縄文人が作る古代東アジア文化
実は、日本と言うのは中国に多大な文化的影響を与えています。
縄文人を祖先に持つ古代沿岸文化圏
実際に言われている事があります。
・創成期の古代中国文化を作ったのは漢民族とは別の民族である
これは、出土する遺構や遺物などの文化、人骨のDNAから明らかなのですね。
この文化、竪穴住居や貯蔵穴、摩耗石器に土器、混作や海洋資源利用、装飾品の形状やその製作技術、はては絹・布・漆など、パッケージして現れるこれらの文化は、『縄文文化に大変に類似している』というものです。
また、人骨DNAも『縄文人に類似している』というものですね。
ただ、何故か『縄文文化・縄文人に類似している』となった途端、学会での呼び方から”縄文”色を消して『共通祖先を持つ沿岸文化圏』と、「縄文」という文字を消し去る形で紹介されます。
これは大変におかしい事だと思います。
というのも、それらの個々の文化を連続的・継続的・段階的に揃えて持っており最古なのは日本列島の縄文文化しか東アジアにはないからです。
そう、竪穴住居や貯蔵穴、摩耗石器に土器、混作や海洋資源利用、装飾品の形状やその製作技術、はては絹・布・漆などを揃えても持っているのですが、それだけではなく、個々の文化として切り分けて考えた場合も、それを全て連続的・継続的・段階的に日本列島内の文化歴史としてあります。
文化の遺構や遺物、そしで人骨DNA。古代中国文化の創世時代、それらが揃ってある、そしてそれ以前からあるのは「日本の縄文文化」しかないのです。これは、古代中国文化の創世時代のパッケージ化してて完成された形で揃って現れる”明らかに外来から来た文化”とは違い、日本の中で試行錯誤されながら発展した”文化の発祥地”であるという事です。
実際は『縄文人を祖先に持つ古代沿岸文化圏』と呼ぶべきなのです。
しかし、中国中心主義で、中国から日本に伝えたという偏った先入観、文化は西から東に行く、などのバイアスにより、この『縄文人を祖先に持つ古代沿岸文化圏』と呼ぶべき内容が塗りつぶされているのが現状です。
北縄文人を祖先に持つ古極東文化
これは北回りの『古アムール』もそうですね。
これも東北~北海道の北縄文文化と似た文化やDNAが出ており、やはりそれを連続的・継続的・段階的に揃えて持っている最古は日本列島の北縄文文化です。
もし、判りやすく正確に伝える為に書くなら『北縄文人を祖先に持つ古極東文化』と書くべきでしょうね。
なのにも関わらず、『北縄文人』ではなく『古アムール民族』となっており、更にその『古アムール民族が属する文化』として中身を紹介する時も最古であり最初であるはずの『縄文文化』を最後に書く、派生の端にあるような印象操作をするという徹底ぶりですね。
また、『”縄文文化”と書く』という自体もまたおかしい話です。
古アムール文化とされている縄文文化は、日本の中央や西、南の縄文文化ではなく、東北~北海道の北縄文文化です。こういう所も「曖昧にする」ための書き方では?と思いますね。というのも、北縄文文化以外も入れると「古アムール文化と縄文文化は似ていない部分もある」という論調にされるからです。
日本は長大な距離を持つ国
日本の大きさを中国の中に入れて比較すると下図のようになります。
北は遼河文明地域より北方まで、南は長江文明地域より南まで。南西は東南アジア北部まであり、九州のあたりだと古蜀文明(この民族が、縄文人が沿岸を撤退した後に長江文明を支配する)に到る。
というサイズがあるにもかかわらず、なぜか『縄文文化』は「縄文文化」の中にある地域差・文化特徴をぼかすのですね。

これは南方の古長江文明などの時でもあるのですが、縄文文化に非常に似た文化パッケージが現れているのは明確なのに、それに対して「中国沿岸で見つかる古長江文明の土器の装飾は簡素であり、縄文土器の煌びやかな装飾・紋様の土器と違う」という事が書かれているものも見掛けます。
でも、縄文土器も装飾が煌びやかなのは縄文中期以降で、比較する時代自体が間違っているのですね(意図的なのでしょうかね)。
同じ年代での土器で比較しないといけないのは当然なはずなのですが、それをしない。そして同じ年代での土器で比較すると、その時代の縄文土器は装飾は簡素なものであり、より類似性(共通性)が強調されるだけになります。
ちなみに、周や秦というのは「中国全土を統一した」という具合に言われますが、その支配面積は古墳時代のヤマトと同程度です。

三国志時代の後の晋で、その支配地域は奈良時代の日本の2~3倍ほどです。

さらに、もっと前の春秋戦国時代(BC770~221年、つまり「渡来人が日本に来た」とされる時代)だと、その数十の国の総量が日本の面積と同等ぐらいなのですが、その国がある範囲を東西南北の距離で比較すれば日本よりも小さい中に集まっています。

特に南北の距離で考えると、日本より中国の支配地域が南北で長くなるのは、清の時代と近世になってやっとです。
日本の縄文文化は同時期の中国文化より長大
では、元の位置で緯度で比較するとどうなるか?
● 遼河文明(遼寧省):北緯 40〜42°
● 北縄文文化(北海道):北緯 41〜45°→ 遼河より北
● 東北縄文文化(青森・岩手):北緯 39〜41°→ 遼河と同等〜やや北
● 中央域縄文文化(関東・中部・関西・山陰山陽):北緯 35〜37°
(東西に長いので、経度違いで縄文文化に特色がある)
● 長江文明(河姆渡・良渚):北緯 30〜32°
● 西中央文化(九州):北緯 31〜33°→ 長江文明とほぼ同緯度
● 台湾:北緯 23〜25°
● 南縄文文化(沖縄・南西諸島):北緯 26〜31°→ 台湾と同緯度
つまり、日本列島内の縄文文化は、中国の遼河・黄河・長江文明の位置や規模を完全にカバーできる、古代中国より大きな“長大な文明帯”であるという事です(「広大」ではありません。「長い」んです)。日本国内の縄文文化だけでも、東西2000km以上、南北2000km以上、直線距離で3000km以上に広がる、「古代における世界最大の文明」が縄文文化ですね。
これが更に『縄文文化圏』となると、古アムールや遼河・黄河・長江文明の創成時代の初期古代中国文明も含めるので、東西南北が約3000km四方になります。
他の古代文明と比べてどうかと言うと、
・エジプト文明:南北=1000km・東西=200km
・メソポタミア文明:南北=500km・東西=300km
・インダス文明:南北=1000km・東西=500km
・黄河文明:南北=800km・東西=400km
・長江文明:南北=700km・東西=300km
・縄文文化:南北=2100km・東西=2300km
・縄文文化圏:南北=3000km・東西=3000km
と、どれだけ巨大な文明で巨大文明圏なのかが分かるでしょう。
その中だと地域ごとに多様な文化がありながら、D1a2系統を基盤にあり、連続・継続的、そして交流交易によっての文化的な繋がりもある。という、世界的に見てもかなり稀有な古代文明なのですね(実際は、縄文文化はメッセージのある縄文や刻木がありますから、『世界最古級かつ最大規模の文明』と言うべきなのですけどね)。
また、その年代も
・エジプト文明 約 5,000 年前
・メソポタミア 約 5,500 年前
・インダス文明 約 5,300 年前
・黄河文明(仰韶) 約 7,000 年前
・長江文明(河姆渡) 約 7,000 年前
ですが、
・縄文文化(日本列島) 約 16,500 年前(ただし、これは「縄文土器が出てからの年代」であり、文化自体はさらにそれ以前から連続性がある)という、縄文文化は他の古代文明より1万年やそれ以上に古い上に、しかも「1万年以上の連続性」を持つ文明で、これは世界的に見ても唯一無二ですね。
三内丸山などは15haもあり同時代では最大規模、かつ計画的な配置で、周囲にサテライト邑もあり。十分に「都市」の定義に当てはまります。
これを何故か同一にするので、「いや南縄文の形式と違うから」「いや北縄文とDNAが違うから」と、偏向歪曲した説が出てくるのです。
実は、文化的影響というのは……
調べていくほどに、文化的影響と言うのも「中国→日本」よりも、逆で「日本→中国」の方が、古墳時代以降でも高いです。
特に、生活文化・技術・物資の流れは「中国→日本」よりも「日本→中国」の方が大きい。しかもそれは 生活の根本部分 に関わる領域で顕著です。政治思想(儒教・仏教・律令)は中国→日本ですが、生活技術・物資・工芸・食文化・海洋技術などは日本→中国の流れが圧倒的に多い事実が判ります。
古墳時代〜奈良時代だと、日本→中国の流れが大きい領域として、生活基盤があります。例えば、
● 鉄(特に砂鉄・たたら製鉄)
中国沿岸部は鉄資源が乏しく、日本の鉄(倭鉄)は中国側の重要輸入品でした。
● 漁撈技術・海洋技術
中国沿岸の漁具・船具には縄文〜弥生系の技術が逆流入しています。
● 玉文化(翡翠)
中国の玉文化の起源の一部は縄文〜弥生の翡翠文化の影響が強い。
中世(鎌倉〜室町)だと、日本→中国の流れが急増しています。
● 日本刀(倭刀)
明代の軍隊は「倭刀」を正式採用。中国軍の刀剣体系が日本刀の影響で再編されます。
● 漆器
中国の漆器技術は日本の影響を受けて高度化。
● 木材・硫黄・金・銀
中国は海禁政策で資源不足であり、日本の物資は極めて重要。
琉球王国の時代(室町〜江戸)だと、日本→中国の物流の中心は琉球であり、琉球は中国に対して、
・日本刀
・日本漆器
・日本の木材
・日本の硫黄
・日本の染織品
・日本の陶磁器
・日本の工芸品
を大量に輸出していました。冊封使録には「琉球は日本の物を多く持ち来る」と明記されます。
江戸時代で、長崎貿易で日本→中国の流れがさらに強まり、長崎貿易では、
・日本の銅
・日本の銀
・日本の海産物
・日本の工芸品
が中国に大量に輸出されています。
逆に中国→日本は、
・絹
・茶
・書籍
・陶磁器
など、生活基盤ではなく上層文化が中心です。
このように、紀元前1万年前ほどの氷河期終了時代の古々代から江戸時代にかけて、一貫して「文化的影響は日本から中国に与えたものの方が大きい」と言う事です。
面白いのは、中国からは仏教・儒教・書籍・絹・茶・陶磁器(高級品)・政治思想などの上層文化・思想・儀礼が中心だという事です。
日本→中国の文化は、生活の根本に関わるものが多く、量的にも圧倒的に多い。現代の語彙なんかもそれに含まれます。日本の文化は「生活を豊かにする文化」で、社会の下から上へ広がる文化という感じですね。
それに対して中国→日本の文化は、政治・宗教・思想など“政争を生む上層文化”が中心となっているという事ですね。これも現代でも同じではないでしょうかね。権威・統治のための「支配のための文化」で、社会の上から下へ押し付けられる文化という感じです。
東アジア文化史の本質として、
・日本は生活文化の供給源。
・中国は政治思想・権威文化の供給源。
そして量的にも質的にも、生活文化の流れ(日本→中国)の方が圧倒的に大きい。という事になります。
現在の日本の領域のサイズ
そして、もう1つ重要な事は、日本は古来から「外洋利用民族であった」という事です。
陸地面積だけだと世界61位ですが、海洋面積を入れると世界6位になります。
そのサイズを中国と比較すると、こういう大きさですね。

簡単に言えば、中国の東側とほぼ同面積を持っているのですね。
