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「買う人がいるから売る人がいる」で法律を作っていいのか――フランス・スウェーデン・ベルギー、三つの制度実験から考える

「買う人がいるから、売る人がいる」

性売買をめぐる議論では、非常に分かりやすい言葉である。

需要があるから供給が生まれる。

ならば、売る側ではなく買う側を処罰し、需要そのものを減らせばいい。

この考え方を制度として世界に先駆けて採用したのがスウェーデンだった。

その後、フランスなども同じ方向へ進んだ。

日本でも近年、

「売春する女性ではなく、買春する男性を処罰すべきだ」

という議論が強くなっている。

一見すると、とても分かりやすい。

しかし私は、ここに一つ大きな疑問を感じる。

「買う人がいるから売る人がいる」

という市場の説明と、

「だから買う人を刑罰で処罰すれば、売る人が安全になる」

という政策効果は、

本当に同じなのだろうか。

これは似ているようで、まったく別の問題である。

法律は道徳的に分かりやすい物語を作るために存在するのではない。

現実の被害を減らすために存在する。

だから問わなければならない。

買春者を処罰した結果、

性売買そのものは減ったのか。

地下化しなかったのか。

性労働者は安全になったのか。

客を選びやすくなったのか。

警察に相談しやすくなったのか。

搾取者への依存は減ったのか。

人身取引は減ったのか。

そして、性産業から離れたい人は、本当に離れやすくなったのか。

この問いを考えるうえで興味深いのが、

スウェーデン。

フランス。

ベルギー。

三つの国が選んだ、異なる制度である。

■スウェーデンが作った「買う側を罰する」という発想

1999年、スウェーデンは性サービスを購入する側を処罰する制度を導入した。

いわゆる「北欧モデル」「ノルディックモデル」の原型である。

考え方は明快だった。

売春をする人、とりわけ女性を犯罪者として処罰するのではない。

性を購入する側に責任を負わせる。

そして需要を減少させることで、最終的には売春そのものを縮小させていく。

これは従来の売春規制とはかなり違う。

従来型では、路上で客を待つ女性など、目に見える売る側が警察の取り締まり対象になりやすかった。

それを反転させ、

「売っている女性ではなく、買う男性こそ問題なのだ」

と考えた。

政治的メッセージとしては非常に強い。

さらにスウェーデンは、この考え方を後退させていない。

むしろ2025年には、一定のオンライン上の性的行為についても、対価を払って個別に行わせる行為を刑罰の対象へ広げた。

つまり現在のスウェーデンは、

「買春者処罰を試したものの失敗したので撤回した国」

ではない。

今でも基本思想を維持し、むしろ対象を広げている。

ここは公平に見なければならない。

■しかし「需要を処罰した」ことと「当事者が安全になった」ことは同じではない

問題はここからである。

需要側を犯罪化すると、需要が一定程度減少する可能性はある。

しかし需要がゼロにならない場合、残った取引はどうなるのか。

取引そのものが犯罪に関係する以上、客は警察から見つかりにくい場所を求める。

人目につかない場所。

オンライン。

個人的な紹介。

閉鎖的なネットワーク。

こうした方向へ市場が移動する可能性がある。

すると性サービスを提供する側にも別の問題が生まれる。

客が減れば、収入を確保するために以前なら断っていた客まで受け入れなければならなくなるかもしれない。

客側が逮捕を恐れれば、事前の交渉時間を短くするよう要求するかもしれない。

取引場所が人目から遠ざかれば、暴力が発生したとき第三者に発見されにくくなるかもしれない。

これは、

「買春者処罰は必ずこうなる」

という意味ではない。

重要なのは、

「需要を犯罪化する」

という政策には、このような副作用の可能性もある以上、

実際のデータによって検証しなければならないということである。

■「強姦が増えた」という研究も、その後再検証された

ここで注意したいことがある。

スウェーデンの買春者処罰制度をめぐっては、

「制度導入後、強姦犯罪が増加した」

という研究が注目されたことがある。

日本でも、

「合法的に性を購入できなくなった男性が強姦へ向かったのではないか」

という説明とともに紹介された。

しかし、この研究については後に再検証が行われ、

同じ結論を再現できないという批判が出ている。

したがって、

「北欧モデルを導入すると強姦が増える」

と断定することも適切ではない。

ここから分かるのはむしろ逆である。

性売買政策は、

自分の思想に都合の良い数字を一つ持ってきて、

「ほら、成功した」

「ほら、失敗した」

と言えるほど単純ではない。

だからこそ、

制度全体を見る必要がある。

■フランスも2016年に「買う側処罰」へ進んだ

フランスは2016年、買春者を処罰する制度へ大きく舵を切った。

同時に、売春から離れたい人への支援制度なども設けた。

思想としてはスウェーデンに近い。

売春を、

自由なサービス取引というより、

社会的・経済的な力関係の中で生まれる搾取として捉える。

そのため、

売る側を処罰するのではなく、

需要側に責任を負わせる。

この発想自体には一貫性がある。

ところが重要なのは、その後である。

フランス政府自身が2020年に行った法律の評価では、

全国レベルで十分な政策運営が行われていないこと、

性売買の形態が変化していること、

健康・社会支援に不足があること、

性的搾取への対策をさらに強化する必要があることなど、

さまざまな問題が指摘された。

つまり、

「買春者を犯罪にしたから問題が解決した」

という単純な評価にはなっていない。

■法律として認められたことと、政策として成功したことは違う

フランスの買春者処罰制度については、

欧州人権裁判所でも争われた。

2024年、欧州人権裁判所は、

フランスの制度が欧州人権条約上の私生活尊重の権利に違反するとは認めなかった。

これだけを見ると、

「北欧モデルは正しいと裁判所が認めた」

ようにも見える。

しかし、それも違う。

裁判所が判断したのは、

フランス政府がそのような制度を採用することが、人権条約に違反するかどうかである。

「この政策が性労働者を最も安全にする制度である」

と認定したわけではない。

ここは非常に重要である。

合法性と政策効果は別問題なのだ。

■そしてベルギーは、まったく逆方向へ進んだ

ここで非常に興味深い国がベルギーである。

ベルギーは2022年、性労働を刑法から外す方向へ進んだ。

成人同士が合意した上で行う性サービスについて、

売る側だけでなく、

買う側も原則として犯罪者にしない。

これはスウェーデンやフランスとは、ほぼ反対方向である。

しかし、

「何でも自由にした」

わけではない。

ここを間違えてはいけない。

■ベルギー型は「無規制」ではない

ベルギーで成人が自発的に性労働を行うことは犯罪ではない。

成人の性労働者へ料金を支払う客も、それだけでは犯罪ではない。

一方で、

本人を強制して性労働をさせる。

搾取して利益を得る。

本人が辞めることを妨害する。

人身取引を行う。

合意された条件を破り、性的自己決定権を侵害する。

こうした行為は当然、処罰対象になる。

つまりベルギーがやろうとしているのは、

「性産業をなくすために取引自体を犯罪化する」

ことではない。

「成人同士の合意による取引」と

「強制・搾取・人身取引」を

できるだけ切り分けようとする制度である。

■さらにベルギーは「労働法」で性産業を統治し始めた

ベルギーはさらに踏み込んだ。

2024年12月から、

一定の条件を満たした性労働者について正式な雇用契約を結べる制度が始まった。

ここが非常に興味深い。

性労働者にも、

社会保障。

雇用上の権利。

安全基準。

労働者としての保護。

を与える。

しかし性という行為には、通常の労働とは決定的に違う問題がある。

「雇用契約を結んだから、雇用主の指示どおり性行為をしなければならない」

などという制度にしてしまえば、

それは別の形の搾取になってしまう。

だからベルギーでは、

性労働者が客を拒否する権利。

特定の行為を拒否する権利。

行為の途中で中止する権利。

自分自身で条件を設定する権利。

などを明確に認めている。

つまり、

「契約した以上、やらなければならない」

ではなく、

性的同意はその瞬間ごとに撤回できる、

という原則を労働法の中へ組み込もうとしている。

■これは「売春を肯定するか」という話だけではない

ここで議論がすぐ、

「売春を肯定するのか」

「女性の商品化を認めるのか」

という道徳論へ戻ってしまう。

しかし政策を考えるなら、

もう一段分けた方がいい。

個人が売春という行為をどう評価するか。

国家が現に存在する性産業をどう統治するか。

これは同じ問いではない。

ある人が、

「私は売春というものを望ましいとは思わない」

と考えながら、

同時に、

「だからといって地下化させるより、社会保障と警察と医療につながりやすくした方が被害は減るのではないか」

と考えることは可能である。

逆に、

「本人が選んだ仕事なのだから自由だ」

というだけで、

搾取や人身取引を放置していいわけでもない。

重要なのは、

好きか嫌いかではなく、

どの制度が最も被害を減らせるのかである。

■「買う人がいるから売る人がいる」は半分しか説明していない

ここで最初の言葉に戻ろう。

「買う人がいるから売る人がいる」

確かにそうだ。

需要がなければ市場は成立しない。

しかしこれは、市場の片側しか説明していない。

逆方向から見れば、

「売る必要がある人、売りたい人、売らざるを得ない人がいるから市場が成立する」

とも言える。

貧困。

借金。

住居問題。

家庭内暴力。

薬物依存。

外国人としての不安定な在留環境。

搾取者への依存。

あるいは本人の自発的な選択。

性売買へ入る理由は一つではない。

だから、

需要だけを刑罰で潰せば供給側の問題まで自動的に消える、

とは限らない。

需要を処罰しても、

貧困は消えない。

住宅問題は消えない。

DVは消えない。

依存症は消えない。

人身取引組織も、それだけで消えるとは限らない。

むしろ市場が地下化すれば、

最も弱い人ほど見えにくくなる可能性すらある。

■本当に守るべきものは「制度の理念」ではなく人間である

私はここが最も重要だと思う。

北欧モデルを支持する人には、

女性を搾取から守りたいという理念がある。

非犯罪化を支持する人にも、

性労働者を警察・医療・社会保障から排除したくないという理念がある。

目的だけ見れば、

かなり重なっている。

それなのに議論になると、

「売春は暴力だ」

「セックスワークは労働だ」

という思想戦争になってしまう。

しかし国家が考えるべきなのは、

どちらの言葉が正しいかではない。

現実の人間がどうなるかだ。

暴力被害は減ったのか。

殺人は減ったのか。

人身取引は減ったのか。

客を拒否しやすくなったのか。

警察へ通報しやすくなったのか。

医療へアクセスしやすくなったのか。

搾取者から離脱しやすくなったのか。

性産業を辞めたい人は辞めやすくなったのか。

これを比較しなければならない。

■スウェーデンで起きた事件が突きつけるもの

2026年、スウェーデンでは、

夫が妻を多数の男性との性行為に従わせていたとして起訴される事件が報じられた。

多数の買春客も捜査対象となった。

もちろん、この一事件だけでスウェーデンの制度全体を「失敗」と評価することはできない。

しかし一つだけ分かる。

買春者処罰法が存在する社会でも、

深刻な性的搾取は発生し得る。

つまり、

「買春を犯罪にした」

ことと、

「搾取される人を発見し、救出できる社会になった」

ことは同義ではない。

これは非常に重い問題である。

■処罰人数ではなく「救出能力」を測るべきではないか

性売買政策を評価するとき、

何人の客を逮捕したか。

何件摘発したか。

何人検挙したか。

という数字は分かりやすい。

しかし、それだけで本当に女性や弱い立場の人を守れているのだろうか。

むしろ重要なのは、

搾取状態にある人を何日で発見できたのか。

本人が警察へ相談できたのか。

客や周囲の人間が異常を発見して通報できたのか。

逃げた後の住居はあるのか。

生活費はあるのか。

医療へつながれるのか。

子どもがいる場合、その生活まで支援できるのか。

という、

「救出能力」

ではないだろうか。

■客を犯罪者にすると、客からの情報提供はどうなるのか

ここにはもう一つ、検討すべき難しい問題がある。

性売買の客は、ときに搾取状態にある人と直接接触する数少ない外部の人間でもある。

もちろん客自身が搾取に加担している場合もある。

しかし、

明らかな暴力痕がある。

本人が怯えている。

第三者に監視されている。

自由に話せない。

金銭を本人が管理していない。

こうした異常に気付く可能性もある。

もし客が、

「警察に相談した瞬間、自分自身も犯罪者として処罰される」

と考える制度なら、

通報インセンティブはどうなるだろうか。

これは感情論ではなく、

制度設計として検討すべき問いだと思う。

■ベルギー型もまだ「成功」とは言えない

ここまで読むと、

「ではベルギーが正解なのか」

と思うかもしれない。

しかし、それもまだ早い。

ベルギーの制度は非常に新しい。

2022年に非犯罪化され、

2024年末から雇用契約制度が動き始めたばかりである。

これによって、

暴力被害がどこまで減るのか。

人身取引がどう変化するのか。

正規制度から外れた市場がどうなるのか。

外国人や不安定な立場にある人をどこまで守れるのか。

雇用主による新しい形の支配が生まれないのか。

長期的な検証が必要である。

だから、

スウェーデンは失敗。

フランスも失敗。

ベルギーが正解。

と単純化するべきではない。

重要なのは、

三つの国が異なる制度を実際に動かしていることだ。

世界は今、

性売買という非常に難しい問題について、

巨大な社会実験を行っている。

■日本が今やるべきなのは「北欧モデルの輸入」ではない

では日本はどうすればいいのか。

私は、

「外国で買春者処罰が広がっているから、日本も導入しよう」

という議論には慎重であるべきだと思う。

逆に、

「ベルギーが非犯罪化したから、日本も全部合法化しよう」

という議論にも慎重であるべきだ。

日本には日本独自の性産業構造がある。

風俗営業法。

売春防止法。

ソープランド。

デリバリーヘルス。

ホストクラブ。

スカウト。

性風俗関連特殊営業。

路上売春。

パパ活。

SNSを介した個人間取引。

そして、その周囲には、

警察。

金融。

不動産。

福祉。

医療。

税制。

労働法。

家族制度。

が複雑に絡んでいる。

だから日本が必要としているのは、

外国のモデルをそのまま輸入することではない。

まず、

「日本の性市場は実際にどう動いているのか」

を可視化することである。

■売春防止法の議論を「買う側か、売る側か」だけにしてはいけない

日本で売春防止法を見直すとき、

議論が、

売る女性を罰するのか。

買う男性を罰するのか。

という二択になる危険がある。

しかしスウェーデン、フランス、ベルギーを比較すると、

本当はもっと多くの選択肢があることが分かる。

例えば、

成人同士の合意した取引自体はどう扱うのか。

強制と合意をどう区別するのか。

搾取者をどう処罰するのか。

事業者を許可制にするのか。

客の身元確認をどうするのか。

性労働者の拒否権をどう保障するのか。

警察への通報者をどう保護するのか。

健康診断や性感染症対策をどうするのか。

金融機関や賃貸住宅へのアクセスをどうするのか。

税・社会保障をどう扱うのか。

退出したい人への所得・住宅支援をどうするのか。

人身取引被害者をどう識別するのか。

こうした制度を一体として設計しなければ、

本当の意味での改革にはならない。

■「性を買うことは悪い」で制度設計を終わらせてはいけない

政治では、

分かりやすい言葉が強い。

「買う人がいるから売る人がいる」

「需要をなくせば売春はなくなる」

「女性を商品にしてはいけない」

どれも強いメッセージである。

しかし、

強いメッセージと、

強い制度は同じではない。

制度には必ず副作用がある。

だから政策は、

理念ではなく結果で評価しなければならない。

■本当の問いは「誰を罰するか」ではない

売春をめぐる議論では、

誰を罰するべきか。

という問いが中心になりやすい。

しかし私は、

その問い自体を変える必要があると思う。

誰を罰するか。

ではなく、

誰を守るのか。

そして、

どうすれば守れるのか。

である。

売る人を罰すれば守れるのか。

買う人を罰すれば守れるのか。

市場を非犯罪化して労働法の中へ入れた方が守れるのか。

あるいは、それらを組み合わせた日本独自の制度が必要なのか。

答えはまだ決まっていない。

だからこそ、

スウェーデン。

フランス。

ベルギー。

三つの制度実験を冷静に比較する意味がある。

■国家が守るべきなのは「正しい物語」ではない

性売買は、

道徳。

ジェンダー。

貧困。

犯罪。

人身取引。

自由。

身体。

労働。

家族。

すべてが交差する非常に難しい問題である。

だからこそ、

一つの思想だけで社会全体を説明しようとすると危険になる。

国家の役割は、

「こちらが正しい」

という物語を国民に教えることではない。

現実に存在する人間を守ることである。

買春者を罰することで本当に被害が減るなら、

その制度には意味がある。

非犯罪化して労働法の中へ入れることで被害が減るなら、

その制度にも意味がある。

重要なのは、

どちらの思想が美しいかではない。

どちらが現実の被害を減らしたかである。

■「買う人がいるから売る人がいる」の、その先へ

「買う人がいるから売る人がいる」

それは間違いではない。

しかし、

そこで思考を止めてはいけない。

買う人を罰したら、

その後、市場はどう動くのか。

売る人はどう動くのか。

搾取者はどう動くのか。

犯罪組織はどう動くのか。

警察との距離はどう変わるのか。

社会保障との距離はどう変わるのか。

そして、

最も弱い立場にいる人は、

制度変更の前より安全になるのか。

法律が問うべきなのは、

そこまでである。

日本はいま、

「売春を許すか、許さないか」

という古い問いから離れ、

「性売買が現に存在する社会で、どうすれば最も搾取を減らせるのか」

という新しい問いへ進む必要がある。

スウェーデンは、

需要を処罰する道を選んだ。

フランスも、

それに近い道を選んだ。

ベルギーは、

成人同士の合意した性労働を刑法の外へ出し、

労働法と社会保障で統治するという別の道を選んだ。

どの制度にも理念がある。

どの制度にも課題がある。

だから日本がやるべきなのは、

「海外ではこれが正解らしい」

と答えを輸入することではない。

三つの制度が、

実際に何を生み出したのかを調べることだ。

そして、

日本社会に必要な制度を、

日本自身で設計することである。

「誰を罰するか」

から、

「どうすれば人を守れるか」

へ。

性売買をめぐる議論もまた、

前提そのものを疑い始める時期に来ているのではないだろうか。

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