紀元前の鉄器文化②
『紀元前の鉄器文化①』の続きです。
文化などの歴史を1つ1つ確認しながら調べていくと、中国と言うのは、
・陸路で西からやってきた文化が発展に寄与している
のですが、
・基礎基盤となる技術は海路で東からやってきた文化から始まる
という具合になっていますね。
中国自国製鉄の切っ掛け
「中国では鉄を主に輸入品であり、自国で製鉄始めたのはいつ頃か?」というと「春秋末から戦国早期(BC475年頃からBC386年頃)ですので東周の時代になってから」となります。それ以前の中国自国の製鉄は、殷・周では隕鉄を利用しています。
ですが、中国より西の技術ではない、中国が作る青銅器文化の延長として作られた製鉄文化の技術でもない製鉄品が、主に中原北側~遼東地域で出土しています。
遼寧省でBC6~5世紀に見つかる鉄器は、褐鉄鉱系を使っているものや、折り返し鍛錬された鉄器が見つかっており、中国や西の技術体系では説明が出来ない製鉄品が出土しています。秦~魏の時代だと、遼東地域だとやはり褐鉄鉱系鍛造鉄や折り返し鍛錬痕の鉄刀などが見つかっており、これもやはり当時の中国や西の製鉄技術では説明ができないものが出土しています。
この鉄器は焼き入れがあり、青銅の百錬鉄より性能が高いものです。実際、青銅の方が錬鉄より強いことは知られており、青銅器時代から鉄器時代への移行を促したのは簡単に利用できる銅・スズが減少したためなのです(鉄を鋼にできる技術が出来ると変わるのですが)。
青銅より性能がいい鉄を輸入して手に入れたため、中国は鉄を自作する道を模索したのかもしれませんね。ただ、青銅器の方が性能がよく、ただし大量生産はできない手法。鉄はそれより生産はしやすい。その隙間を突くように「大量生産」の方へシフトしていったのだと思います。中央アジア由来の高温炉からBC1世紀頃に高炉が出来て、「鉄の大量生産」が出来るようになります。しかし、この当時の「製鉄品」は脆いという欠点もあります。
そう、
・褐鉄鉱系製鉄文化
・折り返し鍛錬文化
この青銅の百錬鉄より性能が高い鉄の存在が、中国に自国製鉄の渇望を生み出したのではないでしょうかね。
東アジアの製鉄技術区分
ここで、古代の東アジアの製鉄技術を幾つか分けて考えてみます。
高温炉文化
基本的に低温炉が全体的にあり、中央アジアで高温炉が生まれます。

この高温炉をさらに発展させ、中国で高炉が出来ます。
こちらのルートは、中近東 → コーカサス → 中央アジアへ伝播(第1波)と、その後、黒海北岸のスキタイから高温炉(第2波)からの伝播という経路です。
鋳鉄文化
高炉により鉄を溶かす事が出来て、大量生産が出来るようになります。

この鋳鉄文化は中国が発祥になりますね。
ただし、脆く性能としては青銅器に敵わなかったようです。
鉄鉱石文化
問題となるのが、褐鉄鉱ですね。

鉄鉱石が採れる地域だと基本的に見向きされない褐鉄鉱。
東アジアを見ると、明確に分けられます。
実はここに「高炉で溶かす」文化が生まれる差にもなるのですが、純鉄の融点は約1,538°Cですが、リンが含まれることで融点が大幅に下がります(1,000°C〜1,100°C程度)。リンは溶けた鉄の粘り気を抑え、サラサラにします。これにより、複雑な「型(範)」の隅々まで鉄が行き渡るようになります。青銅の融点が約800℃〜1050℃の範囲ですので、高燐の材料だからこそ、青銅文化の延長で鉄文化を扱っていた、というわけです。
中国は「鉄鉱石」と高燐の材料を使い、鋳造をしていたわけですね。
この中で、アムール川近辺でもこの褐鉄鉱での製鉄がBC4~5世紀頃には興ります。ただし、この地は鉄鉱石も取れる土地で、シベリアの泥鉄と同じです。

つまり、このアムール川近辺の製鉄技術は何処から他か来たものです。そして、鉄鉱石を使う西側から来たものではない、と言う事です。
――南の日本からしか考えられないのですね。
他でも話していたように、古アムールは北縄文を祖として基盤としている民族で、文化の基盤だけでなく関係が深い場所です。
製鉄遺跡は確認されていないが、熊本県阿蘇盆地の北西部には、一遺跡で数百点から千点以上という大量に鉄器を出土する弥生時代の集落遺跡が分布しています、これが「阿蘇リモナイト(褐鉄鉱)」の分布域と一致しています。褐鉄鉱は燐成分が低く、これは遼寧省でAD6~5世紀に見つかる鉄器にも共通していますが、アムール川周辺の製鉄文化より前の時期ですね。
砂鉄文化
そして日本の独自となる砂鉄文化。

この作り方は、やはり中央アジアの高温炉でも中国の高炉でもなく、融解鉄を使わないので、中国からのものではありません。
技術としては、インドの初期製鉄技術と同じ系統の技術になります。
砂鉄を原材料として使う事により、より高性能な製品が作れるようになりますが、これは紀元後の話です。
日本の製鉄技術は中国と異なる
明確に分かる事は、「日本の製鉄技術は中国と異なる」技術であり、”中国から来た”というのは成立しません。
もし中国から来ていたならば、
・高炉もしくは高温炉
・鋳鉄製品
・材料は鉄鉱石
という技術になります。
これは朝鮮半島北部(大同江より北側)ではこれに当てはまっていますが、日本の「低温炉」「鍛鉄製品」「材料は褐鉄鉱や砂鉄」とまったく技術的な交差点がありません。
「朝鮮半島から材料を手に入れていた」と言うのも当てはまりません。
というのも、朝鮮半島は鉄鉱石なので高燐材になります。しかし、日本で見つかる製鉄品は低燐材です。これは、材料が鉄鉱石ではなく褐鉄鉱や砂鉄だった事を意味します。”朝鮮半島から手に入れていた”なら、古代の製鉄品は高燐でなくてはおかしいのですが、日本で見つかる古代の製鉄品のほとんどは低燐ですので、材料の殆どは国内で手に入れていたと言う事です。
偶に贈られたりしたもので高燐のものがありますので、これをきちんと分けると歴史がもっと分かるようになると思います。
つまり、日本の製鉄技術は中国から来たものではないということは明確なのです。
東から来た優れた技術品
中国だと、先にも述べているように、
・遼寧省でBC6~5世紀に見つかる鉄器は、褐鉄鉱系を使っているものや、折り返し鍛錬された鉄器が見つかっており、中国や西の技術体系では説明が出来ない製鉄品が出土しています。
・秦~魏の時代だと、遼東地域だとやはり褐鉄鉱系鍛造鉄や折り返し鍛錬痕の鉄刀などが見つかっており、これもやはり当時の中国や西の製鉄技術では説明ができないものが出土しています。
これが出土しています。
可能性のある地域は限られている
アムール川近郊の製鉄技術は褐鉄鉱を使いますが、
・硬化処理をしていない
・時代としてアムール川近郊の製鉄技術時代より古い
というので、アムール川近郊からとすると成立しません。また、このアムール川のものだと、青銅の百錬鉄よりも性能が低いものです(硬化処理をしていないので脆い)。
中国より西側や東南アジアなどは鉄鉱石なので、やはり成立しません。
技術的に
・褐鉄鉱を利用
・折り曲げ鍛鉄
・硬化処理
を纏めてしていた場所と言うと、日本しかないのです。
と言う事は、
・日本の製鉄技術はBC6~7世紀まで遡る?
と言う事が考えられます。
実際、BC3~4世紀頃まではほぼ確実で、後は「低温炉の痕跡」が見つかれば確定するぐらいまでにはなっています。弥生時代や古墳時代で見つかる鉄器も多くが低燐の鍛造品であり、これは中国系統の製鉄品ではない事を示します(中国や中国ベースの朝鮮は鉄鉱石なので、燐が高く、鋳造品)。
高燐で鋳鉄の製鉄品は日本だと燕との交易品で幾らか見られるようなもので、日本で発見されている古代の製鉄品のほとんどは低燐で鍛鉄であり、中国や朝鮮では成立しない製鉄品です。朝鮮半島も南部の一部を除き、鉱石製鉄(赤鉄鉱・磁鉄鉱)で高燐のものなので、ありえないのですね。
中国史書での痕跡
よく考えると、中国史書にもそれらしき記述は散逸されます。
そう 「蓬莱伝説」や「東から来るものたち(東方来者)」です。
「東から来る仙境の者達」というのは、西周代(BC1045~771年)には出てきません。
周代(BC1045~771年)の神話体系だと、崑崙山(西方の聖地)であり、地祇・山川神と、西方を仙境としています。この時代だと、西から青銅文化や鉄器文化が来ていた時代ですね。
出てくるのは東周の春秋時代(BC770年から現在の山西省一帯を占めていた大国「晋」が韓・魏・趙の三国に分裂した紀元前453年まで)からで、ちょうど「中国の技術では無理な製鉄品」が出土している時代です。
ただし、春秋時代だと『左伝』『国語』で書かれているのは「交易がある」程度で海の向こうという描写はありません。周代で東夷を攻めたのも、技術を得ようと探したのでしょうが、得たので有名なのだと「大豆栽培」ですね。
これが戦国時代になると『山海経』で「海内北経」に蓬莱山の名が初出します。「蓬萊山在海中大人之市在海中」と書かれており、海の向こう、霧の先にあると書かれています。『列子』湯問篇(戦国末〜前漢初)では東方三神山(蓬莱・方丈・瀛洲)が登場、仙人が住み、海上に浮かび、潮により近づけないという描写が成立しています。『荘子』(戦国中期)では、直接「蓬莱」の語は出ていませんが、「東海の彼方に神人が住む世界」「海上の仙境」といった概念がすでに登場しています。
『山海経』海内経・海外経では東海の外から来る異民族・異文化の記述が多数あり、方向指示としての「東方」概念が確立。
『呂氏春秋』(前239)だと東海の外に異界があるという思想が明確化し、方士(方術士)による海上仙境観が登場。
『史記』封禅書・淮南衡山列伝(前1世紀)では、秦始皇が方士に命じて 東方の蓬莱を探させ、徐福が「東方の海に仙人の住む島がある」と進言するという有名な話ですね。
つまり「東の海の向こうからもたらされる物」は、中国の製品より格段に優れた文化のものだった、という事です。
魏の代に帯方郡に訪れた倭人を招待し、その後に『親魏倭王』の金印を贈るまで日本と言うのは「海の向こうの道の国」であり、謎の国だったわけです。これは、中国が外洋渡航技術を持たない、海を渡る事が出来ないからでしょうね。
これは同時に「大量にやって来る」自体を不可能にしているのです。
その後も、基本的に「海の外から来る」というので日本やベトナム、ペルシャなどから来ているのであって、宋代(AD960~1279年)まで外に出ていないのですね。古代日本はよく「干物や真珠を交易していた」という具合に書かれるが、そのような交易品で倭人を招待し『漢委奴国王』や『親魏倭王』の金印を贈るか?となると、首を傾げざる得ないですよね。この交易に「中国で作るより優れた製鉄武具」があるなら随分と話が変わると思う。また、実際に「中国の技術では作れない褐鉄鉱原料の武具」が出るのは、この日本が交易していた地域ですね。魏が天下を獲れたのも、武具の性能が良かった事も大きな要因の1つとされています。
冊封秩序体制
また、日本は周辺国の中で、例外的に冊封を受けていない独立国です。
中国の冊封秩序体制では、臣従国の義務は次の順序で重くなります。
・正朔を奉ずる(中国の元号・暦を使用)
・朝貢
・冊封使の受け入れ
・中国皇帝への称号使用
・外交の制限
このうち 最重要な項目として「正朔を奉ずる」があります。なぜなら、元号・暦を使う=中国皇帝の時間秩序に従う=政治的服属を意味するからですね。
冊封秩序体制の中の朝鮮半島
例えば朝鮮半島は、新羅の時代に3代だけ独自元号を使いましたが、これは後に中国に大変に𠮟りつけられ、中国の元号・暦に戻しますし、外交は厳しく制限されます。統一新羅や高麗などは典型的ともいえる冊封国で、
新羅だと
・正朔を奉ずる(中国の元号・暦を使用)→ 新羅は唐の元号を使用
・朝貢の義務→ 定期的に唐へ進貢し、冊封使を受け入れる
・外交の制限→ 中国の許可なく他国と外交できない(日本との外交も唐の監視下)
というものです。実際、唐は新羅に対して、
・日本との直接交渉を制限
・渤海との関係も制限
・外交文書の形式も規制
となっている、典型的な冊封国です(それもかなり低い地位の)。
高麗も
・正朔を奉ずる→ 宋・元・明の元号を使用
・外交の制限→ 中国の許可なく他国と外交できない(日本との外交は常に中国の冊封秩序の枠内)
・冊封使の受け入れ→ 王位は中国皇帝の認証が必要、冊封使の来訪は義務
これらは李氏朝鮮時代でも同じで、典型的な冊封国です。
もう少し冊封秩序体制を話すと、その中でも「重い」「軽い」が存在します。
重い冊封(王位の認証=冊封使が来て“王位を授ける”)
・朝鮮(新羅・高麗・李氏朝鮮)
・安南(大越国)※時期により変動
・一部の雲南・南詔系政権(唐代)
これらは「王位は中国皇帝の正式な授与(冊封)」が必要 という最も強い従属形式です。
中程度の冊封(王位は“報告”のみ、形式的承認)
・大理国(宋代)
・チャンパ(占城)
・パガン朝ビルマ
・シャム(アユタヤ)※明代以降
・マラッカ王国(明代)
これらは「王位継承を中国に報告するが、冊封使は来ない」 という軽い形式。 中国側は「承認した」と記録するが、実質は“報告を受け取るだけ”で、王位の授与権は行使しません。
さらに軽い冊封(王位報告すら任意、朝貢のみ)
・ジャワ(満者)
・スリランカ
・インド諸国(明代の鄭和期)
・西南諸部族(雲南・貴州の土司の一部)
これらは朝貢はするが、王位継承は中国の関与外です。
判るように、「重い冊封」でも、半島ほど長きにわたり(1400年ほど)も連続して冊封の下にあり、厳しい管理の下にあった国は他にはないのですよね。
日本は冊封秩序体制に含まれない
ところが、この6項目について日本は全て拒否をしています。
独自の元号を利用してますし、外交は独自路線を貫きます。
「朝貢していたのでは?」と勘違いするかもしれませんし、朝貢図に描かれましたが、朝貢は拒否している事が中国の史書に記録されています。三国志に始まり隋書・旧唐書・新唐書は、日本を“朝貢国”として扱っておらず、むしろ「対等外交」「朝貢拒否」「冊封拒否」を明記しています。もっとも明確なのは新唐書ですね。
「日本は自ら年号を立てる」
→ 正朔拒否を明記
「日本は自ら天子と称し、中国に臣とならず」
→ 冊封拒否を明記
「日本は使を遣わして来るが、朝貢の礼にあらず」
→ 遣唐使は“朝貢”ではなく“使節交換”と明記
と書かれていますね。
三国志でも、日本に送り金印は「金璽綟綬」ではなく「金璽青綬」なので、臣従國ではない事が明らかです。
日本は古来から一度も、中国の冊封を受けておらず、臣従國になった事がないのですね。
冊封秩序体制の中の琉球王国
この中国の冊封体秩序制において、少し面白いのが「琉球王国」です。
琉球も「重い冊封(王位の認証=冊封使が来て“王位を授ける”)」に属し、冊封秩序体制の中にありますが、臣従国ではなく独立国という扱いです。
これが韓国が良く言い訳にする「冊封国だからと言って属国ではない」なのですが、それは琉球王国には当てはまりますが、朝鮮半島は明確な属国です。
・中国に対する地位
新羅・高麗・李氏朝鮮:臣従国(従属国)
琉球:独立国として扱われる冊封国(非臣従)
・冊封の性質
新羅・高麗・李氏朝鮮:王位は中国皇帝の冊封で成立(強制)
琉球:王位は冊封で形式的に承認(儀礼中心)
・冊封使の派遣
新羅・高麗・李氏朝鮮:必須・政治的意味が極めて強い
琉球:必須だが儀礼的・文化交流的
・正朔(元号)
新羅・高麗・李氏朝鮮:中国の元号を強制使用
琉球:中国の元号を使用(形式的で日本の元号も使用)
・外交権
新羅・高麗・李氏朝鮮:中国の許可制(日本・渤海との外交も制限)
琉球:対中国では独立国として振る舞う/対日本は薩摩が管理
・礼儀作法(外交儀礼)
新羅・高麗・李氏朝鮮:中国式を厳格に遵守(朝鮮は最も厳格)
琉球:中国式を採用するが、文化的・柔軟
・朝貢の性質
新羅・高麗・李氏朝鮮:義務的・政治的従属の表現
琉球:儀礼的・交易目的が強い
・王統の自立性
新羅・高麗・李氏朝鮮:自前だが正統性は中国依存
琉球:自前で完全自立(冊封は形式)
・行政制度
新羅・高麗・李氏朝鮮:中国制度の徹底的模倣(律令・科挙)
琉球:琉球独自制度+中国式の一部採用
・法体系
新羅・高麗・李氏朝鮮:中国律令の翻案(従属的)
琉球:琉球独自法体系(中国法の影響は限定的)
・国内の主権
新羅・高麗・李氏朝鮮:中国秩序に強く依存
琉球:国内主権は完全に自立
・日本との関係
新羅・高麗・李氏朝鮮:基本的に無関係
琉球:薩摩の属領(1609以降)
・総合評価
新羅・高麗・李氏朝鮮:中国の“臣従国”として最も従属度が高い冊封国
琉球:中国に対しては独立国扱い/日本に対しては属領という二重構造
明・清の官修史書(『明実録』『清実録』『会典』など)では、琉球は常に「琉球國」「琉球王」「琉球國王某」と記されます。
ここで重要なのは、中国が臣従国に対して使う語は「属国」「藩属」「臣属」「外藩」などですが、琉球には一度も使われません(朝鮮は「外藩」で「臣従国として中国の外側に置かれた藩」と、臣従国の中でも最も地位が低い立場ですね)。
つまり中国は琉球を“独立した王国”として扱ったということです。
これは、琉球王国が中国にとっての日本の窓口であり、明代の外交文書・冊封使録には、次のような認識が繰り返し現れます。
・琉球は日本文化圏に属する
・琉球は日本と密接な関係を持つ
・琉球は日本の影響下にある
このように、琉球王国自体は日本に属する事を中国側は認めています。
また、琉球王国は日本の文化や物を大量に中国に輸出していた事も書かれており、これも勘違いされていますが「中国→日本」という輸入もありますが、それよりも「日本→中国」という方が多かったのですね。
日本の物資を大量に積んで中国に運んでいたことが、冊封使録・明実録・琉球王府史料に明記されています。琉球が中国に持ち込んだ日本物資の例としては、
・日本刀(倭刀)
・日本漆器
・日本の木材
・日本の硫黄
・日本の銅・鉄
・日本の工芸品
・日本の染織品
・日本の陶磁器(瀬戸・美濃など)
冊封使録には、「琉球は日本の物を多く持ち来る」と繰り返し記録されています。
一方、「中国→日本」の流れは限定的で、中国から日本へ渡ったものは主に、
・書籍
・絵画
・陶磁器
・茶・薬品
・絹織物
・文人文化(儒学・禅など)
などです。しかし量的には 日本→中国の方が圧倒的に多いのですね。
鉄や漆器って、古代から江戸時代までを見ても中国からはほとんど入ってきていないのですよね(少しは入ってきていますが)。
終わりに
結論から言えば、BC6~7世紀頃に日本で製鉄技術がないと『東アジアの製鉄』が成り立たないのです。
・中国の北東地域で春秋戦国時代から魏の時代まで見つかる、低燐の褐鉄鉱の材料で作られた、折り曲げ鍛鉄の武具
・BC5世紀頃からあるアムール川周辺の、中央アジアとも中国とも違う、鉄鉱石が採れるのに褐鉄鉱製鉄文化
・日本で見られる独自の折り曲げ鍛鉄と焼き入れの製鉄技術
これらは、他の地域では「違う」と判っており、東アジア地域でよく判っていない空白地域は日本しかありません。
個人的には、あまり考古学調査をされていない「九州中央部東側の地域」を詳しく調査すべきだとは思います。

ここは東に阿蘇(褐鉄鉱)があり、北には国東半島(砂鉄)がありますので、地理的に恵まれており、日本の古代製鉄の歴史が眠っているとは思います。
