【元小学校教師の記録⑪】教師ではなくなった私
20年間勤めた教員を辞める。
それは、私にとって大きな決断だった。
たくさん悩み、いろいろな人に相談した。
学年の途中で辞めることになるため、一緒に働く先生方や子どもたちに迷惑をかけることも分かっていた。
だからこそ、1学期の間は、引き受けられる仕事をできる限り行った。
2学期以降の準備や引き継ぎも、早めに進めた。
教員不足の中、後任の先生がなかなか見つからない状況だったが、夏休みの前半に後任が決まった。
その知らせを聞いたとき、ようやく肩の力を抜くことができた。
最後まで、たくさんの人に助けてもらった。
様々な場所で送別会を開いていただき、花束や温かい言葉をいただいた。
私は、本当に幸せな教員人生を送ったのだと思う。
20年間。
大変なことも、悩んだこともあった。
それでも、最後に残ったのは、
「やり切った」
という気持ちだった。
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退職に合わせて、引っ越しもした。
長年暮らした場所を離れ、夫のもとへ向かった。
たくさんの人に見送られながら、私は新しい生活へ旅立った。
寂しさはあった。
けれど、不思議と後悔はなかった。
教師としてできることは、もう十分にやった。
これからは、夫との生活を大切にしよう。
そう思っていた。
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そして始まった、夫との暮らし。
仕事のない生活だった。
朝、学校へ行かなくていい。
授業の準備をしなくていい。
学級通信を書かなくていい。
誰かのために、明日の予定を考えなくていい。
最初は、自由だった。
長い間できなかったことをした。
ゆっくり起きる。
家のことをする。
夫と過ごす。
穏やかな毎日だった。
夫と暮らせることは、幸せだった。
それは、間違いなかった。
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時間があるので、夫の休みに合わせて旅行の計画を立てた。
私は以前から、いつか47都道府県すべてを訪れてみたいと思っていた。
その夢を、夫と一緒に叶えていくことにした。
車に荷物を積み込み、中国・四国地方を巡る旅に出た。
行ったことのない場所を訪れる。
知らない道を走る。
その土地のものを食べる。
夫と二人で、次はどこへ行こうかと話す。
そんな時間が、本当に楽しかった。
教員時代には、なかなか味わうことのできなかった時間だった。
忙しい毎日の中で、夫とゆっくり過ごすこと。
予定を合わせること。
二人で旅をすること。
当たり前のようで、私たちにとっては、決して当たり前ではなかった。
退職したからこそ、できたこともたくさんあった。
夫と過ごす毎日は、幸せだった。
今でも、あの旅は大切な思い出として残っている。
私は、教員という仕事を辞めたことで、失ったものばかりを見ていたわけではない。
むしろ、長年働き続けてきたからこそ、初めて手に入れた時間もあった。
夫婦として過ごす幸せ。
それを、たくさん感じることができた。
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夫と暮らす毎日は、幸せだった。
それは、間違いなかった。
でも、少しずつ何かが違ってきた。
時間はある。
体力もある。
それなのに、私は何もしていない。
朝起きて、家事をして、買い物をして、一日が終わる。
そんな毎日だった。
「主婦」という言葉が、自分にはどうしてもしっくりこなかった。
私は、教師だった。
20年間、毎日誰かと関わり、誰かのために働いていた。
子どもたちの前に立ち、授業をし、悩み、考え、誰かと一緒に何かをつくっていた。
それが、突然なくなった。
私は、何者なのだろう。
教師ではない。
会社員でもない。
夫と暮らす毎日は幸せなのに、何かが足りない。
その感覚を、私はなかなか言葉にできなかった。
退職して、1カ月、2か月と穏やかに日々が過ぎていった。
自由な時間を満喫した。
でも、やがて、時間を持て余すようになった。
そして、考え始めた。
もう一度、働いてみようか。
教師ではない仕事を。
これまでとは違う仕事を。
20年間、教師として働いてきた私が、「未経験者」として新しい世界に飛び込むことになる。
そのときの私は、まだ知らなかった。
40代での再スタートが、思っていた以上に厳しいものになることを。
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▶ 次回
【元小学校教師の記録⑫】
「40代、未経験の就職活動」
20年間の教員経験があっても、社会に出れば「未経験」。
教師という肩書きを失った私が、初めて自分の市場価値と向き合うことになった就職活動について書いていきたい。
