人のために何かしたいのは人に良く思われたいから
「代わりに、おみやげ買ってくるね。」
大学時代、ある日の午後。
いつも一緒にいた3人の友だちが、急遽、今からUSJに行きたいと言いだした。私はバイトがあり、行けなかった。
私が行きたい気持ちの「代わり」の、おみやげ。正直、そんなんで心が満たされるわけがない。
笑顔で「行ってらっしゃい!」と言ってはみたが、行きたいけど行けなかった私を見かねて、「じゃ、また今度にしよっか!」と。本当は、友だちにそう言ってほしかった。
「あなたがいなくても、楽しめる。」そう、言われているように感じた。
私には、一緒に過ごす価値がない。
心の奥に押しこんで、扉をしめて、カギをかけまくっていた感情。思いだしたきっかけは、ある本を手にとったからだ。
『文章で伝えるときいちばん大切なものは、感情である。』
「人のために何かをしたい。」
自分に価値を見いだせなくなったから、人のために何かをして、価値をつくるしかない。当時の彼氏にさえ本心をださず、尽くすことに徹底した。
社畜化して朝の8時から夜中の12時まで働いてみた。
ブログでノウハウ的な記事を書いてみた。
インスタで自分の姿を晒してみたりもした。
どれも、心が満たされることはなかった。どうしてなのか?この本を読んで、理由が判明した。
「バズ」は多くの人に読まれて反応が得られるということではなく、
誰かに伝わり、誰かの心を震わせ、行動にまで走らせるということだ。
私は、自分の感情を、なおざりにしていた。
自分の感情に、真剣に向き合わない者が、人の心を動かせるわけがない。
そして、
人の心を動かせるのは、自分の心を満たせた者だけだ。
自分の心を満たす方法。それは、
幸せに気づくこと。
朝、ちゃんと目がさめた。
ごはんを食べられた。
仕事に行けた。
家に帰ってこれた。
温かいお風呂に入れた。
雨風しのげる場所で眠れた。
普段は目もくれない、日常の生活。
日常は、奇跡だ。
絶対に明日も生きていられるなんて、約束されていない。
この奇跡に気づけたら、普通と思っていた日々にも幸せを感じることができる。心が満たされてゆく。
自分の心を満たす方法は、もうひとつある。
できれば、笑って生きること。
楽しいこと、面白いこと。それらにくわえて、
自分の不幸や失敗も、笑う。
事実はひとつだ。
辛いとか、悲しいとか。意味づけしているのは自分だ。
「こんなに辛くて、悲しかった。よし、どう面白く、人に話そうか。」
私はいま、過去にカギをかけてきた感情たちと、ひとつずつ向き合っている。向き合うたびに、「人のために何かをしたい。」という気持ちの熱が強くなる。
人に良く思われたいという、偽善の気持ちかもしれない。
でも、もう、それでいい。
「あの日の泣き顔、すごいブスやったよね。」
私はいま、本心で話せる夫と、笑っている。
