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【ファンタジー小説部門】ぜんぶ、佐野くんのせい(第34話)#創作大賞2024


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第十一章 進展


 久しぶりに会うニナは、前回となにも変わっていなかった。丈太郎たちが部屋に入ってきた途端、背中を丸めてサササッとカーテンの裏に隠れてしまう。キジトラ猫は野生種の血が色濃く残っており、猫の中でも警戒心が強いほうだと言う。一度心を開くととことん甘えん坊になるらしいが、それも普段から世話をしたり共に生活をしている場合の話だろう。

 丈太郎は大きく息を吸い込み、ゆっくりと時間をかけて吐き出した。今日はうまくいく。そう自分に言い聞かせる。ふと、午前中アンナの借家にいた犬たちのことを思い出した。大家の柴犬はずっと「くさい、くさい、鼻がひん曲がる」と言っていた。確かに、皮脂臭と生ゴミ臭が混ざったような独特の匂いはあった。建物自体の古さゆえか、ほのかにカビ臭さも漂っていた。

 老婆の腕の中にいたトイプードルも「くちゃい、くちゃいよー。帰ろうよー」としきりに訴えていた。大家には申し訳ないが、人間でも不快に思うのだから嗅覚の鋭い犬にはたまったものじゃないだろうな、と丈太郎は同情したのだった。

 ニナもあの犬たちくらい積極的ならなぁ……。カーテンの裏に隠れているキジトラ模様の背中をチョンチョンッと突っつく。途端にシャーッと威嚇される。
「丈太郎くん、やっぱり考え直さない?」
冷たい麦茶を運んできてくれた山本さんの眉が、心配そうに下がっていた。だが、丈太郎はもう覚悟を決めていた。山本さんの透視能力に背中を押されたとは口が裂けても言えなかったが、この恐怖を乗り越えたら、そこでようやく胸を張って肩を並べられるような気がした。

「俺、あの時のことをずっと分析してました。それで、俺なりに一つの結論が出たんで、多分今度は大丈夫だと思います」
「お前が大丈夫でも、俺たちはただあたふたすることしかできないんだよ」
佐野の目は頑固者を見るときのような、諦めの色をしていた。
「僕も改めて反対するよ」
と片桐。

「ほら、あの時はすべてが初めての経験だったから。自分がなくなっていく感覚とか普通に生活してたら分かんないじゃないですか。だからパニックになった。でも、今は一度経験しているから、あの瞬間の恐怖さえ乗り越えられればなんとかなるはずです」
「なんとかなるって……」
「俺が導き出した結論だと、多分俺という一人の人間の自我は消えないんですよ。あれ知ってます? 求肥」
「求肥って、あの和菓子の求肥?」
山本さんがきょとんとした顔で丈太郎を見た。

「そうです、それ。餡でもイチゴでも雪見だいふくでもなんでもいいですけど、ニナが中の具だとしたら、俺は外側から包み込む求肥なんです。接している部分はあるけど、餡のニナと求肥の俺はまったくの別物。だけど、外側から見ればそれは一つの和菓子という括りの食べ物なんです。あっ、別に餃子でもいいんですけど」
「なるほどね」
佐野はため息まじりに言うと、山本さんの出してくれた麦茶を一気に飲み干した。
「で、その理屈からいくとお前がニナと同化して消えるってことはないわけだ。じゃあ、前みたいにニナの意識に入るためにはどうするんだ? あれは突発的な事故みたいなもんだろ」

「あのとき、俺はニナがまったく心を開いてくれないことに苛立っていた」
「山本さんの前で恥かくところだったもんな」
「多分、マイナスのエネルギーが膨張して行き場を無くしているような状態だったんじゃないかと思う」
そう言いながら、丈太郎は片桐に目をやる。
「うん。確かに膨張していた。その後だね、光の膜がナイフみたいになって一瞬でニナの中に侵入していった」

「エネルギー量を最大限にするなら、別にマイナスな感情である必要はないと思う。このへんどうですか? 先輩」
「丈太郎が興奮して大笑いしているときとかは、光が外側に向かって溢れ出してることが多いから、結局のところネガティブとかポジティブとか関係なく、どれだけ感情を動かされたかってことなんだと思う」
「……ってことで、ニナの意識への潜入もコントロールできる」
丈太郎は三人を見渡した。ふと昨日の帰り道、佐野に言われた言葉を思い出す。───お前が目の前で死ぬんじゃないかと───。酷なことに付き合わせてしまっていると思うと、多少は罪悪感もある。

 だが、ベルの深い悔悟の咆哮が頭に焼きついて離れなかった。───あのときちゃんと威嚇していたら、アンナは連れて行かれずに済んだかもしれない。叩かれても、蹴られても、命を取られても、僕はそうすべきだった───必死にアンナの乗せられた車を追いかけるベル、臆病心に駆られながらもそのベルに付いていったニナのイメージが眼裏に浮かび上がってくる。

 あのときのニナの意識を探ることができたら、レイトの顔やアンナとの間に何があったのかも見ることができる。それができるのは自分だけだ。後悔なんて絶対にしたくない。

 丈太郎はニナの前方に移動した。右側に片桐が、左側には佐野が、そしてニナの背後、ちょうど丈太郎の真向かいに山本さんが付く。
「気をつけてね」
力強い山本さんの眼差し。
「はい、行ってきます」
おかしな挨拶だな……。丈太郎はフッと笑った。気持ちを改めると、ニナと向き合う。

 感情を昂らせるものはいくつかあったが、午前中バスの中で山本さんにずっと手を握られていたことが、最も新鮮で心躍る出来事だった。丈太郎はゆっくりと目を閉じてあのときの感情に浸る。体の奥深いところから熱いものが込み上げてくる。

 次の瞬間、軽い吐き気と脳が揺れるような眩暈に見舞われ、あのときと同じ、自分がなくなってゆくような感覚がじわじわと始まった。

あ......。
ダメだ。

途端に耐え難い恐怖が襲ってくる。
戻らなきゃ。
今すぐ……。
今すぐ!!

……………
………
……

「丈太郎!」
遠くに片桐の声が聞こえる。
「おい! 目を覚ませ!」
これは佐野。
「丈太郎くん!」
山本さんは少し涙声だ。

 頭が痛かった。ゆっくりと目を開けると、不安げに歪んでいた三人の顔がパッと明るくなった。
「よかった!」
山本さんの手が丈太郎の両頬を覆っていた。
「体温も戻ってきてる」
「あれ、俺死んでました?」
上体を起こす。

「また前回と一緒」
片桐の声は疲れ切っていた。
「ってことは……また先輩に?」
「いや、今回は暴れるお前を先輩と両側から押さえつけた」
佐野も心なしかやつれている。

「どのくらい気失ってました?」
「今回は十分くらいかな」
片桐がスマホの時計を確認する。
「でも、時間は関係ないよ。やっぱり体への負担は無視しちゃダメだ」

「俺、もう一回行ってきます」
「丈太郎!」
「お前はバカか!」
「別な方法を考えましょ!」

「今度はうまくやるんで!」
みんなに阻止される前にニナと向かい合い、集中を高める。山本さんの手。山本さんの手。山本さんの手!
遥か遠くに佐野の「バカ!」という声が聞こえたのが最後だった。



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