あいをしるひと③
あさは、なんでもおもしろがれる子どもだった。昔から、好きなものは全部、周りに集めたし、好きなものに囲まれると楽しかった。
だけど、そんなあさでも楽しくなくなったときがあった。あの、家の中の空気が変わったときだ。それからすぐによるの声も出なくなって、最悪だった。
一気になんにも楽しくなくなって、やることなすことがつまらなくなった。あさは、家族はみんな大好きだったけれど、祖母のことは少しだけ苦手だった。
女の子なんだからこうしなさいとか、お姉ちゃんなんだからああしなさいとか、とにかくあさのやることを制限するような言動が多かったからだ。
それから、ちょっとだけ。ほんの少し、よるの方に甘かった。別に、両親にそんなところはなかったから、あまり気にしてはいなかったけれど、それでも少しモヤモヤはしていた。
しかも、自分を心配してくれる存在も、あのときいなかったから、余計になんだかモヤモヤした。あれは反抗期というやつだったのかとしれないと、今はそう思う。
父親は帰らないし、母親は介護疲れでぼんやりしてるし、弟は喋らない。もうあさは、どうしていいか分からなかった。ほとんど、パニック状態だったと思う。
だから、抜け出した。夜に抜け出して最初に向かったのは、公園だった。誰もいなくて快適だったけれど、すぐに飽きてしまった。そこからも抜け出してフラフラしていたら、路地裏で小さく切り取られた空を見上げるみゆに出会った。
本当に存在しているのか、ちょっとドキドキしながらコンバンハとあさが言ったら、コンバンハと返ってきた。
初めて、夜にも世界があるのだと知った。あさの見てきたものとはまた違う色彩が、そこには広がっていた。
みーこ、気づけばその名を口の中で転がして、その存在感はいつしか弟と同じくらいになっていた。
声が出なくなった日のことを、よるはよく覚えている。正直なところ、このままでも別にいいかな、困らないしくらいの考えだった。だけど、よるは困ってないのに、自分が引きがねになって家族が壊れてしまった。いや、壊してしまったと思った、あのときは。
とにかく見ていられなくて、父親がしたようによるも逃げた。あさが夜中に抜け出しているのは知っていた。起きて、あさの顔を見るとほっとした。あぁ、無事だったと。そんな風に思うくらいなら着いていけばいいものを、よるはそうしなかった。
どちらかが引き入れるまでは、お互いの世界に干渉しない。いつからか、そういうルールめいたものがよるとあさの間にはできていた。多分、誰にも分かってもらえない、守れているのかすら危ういルールだった。
だけどよるもあさも、丁寧に丁寧に、線を引いた。双子だからこそ、入ってはいけない世界を持っていたかった。だから、よるは待った。まだきっとあさは、ここには来ないでほしいと思ってるはずだから。
「ここだ」
「いるのかな」
「今日は朝からいるって言ってたよ」
「いなかったら待てばいいし、最悪、伝言残せばいーよ……こんにちはー!」
挨拶しながらあさが入ると、驚いた顔のゴトウがそこにいた。
「びっくりした、コンニチハ。え、どうした?」
「忘れ物、届けに」
「あっ…あーほんとにもう…すまん」
「せっかちな探偵さんだねー」
「いや、向いてねぇなって思うことが多々あるよ」
そう言って落ち込んでいるゴトウに、三人で目配せをしあう。どうやって切り出そうか、本当に引き受けてくれるのか。いや、考えたって仕方がないと、みゆは話題を変える。
「あの子、見つかりそう?」
「ん?うーん、多分ね。有力な情報ももらえたし。ご協力ありがとな」
「どういたしましてー!そうそう、それでね。ちょーっとお願いがあって」
「お願い?」
「ゴトウさん、ワタシに人を探してるのか聞いたでしょ?この人をね、探してるの」
ショウの写真を見せると、ゴトウの表情が変わった気がした。目を細めて写真とみゆを見比べる。
「依頼かな?」
「違う、お願い」
「お願い、ねぇ。こっちもボランティアでやってるわけじゃないんだよなぁ」
「情報提供したし、忘れ物も届けたでしょ?」
「うーん…そう言われてもなぁ」
「あそこの探偵さん、おっちょこちょいなんだよねって口が滑っちゃいそう!」
「……一回だけだぞ」
「もちろん!」
苦い顔のゴトウと、ニコニコしているあさの対比がすごくて、みゆは笑った。なんのあてもないところから、やっとここまでもってこれた。ただ、まだスタート地点だ。
ショウを探して、見つかったとして、マキがどうするのか。そもそも、ショウはなぜいなくなったのか。嫌な可能性だって、もちろんある。
考えたくないことは一旦置いて、とりあえずは見つけるところから。そこまで考えて、はたと気づく。これはものすごいおせっかいなのではないか。
ショウが、見つけてほしくなかったとしたら。自分はマキに、見つからなかったと嘘をつくのだろうか。
いや、それでもやっぱりみゆは中身が知りたかった。ただの別れた男女ではないのだ、マキとショウなのだ。
「よろしくお願いします、ゴトウさん」
もしも、マキから離れた理由がくだらないことだったら、ショウを怒って、マキと一緒に泣こう。
「分かった、引き受けたよ」
「おれ、手伝いたい」
「興味あるのか、この仕事」
「んーちょっとだけ」
「そうか、じゃあお願いしようか」
よるがゴトウを手伝うと言い出し、ゴトウがそれを承諾する。あさもみゆも、驚かなかった。よるは、そういうのがうまかったから。人のことをよく見ている。そして、考えている。よるの中には常に、どうしてそうしたんだろうがあった。
ことの経緯を話すとゴトウは、複雑な顔をした。なにか言いたげな、結果を悟っているような、でもそれを言ってしまってはいけないと、口を引き結んでいた。だからみゆは、真実を知りたいだけだと伝えた。
みゆは、もうあと二週間くらいで二十歳になる。だから、分かる。大人は思ったより大人ではないということ。
同じように思い悩んだり失敗したりすること。ショウがマキに対してなにかしらの後悔を持っているのなら、せめてそれを解消してから離れてほしいと思っているだけだ。
教師としてのショウを、みゆは知っているけれど、マキの恋人としてのショウはあまり知らない。マキは話さなかったし、みゆも聞かなかった。
だけどいまさらながら、聞いておけばよかったなと思う。二人は、常に正しかった。母親と関わる度に落っこちそうになるみゆを、引っ張ってくれた。
「なんかさ、真昼間に会うの、初めてだよね」
「あぁ、確かに。うん、そうかも」
「明るいんだよね、当たり前だけど」
「明るいとこで会うと、あさは眩しいね」
「口説かれているんだろうか」
「んなわけなくない?」
「えぇーざんねーん」
今まで話したことのない話をした。家族のこと、マキやショウや、今に至るまでの人生。自分がどんな人間か、それがいまだに分からないということも。みゆが秘めていたことが、あさの目の前にある。
あさはあさで、よるにも言っていない秘密をみゆに打ち明けた。あのときの喪失を、珍しくしっかり言葉を選びながら。
今まで、楽しかった話はしても、嫌だったことは底にしまっていた。それを出すことを、あまりしてこなかった。少し歪んだよるへの気持ちを、初めて、ゆっくりと絞るように出していく。
気づけば二人で、陽が落ちていくのを眺めていた。隣にいるのが知らない人だと、みゆもあさも今まで意識したことはなかった。今日、これだけ話してやっと、自覚した。長い間夜を共に過ごした相手は、知らない人だった。大事な大事な、知らない人。
「あたし、アンタには毎日バカみたいに笑っててほしいの」
「なにそれ」
ワタシも。口の中に消えていった言葉は、聞こえただろうか。いや、聞こえてなくても、なにも変わらない。夜になったら、知らない人に戻っていくんだから。みゆが、みーこになる場所で、夜を過ごす場所で。
