L·コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流、第16章・レーニン主義の生成①。MCM002。
Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism,〈英語版〉
この書物の邦訳書が、(ようやく)2024年11月に、出版された。
レシェク·コワコフスキ一=神山正弘訳・マルクス主義の主要潮流(同時代社、2024年)。
したがって、この書物を参照していただければよいのだが、秋月瑛二が2017年春以降に日本語化していったものが残っている。
すでに日本語化していた部分のみ、あらためて原書を読み直し、かつ上掲の神山邦訳書を大いに参照させていただきながら、修正を加えて、ささやかな秋月瑛二試訳ノートを、この「note」に残して」おくことにした。
全体を翻訳された神山正弘氏に大いなる敬意を表しつつ。
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Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism,〈英語版〉、一巻本・第二部/黄金時代(2005)p.661~, 三分冊の第二冊/黄金時代(1978)p.381~。
一文ごとに改行する。段階の最初に、原書にはない数字番号を付す。
日本語版レーニン全集の該当箇所は、秋月が実際に見ている。
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第16章・レーニン主義の生成①。
第一節・レーニン主義をめぐる論争①。
(01) マルクス主義の教理(doctrine)の一変種としてのレーニン主義の性格は、長いあいだ論争の主題だった。
問題は、とくに、レーニン主義はマルクス主義の伝統との関係で「修正主義」イデオロギーであるのか、それとも反対に、マルクス主義の一般的諸原理を新しい政治状況へ忠実に適用したものであるのかどうか、だ。
この論争は、明瞭に、政治的性格を帯びている。
この点では共産主義運動の内部でなおも影響力のあるスターリン主義正統派は、当然に、後者の見地を採用する。
スターリンは、レーニンは、承継された教理に何も付け加えず、その教理から何も離れることなく、その教理を適確に、ロシアの諸条件に対してのみならず、きわめて重要なことだが、世界全体の状況へと適用した、と主張した。
この見方からすると、レーニン主義は、マルクス主義を特殊にロシアに適用したものではなく、あるいはロシアの条件に限定して適用したものではなく、社会発展の「新しい時代」のための、すなわち帝国主義とプロレタリア革命の時代のための、戦略や戦術の普遍的に有効な体系だ。
他方で、一定のボルシェヴィキは、レーニン主義はより個別的にロシア革命のための道具であるとし、非レーニン主義のマルクス主義者は、レーニンは多くの重要な点で、マルクスの教理に反する間違い(false)だった、と主張した。
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(02) このようにイデオロギー的に定式化されると、この問題は、根源への忠実性を強くかつ生来的に必要とする政治的運動または宗教的教派の歴史にある全ての問題に似て、実際には、解決することができない。
運動の創立者の後の世代の者たちが、既存の経典(canon)には明示的には予見されていない諸問題や実際の諸決定に直面する、そして、その経典を自分たちの行為を正当化するように解釈する、というのは自然で、かつ不可避のことだ。
この点で、マルクス主義の歴史は、キリスト教のそれに似ている。
結果は、一般的には、教理と実際の必要との間に多様な種類の妥協を生み出すことになる。
対立する新しい方針や衝突する政治的な編成は、事態の直接的な圧力のもとで形成される。そして、そのいずれもが、必要な支持を、完璧には統合しておらず首尾一貫もしていない伝統のうちに見出すことができる。
Bernstein は、マルクス主義社会哲学の一定の特質を公然と拒否し、全ての点についてマルクス主義の遺産の確固たる守護者だとは告白しなかった、という意味において、じつに、一人の修正主義者だった。
レーニンは、一方で、自分の全ての行動と理論が現存のイデオロギー(ideology)をただ一つ、かつ適正に適用したものだ、と提示しようと努めた。
しかしながら、レーニンは、自分が指導する運動への実践的な効用よりも、マルクスの文言(text)への忠実性の方を選好する、という意味での教理主義者(doctrinaire)ではなかった。
レーニンは、反対に、理論であれ戦術であれ、全ての諸問題を、ロシアでのそして世界での革命という唯一の目的に従属させる、莫大な実際的な感覚と能力を持っていた。
彼の見地からすると、一般理論の全ての諸問題はマルクス主義によってすでに解決されており、個別の状況に即した正しい(right)解決を見出す教理を知性的に利用することだけが必要だった。
この点において、レーニンは、自らをマルクス主義の教書(testament)の忠誠心ある実行者だと見なしただけではなく、より個別にはドイツの党により例証される、ヨーロッパの社会民主主義者の実践と戦術に順応している、と信じた。
レーニンは、1914年になるまで、ドイツ社会民主党を一つの典型だと、Kautsky を理論的諸問題に関する最も偉大な生きている権威だと、見なしていた。
レーニンは、理論上の問題のみならず、第二Duma〔国会〕のボイコットのような自分自身がより多数のことを知っている、ロシアの戦術上の諸問題についても、Kautsky に依存した。
彼は、1905年に、〈民主主義革命における社会民主党の二つの戦術〉で、つぎのように書いた。
「いつどこで、私はかつて、国際的社会民主主義のうちに、Bebel やKautsky の傾向と〈同一でない〉、何らかの種類の特別の傾向を生み出した、と強く主張したか?
いつどこで、一方の私と他方のBebel やKautsky の間に、重要な意見の違いが-例えば、Breslau で農業問題に関してBabel とKautsky との間で生じた違いにほんの少しでも匹敵するような意見の違いが-、現われたのか?」
(全集9巻, p.66n=レーニン全集日本語版,9巻57頁注(1)(大月書店,1955))
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②へと、つづく。
