金イン(にゃんこさんのタマタマさんではありません)
漢時代は、皇帝が諸侯に与えるものが「金印」で、周辺異民族の王には「銅印」が多かった。
そんな「金印」ですが、他に「銀印」「銅印」などもあり、それがどういうものか、そして日本に贈られている印がどれほど特異な待遇の物なのかを説明します。
【金印】
金印は周囲国の諸王・諸侯に贈られていますが、その金印も大きく2つにわけられます。これは、持ち手のデザインなどにも関係しています。
【力のある対等な国の王】
BC109年の雲南「滇王之印」の金印
AD57年の「漢委奴国王」
AD239年の 卑弥呼は「親魏倭王」の金印
等があります。
これは「王」に贈られたものですが、特筆すべきは魏が贈った金印の文字。
「親魏」とあるのは、かなり破格な対応となります。
【帰順した国の王】
金印でも1つ下が「候」で、これは中国に帰順した王国に与えられている金印です。
チベット系の氐族(テイ族)首領に下賜された「魏帰義氐侯」 の金印
西晋「晉帰義叟王」 の金印
他の金印を見ると判るのですが、委奴王は諸王並みに遇されている(当然ながら「候」より「王」の方が遇されます)。特に卑弥呼に贈られているのは「親魏」であり、倭人の国は魏として大変に優遇した位置にあるのが判る。
当時の魏にとり、倭人の国というのは親しい間柄と公表する間柄だったのか、必要性があったのか。そういう事です。
それより下、周辺国だと銀印や銅印になる。
【漢委奴国王】
この『漢委奴国王』だが、意味を色々と考察されている。
例えば「委」は「倭」だったり、「委奴國」は「イト國」だったりです(ちなみに、「イト國」はありえない。この頃の「委」は「·wjər」、「奴」は「nag」と発音するので)。
でも、他の金印を見ると、大体分かるかとは思います。
・帰属した場合
「(主)帰(國王」
立場としては主の下にはなりますが、将兵より上で自主権があります。
・配下として属する場合
「(主)率(役割)」
立場としては将兵となります。
・属国の場合
「(主)国王」
主の一部という形で、自主権がありません。
という感じですね。
そして、『漢委奴国王』は、
「漢・委・奴國王」だとは思います。すなわち、「ゆだねる」ですね。れは帰属でも配下でも属国でもない立場という事です。
【銀印】
銀印の事例だと、以下の物がある。
【異例の好待遇】
魏志倭人伝に書かれている、使者に贈られている銀印である。
倭使節大使は「魏率善中郎将」銀印
倭次使は「魏率善校尉」銀印
ここで倭の使者に贈られたのは「銀印青綬」であるというので、特別な印になる。二千石には皇帝の許可なく逮捕できない特権や、兄弟や子を郎に就けることができる任子などの特権があった地位であり、比二千石以上の官が持つ印綬が「銀印青綬」となる。
・「魏率善中郎将」銀印は「宮城護衛の武官の長」という官職
・「魏率善校尉」は「軍事や皇帝の護衛をつかさどる官」という官職
であり、魏帝に近い位置で立てる高位の官職である。この「二千石」というと、楽浪郡などの郡太守と同じ給与であり、2000石(穀物200トンに相当)の官吏の場合、年金額はその年俸の1/3 になります。普通に考えて使者に贈る様な印ではないですので、どれほど優遇していたか判ります。
魏が倭の「使者」個人に銀印を贈った事例は、依然として中国の冊封慣例から見ると極めて異例であり、倭への特別な配慮や意図があったことを示すものであるという認識は変わりません。
使者への「贈答品」としては、金銀財宝、絹織物、衣服、馬などが一般的であり、印章が個人(しかも君主ではない)に与えられることは、通常の「贈り物」の範疇を超えた意味を持ちます。
「金印」に注目はされ、その文字にも目が向けられますが。
それがどれほどの厚遇された扱いだったのかは、「銀印」の存在の方が特異だと言えます。
【滅ぼした国の管理者】
一般的な銀印の例とすると、こちらになります。
海南省「朱廬執刲」銀印
「朱廬執刲」は、西漢(前漢)の時代に贈られているもので、西漢が設置した「朱廬県」の「執刲」と呼ばれる官職の長に与えられた印とされています。
「朱廬(しゅろ)」: 漢代に海南島に設置された県名です。漢の武帝の時代(紀元前2世紀末)に南越国を滅ぼし、海南島に朱崖郡と儋耳郡を設置しましたが、後に朱廬県も置かれました。
「執刲(しっき)」: これは、海南島などの少数民族(特に黎族など)の首長に対して与えられた官職名と考えられています。「刲」は「酋長」や「首領」を意味する漢字であり、漢王朝が現地の有力な部族長を、その地の統治者として任命した際に授与した印章です。
『楽浪郡』など漢四郡の太守が印を贈られているなら、やはり銀印です。給与も倭の使者と同じ二千石です。
「朱廬執刲」銀印は、以下の点で倭の使者への銀印授与とは性質が異なります。
授与対象:
朱廬執刲: 漢王朝が直接支配下(県)に置いた地域の「現地の首長」に対して、その地の行政官(漢の官職)として任命する際に与えられたものです。これは羈縻政策の一種であり、「その土地の君主」として漢王朝に組み込まれた人物への授与と見なせます。
倭の使者: 魏が「独立した外国(邪馬台国)」の「使者」という、本来は単なる外交の代理人に過ぎない個人に対して与えられたものです。使者は、その土地の支配者ではありません。
目的:
朱廬執刲: 漢王朝が海南島を直接支配するために、現地の有力者を体制内に組み込み、その地の統治を代行させる目的で授与されました。これにより、漢は現地の反乱を抑え、安定的な支配を目指しました。
倭の使者: 魏が倭(邪馬台国)という遠方の独立勢力との「特別な外交関係」を築き、その威信を示す目的で授与されたものです。
したがって、「朱廬執刲」銀印は、中国が自らの支配領域内(またはその辺境)の有力な「君主・首長」を冊封・任命する際に与えた銀印の典型的な例と言えます。これは、本来であれば最高位の君主や諸侯に与えられる金印の次位であり、「朱廬」という遠隔地・辺境ではあるものの、その地の「君主」に対する冊封の一環と位置づけられます。
【銅印】
銅印の事例だと、以下の物がある。
【服属した王】
匈奴王「漢匈奴悪適尸逐王」銅印
冊封体制における銅印の位置づけは、
中国王朝の印章授与の階級において、銅印は金印・銀印に次ぐ地位を示します。
一般的に、中国の皇帝が周辺の異民族の王に下賜する印章は、多くが銅印でした。これは、彼らが「藩属」(属国)としての地位にあることを示しつつも、直接的な中国の官僚ではないことを区別するためです。
倭の使者への銀印が以下に異例なのかが分かるかと思います。周辺の異民族の王より上の銀印で、皇帝に近い位置の身分と保証したのですから。
この「漢匈奴悪適尸逐王」銅印ですが、当時の状況を見ると、
匈奴への対応:
匈奴は、漢代を通して中国の最も手ごわい対外脅威であり、時には同盟関係を結び、時には激しく衝突しました。
この印章が授与された「悪適尸逐王」は、おそらく後漢に服属した南匈奴の部族長の一人、あるいは後漢の承認を得て王を称していた人物と考えられます。
漢王朝は、匈奴を完全に支配下に置くことは困難であったため、服属を表明した一部の匈奴の王に対し、彼らの地位を認める形で印章を授け、間接的な統治を図りました。これは、「羈縻(きび)政策」の一環として行われたものです。
「漢匈奴悪適尸逐王」銅印は、中国王朝が主要な辺境の異民族の王に対して、その地位を承認し、間接的な支配を示すために与えた標準的な印章の一つであり、その材質(銅)は、その当時の匈奴の位置づけを示しています。
ちなみに、辰王の官は「率善佰長」銅印である。これは後に説明する「魏率善韓佰長」銅印・「晉率善穢佰長」銅印と同じで、一番下の官位であり、服属した王よりも下の地位になる。
魏の時代だと「率善邑君」「率善邑長」「率善尉」「率善都尉」「率善佰長」などの六官で構成されており、魏の時代だと積極的に邑に与えていたようである(これが、三国志東夷伝韓条で、國名が書かれていた理由ですね)。
【影響力を誇示するもの】
他に銅印で、
「魏率善韓佰長」銅印:朝鮮半島慶州でAD3世紀頃に弁韓の豪族の首長が官爵を受けている(意味は「魏として(弁韓人=倭人が)韓(辰韓人)を良く管理しているので佰長と認める」です)。
「晉率善穢佰長」銅印:朝鮮半島浦項市でAD4~5世紀に、やはり弁韓の豪族の首長が官爵を受けている(意味は「晋として(弁韓人=倭人が)濊(濊人)を良く管理しているので佰長と認める」です)。
字面を見る限り、韓(辰韓)や濊からの移住者が多い場所だったのでしょう。これは三国志東夷伝韓条にも「弁辰與辰韓雜居(弁辰は、辰韓が一緒に住むことを許していた)」という文に整合しますね。
ここで大事なのは「與」の文字が使われている事で、主体は「弁辰」にあり、その「弁辰」が「辰韓」が住むことを許していた(与えていた)という意味になります。つまり、この朝鮮半島で見つかった銅印は、倭人の邑長に贈られたものであるという事です。
よくある間違いで
・「魏率善韓佰長」を「韓(辰韓)の國があった」
・「晉率善穢佰長」を「穢の國があった」
と解釈しているのを見掛けますが、そうは書かれていません。
その場合は、
・「魏韓率善佰長」
・「晉穢率善佰長」
のように書かれます。「魏」や「晋」は贈った中国王朝、「佰長」は「百戸の長」という事ですので、ここを除いて考えればよく分かるのですが、
・「率善韓(韓人を良く管理している)」
・「率善濊(濊人を良く管理している)」
と書かれています。
・「韓率善(韓は良く管理している)」
・「濊率善(濊は良く管理している)」
とは書かれていないのですよね。少しの違いですが、言葉順は重要な意味を持っています。
中国王朝が、その地域の支配者(弁韓=倭人の豪族の首長)に対し、彼らがその地の「韓人」や「濊人」をうまく統治していることを評価し、その功績を認めて官職を与えている、というものです。
今の感覚で言えば、海外の国が日本在住の日本人に賞を贈ったようなものです。
これがどれぐらい優遇されたものであるかというと、
其十二國屬辰王辰王常用馬韓人作之世世相繼辰王不得自立爲王
ここに出てくる、辰韓12ヵ国を管理する『辰王』の官が、慶州や浦項市で見つかった銅印と同じ「率善佰長」銅印なのである。
ちなみに馬韓の各国自体には、
其官有魏率善邑君歸義侯中郎將都尉伯長
とあるように、『魏率善』様々な官位を与えられている。魏の時代だと「(魏)率善邑君」「(魏)率善邑長」「(魏)率善尉」「(魏)率善都尉」「(魏)率善佰長」と与えられているが、『辰王』はその中でも一番下の閑職になる。
【琥珀印】
変わったところに琥珀印がある。
海南島対岸の「労邑執刲」琥珀印
琥珀印と銅印の方がどちらが上かは分からないが、文字を見ると優秀成績な官僚に琥珀印を渡したのかもしれませんね。
【綬】
印が玉・金・銀・銅・琥珀という順番で玉は皇帝がが使うものであり、それを除くと金が最も高い印ですが、もう1つ大事な部分として、『綬』があります。
綬の色は身分を示す指標となります。
【黄赤綬】
皇帝が身につけた綬ですね。
黄色を基調として、黄色・赤色・縹色(薄い青)・紺色の4色で模様が織り込まれています。「多色」とも呼んでいますね。皇帝以外だと、太皇太后、皇太后、皇后が同じ黄赤綬を身に着けられる身分になります。
皇太子は赤綬になり、これは諸侯王と同じ身分になります。
【綟綬(緑綬・盭綬)】
諸国の貴人と相国に与えられた綬で、緑色を基調として、緑色・紫色・紺色の3色で模様が織り込まれています。秦おいて相国・丞相は金印紫綬でしたが、高帝(劉邦)が相国を緑綬としました。
【紫綬(緺綬)】
三公(太尉・司徒・司空)と列侯・将軍に与えられた綬で、紫色を基調として、紫色・白色の2色で模様が織り込まれています。公主と封君も紫綬を与えられました。紫綬は緺綬とも言い、緺の色は青紫色です。
三公とは中国およびその影響を受けた東アジア諸国の前近代の官制において、最高位に位置する3つの官職です。漢代では最高位の官職ですが、魏の時代では最高位の名誉職になっています。
「親魏倭王」金印紫綬なのは、魏なりの葛藤が伺えます。
というのも、魏の臣従國の諸侯王であれば金印紫綬ではなく金璽綟綬になるからです。ところが金璽綟綬でないところに、倭人の国が魏に属していなかった事を示しています(金印の文字も「親魏」ですからね)。
また鈕の形も、魏に属している諸侯王なら慣例として"亀"になりますが、倭の王は"蛇"になります(脚らしきものがあるので個人的には"龍"ではないかと思いますが……"龍"は東方と木を指しますし。ちなみに中国皇帝玉璽は"虎"であり、道教の四神を取り入れているのだとは思います)。BC109年の雲南「滇王之印」の金印は"蛇"で、諸侯王は"亀"になります。この組み合わせで判るように、臣下になっている諸侯は"玄武"です。ほか、従属した異民族のような外様だとラクダなどもあります。
そのような経緯もあり、『倭人の王』には最上位の名誉職となる金印紫綬となったのでしょう。
どれも中国の慣例から逸脱しているのが、魏から見た『倭人の国』の厚遇した扱いになります。
『「倭国」の代表政権としての「邪馬壹国」は「卑弥呼」「壱与」と継続して「魏晋朝」に臣事していた』と、中国の史料を見るとそう書かれており、そう説明をしているものも多く見掛けます。しかし、金璽綟綬ではないが金印を贈っていることから、倭人國は中国に臣従していた国ではないという事も判ります。また鈕の形が、臣従国なら亀、元は重用していたが遥かに離れてしまった国なら蛇、聖域の外様国ならラクダといったものですが、日本は龍という事もありますし、中国に属していないが貴人としての紫綬になっている事から、地位的には「対等な友好国」の扱いになります。
【青綬】
九卿と中二千石、二千石の官吏に与えられた綬で、青色を基調として、青色・白色・紅色べにいろの3色で模様が織り込まれています。
九卿とは、古代中国で政務を分担した高い官職の総称。最高の地位は三公で、九卿はその下。まとめて三公九卿という言い方もあった。九卿に入る職として礼儀祭祀を担う太常、宮中警備を担う光禄勲、宮門警備を担う衛尉、車馬の管理を担う太僕、司法を担う廷尉、来朝者の応対・接遇を担う大鴻臚、皇族の処遇を担う宗正、国家財政を担う大司農、宮中財政を担う少府などがある。
また、楽浪郡や帯方郡といった太守はこの「二千石の官吏」になります。
倭使節大使の「魏率善中郎将」という地位は光禄勲に属し、五官中郎将、左中郎将、右中郎将、虎賁中郎将、羽林中郎将と地位としては同等になる。
これも中国の慣例から見ると、逸脱した厚遇なんですね。
【黒綬(墨綬)】
千石と六百石の官吏に与えられた綬で、青色を基調として、青色・赤色・紺色の3色で模様が織り込まれています。
【黄綬】
四百石と三百石、二百石の官吏に与えられた綬で、青色を基調として、黄色1色で模様が織り込まれています。
【黄綬】
四百石と三百石、二百石の官吏に与えられた綬で、青色を基調として、黄色1色で模様が織り込まれています。
【倭人國に対する懐柔政策】
倭人國に対する印は、
金印
・AD57年の「漢委奴国王」
・AD239年の 卑弥呼は「親魏倭王」の金印
銀印
・AD239年の倭使節大使は「魏率善中郎将」銀印
・AD239年倭次使は「魏率善校尉」銀印
銅印
・魏率善韓佰長(AD239年以降265年まで)
・晉率善穢佰長(AD265年以降420年まで)
と、中国は倭人國に対して、大変に友好的な印を与えています。
これからも似たような印は出てくる可能性は高いでしょうね。
また、AD239年の 卑弥呼は「親魏倭王」の金印というのは、漢代から続く倭人との取引を魏代でも続けることを頼んだものだとうというのも判ります。実際、この前年のAD238年までは倭人の交易相手は楽浪郡・帯方郡を持っていた公孫氏ですので。
