の合間を縫って自らの力でつかみ取った小さなひと足だ、今の境遇に不満はないが、こんな世界のカリスマと横並びにされては、嬉しいどころか自分が惨めに思えてしまう。しかも写真に写る自分の左目は、やはり眼瞼が下垂していて、ゲバラというより「刑事コロンボ」の主人公を演じたピーター・フォーク(片目が義眼だった)のようなのである。
「刑事コロンボ」。1970年代アメリカで大受けし、世界各国に広まったこのTVドラマは、ラウェイが思春期のころからイタリアでも断続的に放映されており、推理サスペンスものの大好きな母親が異様な熱心さで観ていたが、イタリアでコロンボといえば、まずはジェノバのコロンボ(大西洋を横断しアメリカ大陸を発見したクリストフォロ・コロンボ、日本でいうクリストファー・コロンブス)であり、異国のドラマ俳優について言及しても、詳細が伝わる相手はいたりいなかったりだ。
つまり目の前のフォトグラフは、仲間にとって藪睨みのゲバラであり、こんなの風邪をひいた刑事コロンボだろ?という被虐的な洒脱は通らないのである。
εεεεε
(どっちでも一緒だ)
ラウェイは憮然としていた。
政治思想はさておき、悪党であろうと聖人であろうと、その比類のなさにおいて、世間に名を馳せる人間たちには一定の敬意を払いたいものだが、今このときも自分の方は病院通いが続いており、このままいけば完治と医者から言われても、心は完全に無罪放免とはなっていないのだ。
肉体的な治療の完了と現象学的な治癒の意味合いとのズレは、傷病を受けた直後から始まり、抜きつ抜かれつしながらその感覚は並走する。それは、病を得たままであっても、精神が解放されれば健康といっていい現象によく理解できるもので、この期に及んで、なおも時折自分がくよくよとしていることに、本人がいちばん嫌気がさしているのである。それは、空を失った病だった。
もう終わったことなのだ、頭では分かっている。しかし恋焦がれた空の喪失の痛みはそう簡単に拭いされるものではない。
あれから10年以上が経ち、真の希求から脱落した空洞を埋める術などどこにもないのだ、と知り尽くした果てにこうした落差を差しつけられると、なんともいえない情けなさが先にたってしまう。
勝手に撮られた写真の悪戯は、実存の社会で自らに課せられた定めと奮闘する青年にとって、正直楽しめるような代物ではなかった。
(しょうもねェな……)
ラウェイは、自虐と焦燥と怒りの狭間で疲れ果てるのにはもう飽き飽きしていた。
「オイ」
まだSNS全盛に世界が移行するには程遠い時代だったが、仏頂面の青年は同僚に釘をさした。「これを拡散させてみろ、肖像権侵害で慰謝料請求してやるぞ、今すぐに破棄するんだ」
「えええ???手厳しいな、こんなにいい出来映えなのに!久々の、会心の作なんだよ……」
「馬鹿野郎」
ラウェイは少し考えた。「じゃ、壁紙は期限付きで1ヶ月だ、使用料を取れよ。半分をモデル料として請求する。一台あたり、2000リラ*でどうだ?」
面白がって財布の紐を解くものがあり、教室内のパソコン台数が多かったこと、期間延長の希望もあって、徴収した使用料は全部で4万リラほどになった。
結局この金は、研究室のコーヒータイム用に検討していた、当時販売され始めたばかりの家庭用エスプレッソ マシーンの購入費用として、談話室に設置されていた募金箱に放り込まれた。
注1:
*)1990年代前半、イタリアではカフェ1杯が1000リラほど、2020年でも1-1.5ユーロくらい(150円前後)であり、人々はバールで気軽に1日5-6杯を楽しむことができる。ただしユーロ導入当初、1ユーロ≒2000リラだったはずのレートはインフレに吹き飛び、物価はこの30年で2-3倍に跳ね上がったとされる。
注2:
ラウェイとルノの本編でのやりとりを利用した絵本紹介記事です。↓
