教師という鎧を脱ぐ日が近づいてきました
教師という仕事を離れるまで、
あと一週間になりました。
私は約20年間、
小学校教師という鎧を着てきました。
2年前、心理士になるために、
18年間勤めた小学校教員を退職しました。
本当は、
教師という仕事を完全に
辞めるつもりでした。
けれど昨今の教員不足もあり、
退職後も同じ学校で
非常勤講師として約2年働きながら、
通信制大学で学びました。
そして4月からは
大学院に進学します。
今度こそ、
本当に教師という仕事から
離れることになります。
そう思うと、
教師という仕事について
振り返ることが増えてきました。
そしてふと、
こんなことも思います。
教壇に立って、
子どもたちと一緒に勉強するのも、
もう最後なのかもしれない。
そう思うと、
少し寂しい気持ちになります。
2年前、
教員を辞めるときに不安だったのは、
経済面でも、
キャリアが途絶えることでも
ありませんでした。
一番怖かったのは、
教師という鎧を脱いだとき、
私に何が残るのか。
ということでした。
18年間も着続けた鎧です。
もしかすると皮膚に癒着していて、
それを剥がしたら、
自分自身が
思っている以上に
ボロボロになるのではないか。
それは、
脱いでみないと分からない。
そんな
得体の知れない恐怖のような感覚が
ありました。
でも実際に、
大学院受験のために
約半年、完全に仕事を辞めてみました。
結果は、
自分を見失うことは
ありませんでした。
むしろ肩の荷が下りて、
少しほっとしたような
気持ちになりました。
教師じゃなくても、
自分は大丈夫なんだ。
そんなふうに
思えた気がします。
振り返ってみると、
教師という仕事は
私にとって
単なる鎧では
なかった気もします。
そこは、
私の大切な居場所でも
ありました。
そして自分では
気づかないうちに、
誇りにも
なっていたのだと思います。
「先生」と呼ばれる仕事を
していること。
子どもたちの前に
立つこと。
それ自体に、
どこか誇らしい気持ちも
ありました。
今でも
学校という場所は
自分に合っているなと感じますし、
好きな場所でもあります。
でもその一方で、
「教師らしく振る舞うこと」
を求められる
重さもありました。
教師なら
こうあるべき。
教師なら
こう考えるべき。
もちろん学校では、
教師として、教育のプロとして、
言動には細心の注意を払っています。
学校を出て、
外で買い物をしていても、
どこで卒業生が
見ているか分かりません。
ママ友さんも
私を教師として見ています。
子どもの習い事で、
担任している子の保護者の方と
一緒に過ごすときもそうです。
そこでは私は
一人の親でもあるはずなのに、
どこかで
「先生」として
見られているような気がします。
教師をしている方なら、
人によって大小はあると思いますが、
共感していただける部分も
あるのではないかと思います。
そういう見えない規範を
長く背負っているうちに、
それが少しずつ
鎧のように、
自分を守るものでもあり、
同時に重たいものにも
なっていったような気がします。
noteでは、
意識的に
教師という鎧を脱いで、
一人の人として
記事を書いています。
コメントを書くときも
同じです。
学校では言わないことも、
ここでは書いています。
もちろん、
送信ボタンを押す直前、
「これは学校では言わないな。
教師としてどうだろう。」
と
一瞬迷うこともあります。
でも、
あえてそこを
押し切って送信しています。
残り、あと一週間。
私はもうすぐ、
教師という鎧を
本当に脱ぐことになります。
寂しい気持ちも
あります。
でも、
自分が教えてきたものが、
子どもたちの中に
何か、
ほんの少しでも
残っていたら嬉しい。
そう思っています。
そして、
ふと思うのです。
ああ、
ひとつの区切りを迎えたのだなと。

