【デジタル巡礼】物語の地層:八幡竈門神社

透析を受けながら、構成を考えています。
ポンプが一定のリズムで血を回す。体内の毒を濾し、生を調律するこの4時間は、僕というハードウェアを再起動させるための、静かな「調律」の時間だ。
無機質な機械音を聴きながら、僕は意識を別府湾を見下ろす高台、鬼の伝説が眠る地層へと飛ばす。

大分県別府市、八幡竈門神社。
ここには、一夜で百の石段を造ろうとした鬼の伝説がある。夜明けの鶏の鳴き声に驚き、九十九段で逃げ出した鬼。現実の方が、あとから無理やり伝承の空白を埋めたような、奇妙なバグが形になった場所だ。
九十九段目、鬼も膝が笑ったかな?
そんなことを考えながら、僕は夏物の薄いコートの裾を揺らし、石段の前に立つ。
リネンの生地は熱風をはらんで軽い。だが、身体にのしかかる重力(設定)が軽くなったわけではない。むしろ、遮るもののない夏の陽光が、不自由の輪郭をより鮮明に描き出している。
九十九の石段を一段、また一歩。
透析後の身体にとって、この「鬼が造り損ねた地形」は、なかなかにタフな仕様だ。足裏から伝わる石の不揃いな感触が、僕のセンサーを鋭く叩く。一歩ごとに、心臓の鼓動が耳の奥でリズムを刻み、僕は別府の重たい湿気を肺いっぱいに吸い込む。全集中の呼吸。それは、未完成の自分をこの地形に繋ぎ止めるための術だ。この負荷が、答えだ。
あの物語の少年は、鬼にされた妹を連れ、終わりなき階段を登るような旅を続けた。
ベッドの上で機械に血を預け、三日に一回の「浄化」を繰り返している僕もまた、自分の中にある「鬼」のような不自由と共存している。それを駆逐するのではなく、連れて歩く。九十九段で足を止めても、そこでしか吸えない空気があるだけだ。

境内の隅から、別府特有の硫黄の匂いが微かに漂い、鼻を突く。
ふと、ふもとの地獄蒸しで見た「蒸したてのジャガイモ」の、あのホクホクとした匂いを思い出す。ゆでたまごあったかな? 醤油をひと垂らししただけで、世界が救われるような暴力的な生の誘惑。高潔な伝説の思索に耽る暇もなく、空腹が思考を塗りつぶしていく。それでいい。
俺も、あの鬼のように、夜明けに逃げ出したくなることがあるだろうか。
毎週、装置という「巨大な理(ことわり)」に生命線を預けている人間が、逃げ去った鬼の背中に、妙な親近感を抱いている。その滑稽なまでのシンクロ。それでも、別府湾を臨む青い水平線を網膜に焼き付け、口の中が熱いアスファルトを歩いているような渇きを感じているうちは、僕は僕という物語を降りずに済む。

ふと、石段を軽快に駆け上がっていく地元の部活生たちが、夏物のコートをなびかせて立ち止まる僕の後ろ姿を、いぶかしげに振り返る。場違いな装備。そして、一段一歩の重さを噛み締めるような、独特の歩法。僕は何も言わず、ただ鬼が踏み外したとされる「石の窪み」を見つめる。こういう場所に来ると、自分の不自由も、伝説の途中で投げ出された「愛すべきバグ」みたいに、少しだけ誇らしく思える気がした。
不自由なくらいじゃないと、人はちゃんと地面を踏めない。
……なんて、また格好をつけすぎた。
境内を去る頃には、夏物コートは潮風を吸って微かに重くなり、ふくらはぎは心地よい疲労を訴えていた。
でも、そんな身体で飲む水の味は、透析室のそれよりも、ずっと生々しい。
大ふべん者。
……だが、それがいい。
楽しんだやつが、持っていく。

