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[実話] 深夜の公園、僕の聖域が「元警察」を名乗るおじさんに侵略された話

金曜日の夜、22時30分。僕にとっての「聖域」への入り口が開く時間だ。
近所のローソンでメガカフェラテを買い、イヤホンから流れる深夜ラジオに耳を傾ける。夜風が火照った頬を撫でていくのを感じながら、僕は決まった公園のベンチへと向かう。バッグの中には、愛用のロルバーンのノート。そこには、今週あったことの振り返り、個人的なニュース、そして来週の予定を書き連ねる。
僕は、ロルバーンに淡々と「今週の良かったこと」と「悪かったこと」を記録するのが好きだ。それは自分自身を客観視し、心の平衡を保つための大切な作業だった。
しかし、今週の最後の最後。僕のノートには、間違いなく「今週一番悪いこと」として、あの一件が刻まれてしまった。

邪魔された「一人」という聖域

僕にとって、深夜ラジオは単なる娯楽ではない。誰にも邪魔されず、一人という空間を存分に楽しめる唯一の贅沢だ。イヤホン越しに聞こえるパーソナリティの声と、自分の思考。その絶妙な距離感こそが、僕を社会のしがらみから解放してくれる。
それなのに、深夜0時。僕の平穏は、突然の「善意」という名の侵略によって壊された。

「……君、大丈夫か?」

不意に声をかけられた。顔を上げると、60歳くらいだろうか、タバコを片手に持ったおじさんが立っていた。
最初は、夜遅くに一人でいる若者を心配した、通りすがりの親切心だと思った。しかし、そのおじさんは僕を値踏みするようにじっと見つめ、やがて僕の想像を絶する言葉を口にした。

「……いじめられてないか?」

いじめ? 僕は耳を疑った。4ヶ月間、毎週欠かさず同じ場所で日記を書いている僕にとって、ここは「変な場所」などではない。だが、おじさんにとっては、この時間に一人でいる人間は「家から追い出された」か「何らかのトラブルに巻き込まれている」人間という定義らしい。
おじさんはさらに踏み込んできた。

「僕、元警察なんだよ」

と。
「元警察」という権力の影と、屈辱的な証明
その一言が放たれた瞬間、空気が凍りついた。
僕は成人だ。自分の生活を自分で守っている。それなのに、なぜ深夜にノートを書いているだけで、元警察だか何だか知らないおじさんに詮索されなければならないのか。
理屈ではそう分かっている。なのに、「警察」というワードに過剰に反応し、萎縮してしまう自分がいた。
「やっぱり変やな。知り合いの警察に言おうか?」
何もしていないのに、なぜ警察沙汰に? 恐怖と、同時に湧き上がる強い不快感。僕はただ、平穏にノートを書きたいだけなのに。おじさんは、僕が否定すればするほど、自分の中の「正義のシナリオ」を強固にしていく。
「じゃあ、心配だから家まで着いていくわ。虐められてないって証明せえ」
狂っている。そう思った。しかし、ここで反発してさらに拗れるのも嫌だった。僕は屈辱を飲み込み、おじさんを後ろに従えて家まで歩いた。
ようやく自宅が見えてきた。玄関の前で振り返ると、おじさんはすぐには立ち去らなかった。家の前を15分もの間、行ったり来たりとウロチョロしている。僕が家から追い出されていないか、確認しようとしているのだろう。
その姿を見たとき、恐怖よりも先に、どうしようもない「嫌悪感」が込み上げてきた。僕の聖域どころか、僕の住処まで踏み荒らされたのだ。

家族の怒りと、大人であることのジレンマ

翌朝、僕は両親にこの一部始終を話した。どんな反応が返ってくるか不安だったが、話を聞いた親の表情は、怒りに満ちていた。
「そんなの老婆心だよ。本当に余計なお世話だし、ありがた迷惑にも程がある」
両親は僕と同じか、あるいはそれ以上に怒ってくれた。その言葉に救われる思いがした。やはり、僕が感じた「不快感」は間違っていなかったのだ。しかし、同時に彼らは僕の安全を心配し、「来週からは一緒に散歩に行こうか」と提案してくれた。
それはありがたい申し出だ。けれど、その言葉を聞いて、僕は心の中で深く溜息をついた。
(いや、僕は成人なんだよな……)
そう、僕はもう自分の生活を自分で守るべき大人だ。深夜にコーヒーを飲み、ラジオを聴き、一人で思考を整理する。そんなささやかな自立を、ただの一人のおじさんに踏みにじられ、挙句の果てに親にまで守ってもらわなければいけないのか。
その事実に、情けなさと、言いようのない無力感が込み上げてきた。
本来であれば、僕の金曜の夜は僕のものだ。誰にも侵されない、僕の聖域であるはずだ。それが、たった一人の「元警察」を名乗る老婆心によって、これほどまでに脆く崩れ去るものなのか。
深夜の自由を、どこまで守り抜くべきなのか
あれから、僕はロルバーンのページを前にして、来週の予定を書けずにいる。
あそこには、もうあの時のような安らぎは存在しないのかもしれない。深夜の自由を、どこまで守り抜くべきなのか。
世の中には、善意の皮を被った暴力がある。「君のためを思って」という言葉ほど、残酷なものはない。おじさんにとっては、それは正義の行いだったのかもしれない。孤独な誰かと繋がりたかったのかもしれないし、単に退屈を紛らわせたかっただけかもしれない。
けれど、その「善意」は、僕の金曜日の夜を壊した。
もし同じような経験をした人がいたら、教えてほしい。こういう時、どう対処するのが正解だったのだろうか。毅然と追い払うべきだったのか、それとも、ただやり過ごすのが賢明だったのか。
僕は今日も、ロルバーンの薄黄色のページを前に、答えの出ない問いを書き殴っている。誰にも邪魔されないはずの、僕だけの時間。その尊さを守るために、僕らはどこまで戦えるのだろうか。
深夜の公園。そこはもう、僕だけの場所ではなくなってしまったのかもしれない。けれど、僕はまた、いつか安心してメガカフェラテを飲める夜を取り戻したいと願っている。

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