きたかぜこのはをはらう
秋から冬にかけて、繰り返し起こる季節性のうつ症状…冬季うつ病とやらに、なったことがありました。
気分が落ち込み、淋しくてしようがない…
正直、数年前までは、この時期が苦手でした。
今年もまさか?
イエイエ…違います、あまりに短い秋に名残惜しいだけ。
でもね、この時期、日照時間が少なくなると、元気がなくなることもあるそうですので、油断は禁物です。
いくつもの彩られた葉が、晩秋の風に揺れて…
舞い散る寸前の吊り下げられた姿が、まるで風鈴の短冊みたい、音まで聴こえてきそうな午後。
日差しにキラキラきらめいて…
いよいよ最後は力尽きて、落ち葉…
土に返っていくのかな…。
役目が終わったかのように見えるけど、次の季節の栄養になるのでしょう。
私もそんな風になれたら…
次世代のための何かしらになれたらいいな、なんて。
部屋の窓から見えるご近所の庭には、四季を楽しませてくれる樹木がバランスよく植えてあります。
この秋、ザクロの実を発見!初めてザクロの木だと知り、鮮やかな黄葉にも感動しました。
その隣に紅葉した桜と、手前にオレンジ色の実をつけた柿の木…葉っぱだけが早々に散って寂しい姿になっています。
この土地の人たちに、ずっと大事に見守られていたのでしょう。
「きたかぜこのはをはらう」
漢字にすると…朔風払葉、初冬を表す言葉だそう、この時期のことです。
日本語って、本当にきれいですね。
この字から私が連想するのは、萩原朔太郎氏と葉子さん親子。「葉」を使う葉子さんもオシャレな名前です。
朔風の「朔」は、朔太郎の「朔」
好きな詩人ですが、あえて「詩」には触れずに「名前」について。
「萩原朔太郎」が、本名と知ったのはいつだったかな…雅号みたいで素敵な響きに聞こえます。
『名前の話』というエッセイに、そのことが記されていました。
僕の名前の由来について、時々人から質問を受けることがある。中には「朔太郎」といふのが本名か雅号かなどと問ふ人もあるが、紛れもなく、親のつけてくれた本名である。僕は十一月一日に生れた。長男で朔日ついたち生れの太郎であるから、簡単に朔太郎と命名されたので、まことに単純明白、二二ヶ四的に合理的で平凡の名前である。
平凡な名前でしょうか…。
「朔日」が…陰暦で、月の第一日。ついたちのことですが、「朔太郎」と言えば、萩原朔太郎ですよね。
説明が難しい「朔」の字、
八朔のさくの字と言えば、わかるでしょうか。
日本現代詩の礎を築いた詩人として、あまりに有名ですが、驚いたのは私生活でした。
朔太郎氏の長女・葉子さんも文壇で活躍されていますね…
著作の一つに『蕁麻の家』があります。
これは、衝撃の自伝的小説でタイトルからして痛々しく、どれだけ過酷な家庭だったかを知ることができます。
朔太郎氏の母親、つまり葉子さんの祖母が酷すぎるのです、一言で表すと「鬼婆」でした。
赤裸々に綴られた小説を、どう表現したらよいか、考えさせられます。
内臓をわしづかみにされて…途中で何度、投げ出そうとしたか、心が弱っている時には読み進めらず、困りました。
それでも読んで気付きます…
当たり前の生活が幸せだったり、周りを見渡せば、小さなことにも感謝できることが溢れていたり、
イラクサはどこの家にもあるもの、主人公に寄り添う気持ちが芽生えます。
蕁麻は、葉や茎にトゲトゲを持つ刺激の強い植物です、蕁麻はジンマとも読み、蕁麻疹の語源にもなっていることから、
危険なニオイがプンプンしてきますね。
アレルギー疾患のある場合は、要注意、絶対近寄らないことです。
朔太郎氏は、
大好きな群馬の出身ですので、親近感がわかないわけがありません。
前橋市は「水と緑と詩のまち」なんだそうです…
高崎市は「音楽のまち」♪
どちらも素敵!
その前橋にある萩原朔太郎記念館に、いつか訪れたいと思っています。
小説家の波乱万丈の人生は、共感や感動を呼びますが、政治家には真摯なお人柄を望みます。

noteを始めて、約半年。
回顧録のようなことや、重めな内容など、取り留めもなく書いてきましたが、
誰かがジッと私の話しに、耳を傾けてくれているような錯覚を覚えました、感謝しております。
紙のノートでは味わえない、noteならではの、ものですね。
今日から12月・・・朔日。
そろそろ、北風も吹いてくる頃です。
朔風に、どうか今年起きたイヤなこと、
払ってもらえますように。
