見出し画像

自分を長い目で見てあげる

4月から大学院に入学して、
2か月が過ぎました。

20年近く勤めた小学校という職場を離れ、
新しい環境に飛び込んで初めて、
自分の苦手さが
はっきり見えるようになりました。

授業で発表をしたり、
グループワークで
意見を求められたりするのが苦手です。

あがり症なので、
人前で話すこと自体に緊張します。

でも、それだけではありません。

考えがまとまるまでに時間がかかるという、
自分の特性もあるのだと思います。

グループワークでは、
隣の人が迷いなく意見を話し始める中、
私は頭の中で言葉を並べ替えているだけで
精一杯でした。

「こう言おう」と考え、
「よし、言うぞ」と気合を入れているうちに
話題は先へ進み、気づけば発言のタイミングを逃してしまうことがあります。

「また言えなかった」

その瞬間、悔しさと情けなさに加えて、

「やっぱり私は人より劣っているのかもしれない」

という思いが込み上げてきます。

そんなことばかり考えていると、
自分の苦手な部分だけが
どんどん大きく見えてしまいます。

でも、少し距離を置いて振り返ると、
そうではない自分もちゃんといることに
気づきます。

人には得意なこともあれば、
苦手なこともあります。

物事を進めるペースがゆっくりなことや、
考えを言葉にするまで時間がかかることは、
私の特性の一つです。

でも、それだけで私という人間が
決まるわけではありません。

後から振り返ると、
時間をかけて考えたからこそ
気づけたことも少なくありません。

相手の話をじっくり聴いたり、
一つの出来事を多面的に考えたり、
人の成長を信じて長い目で見守ったりすることは、自分の強みなのかもしれません。

教員だった頃、
子どもたちに対して私は
そんなまなざしを向けていました。

その子が
今できるかどうかだけで判断するのではなく、
時間をかけて成長していく姿を信じて待つことが、ごく自然にできていました。

一度の失敗や、
その場の結果だけで「この子はできない」と
決めつけることはありませんでした。

4月の頃には
自分の意見をなかなか言えなかった子が、一年後には自分から手を挙げて発言するようになる。

そんな姿を、私は何度も見てきました。

その姿を見るたびに、

「人は時間をかけて成長するんだ」

ということを、
私は子どもたちから
何度も教えてもらっていたのだと思います。

それなのに、自分に対しては違いました。

たった一度うまく話せなかっただけで、

「やっぱり自分はだめだ」

と決めつけてしまう。

緊張した自分を見るたびに、
自分を責めてしまう。

でも、それはあまりにも
不公平だったのだと思います。

子どもたちには長い目で成長を信じることができたのに、自分だけは今日の結果だけで評価していたのです。

物事を早く処理する力は、努力だけで大きく変えられるものではないのかもしれません。

だからといって、
工夫まで諦める必要はないのだとも思います。

年齢を考えても、
劇的な変化を期待するより、今の自分に合った工夫を積み重ねていくほうが現実的なのだと思います。

振り返ってみると、
私は昔から一つずつ工夫を重ねながら、その場その場に合わせてやり方を変えてきました。

それが、
これまでの私を支えてきたのだと思います。

緊張しやすいことも、
物事を進めるペースがゆっくりなことも、
私の一部です。

でも、それだけが私のすべてではありません。

長所も短所も含めて、
自分という人間なのだと思います。

教員として
子どもたちの成長を信じて待ってきたように、
これからは、そのまなざしを
少しだけ自分にも向けてみようと思います。

焦らず、比べすぎず、
一日や一回の失敗で自分を決めつけない。

完璧な自分を目指すのではなく、

昨日の自分より
少しだけ前に進めたらそれでいい。

自分を
ゆっくり育てるような気持ちで付き合っていく。

明日もまた、
うまく話せず落ち込むかもしれません。

それでも、
あの頃子どもたちに向けていたまなざしを、
少しだけ自分にも向けてみようと思います。

自分を長い目で見てあげることも、
きっと練習なのだと思います。


いいなと思ったら応援しよう!