通訳中の自分の脳内で起こっていること
一流の通訳者には程遠い僕ですが、英語の通訳をしていてお客さんから時々言われるのは、「通訳中の君の頭の中を覗いてみたい」ということです。
そこで「覗いたらどうなっていそうですか?」と訊き返すと、大体は「頭の中に、日本語と英語を双方向に即時変換するコンピューターが入ってそう」といったコメントが返ってきます。
そう言われた僕は、心の中で、以下のようにつぶやくことになります:
「実際は、即時変換というより、解釈と表現を繰り返しながら、文脈的風景をつくってるんですが」。
ただ、このつぶやきをそのまま口に出すと話がややこしくなりますし、そもそも「解釈と表現」や「文脈的風景」を話し言葉で明快に説明することが難しいので、代わりに「いやあ、コンピューターなんて勘弁してください、ははは。。」と笑ってお茶を濁します。
そこで、上記つぶやきの「解釈と表現を繰り返しながら、文脈的風景をつくってる」を、なるべく平易・明確に説明しようと試みたのが本稿です。
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まず、説明の前提となる設定として、日本語話者「甲」と、英語話者「乙」との対談に、僕が通訳として入るものとします。
通訳の場となる対談は、甲の呼びかけに乙が応じるかたちで開催されます。
通訳スタイルとしては、一応、逐次通訳を想定しながら説明しますが、同時通訳でも、あくまで基本的には、同じ説明になりそうです。
逐次通訳と同時通訳の違いの説明は、本稿では割愛します。
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◆第一部として、通訳という作業の基本動作である「解釈と表現」を、フローに沿って説明します。
会議開催を求めたのは甲なので、対談の口火を切るのも当然、甲ですが、そうするにあたって甲の頭の中には、まず乙に伝えたい概念(C1)があります。
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甲はこのC1を、自分自身の経験、知識、環境、問題意識、利害関係などに基づいて、自分なりに日本語で表現(E1)します。
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E1を耳で聴いた僕は、その言語情報を自分なりに解釈して、通訳者としての概念C2を脳内で瞬時に形成します。
C2を得た僕は、今度は通訳者としての自分が持つ知識・経験の助けを借りながら、それをターゲット言語(この場合は英語)で乙に対して表現(E2)します。
上記の「知識」には、対談に先立って甲から予習用として僕に提供された資料の内容も含みます。
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通訳者である僕の口からE2を聴いた乙は、E2に表現された言語情報を、自分自身の経験、知識、環境、問題意識、利害関係などに基づいて自分なりに解釈することで、甲からのメッセージについての概念(C3)を得ます。
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このC3と、先に述べたC1の内容がほぼ一致していれば、この対談での甲と乙のコミュニケーションの最初の一歩、つまりステージ1は成功したことになります。
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以上の流れ(C1→E1→C2→E2→C3)を、ここではコミュニケーションの「単位フロー」と呼びます。
ステージ1に続くステージ2では、ステージ1(甲→僕→乙)とは逆の方向(乙→僕→甲)で、上記と同じ単位フローが繰り返されます。
ステージ2のあとはステージ1と同じ方向(甲→僕→乙)のステージ3,そしてステージ3のあとはステージ2と同じ方向(乙→僕→甲)のステージ4、という具合に、単位フローの方向を都度、逆転させながらの「通訳を介したキャッチボール」が、会議終了まで延々と続きます。
「ステージ1と2でキャッチボール1往復」という上記の数え方で言えば、例えば1時間余りの対談が終わるころにはステージ100を超えるのも普通です。
導入部に書いた、通訳者による「解釈と表現」とは、厳密に言うと、ここで説明したコミュニケーションの単位フロー(C1→E1→C2→E2→C3)のうち、「→C2→E2→」の部分を指すことになります。
ここまでの説明は、通訳理論で言う「3者2言語モデル」(50年ほど前にHelga Kirchhofというドイツ人の方が提唱したもの)に通底する内容だと、僕は勝手に思っています(が、僕は通訳理論の専門家ではないので、これが僕の誤解でしたら、予めお詫びします)。
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◆次に、第一部で説明した「解釈と表現」という基本動作を双方向で延々と繰り返すうちに、僕の脳内で徐々に形成されていく「文脈的風景」について、以下、第二部として説明します。
「文脈的風景」を無理やり1文で定義するなら:
通訳者としての「解釈と表現」、つまり、単位フロー(C1→E1→C2→E2→C3)のうち「→C2→E2→」の部分を、方向性をコロコロと逆転させながら会議終了まで延々と反復する過程で、単位フローが1往復するごとに僕の脳内で徐々に形成されていく、文脈イメージです。
文脈イメージとは:
甲・乙の個々の発言の内容よりも一段、高次の視点、いわば「木の視点ではなく森の視点」から観た、議論の核心にかかる流動的な全体像を指します。
言い換えると、議論を貫く要点や方向性、甲・乙間の合意の可能性、といった「議論のキモ」に関する、流動的なイメージのことです。
こうした「文脈的風景」が、単位フローの1往復ごとに僕の脳内で徐々に形成されつつ必要に応じて変化していくという点が、仮に僕が通訳者ではなく単なる仲裁者・調停者の立場であっても基本的に同様であることは、容易に理解されると思います。
ただ、この「文脈的風景」は、こと通訳者にとっては特別な意味を持ち得ます。
なぜなら、単位フローが1往復するごとに徐々に形成されるこの文脈イメージは、単位フローの中核を成す「解釈と表現」、つまり単位フロー(C1→E1→C2→E2→C3)のうちの「→C2→E2→」、を通訳者がおこなう際に、C2とE2双方に少しの影響を与えるからです。
「決定的な影響」ではなく「少しの影響」と書いた理由:
会議中に何十往復も発生する単位フロー(C1→E1→C2→E2→C3)の各々において通訳者がおこなう「解釈と表現」(「→C2→E2→」)の要素・根拠として圧倒的に重要なのはむろん、C2に直接つながる「E1」であるからです。
その「E1」に加えて、個々の「解釈と表現」にあくまで第二義的に少しの影響を与えるのが「文脈的風景」、つまり、(今まさに通訳者として「解釈と表現」をしようとしている特定の単位フローに先立って)同じ会議において甲・乙間でやりとりされたすべての単位フローの往復をとおして通訳者の脳内で徐々に形成・調整されてきた文脈イメージだ、ということです。
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◆ここまで説明してきたとおり、通訳者としての基本動作である「解釈と表現」の中身に「文脈的風景」が与える影響は、第一義的な要素・根拠である「E1」が与えるべくして与える圧倒的影響に比べれば、微々たるものです。
しかし、この意味では微々たる影響しか与えない「文脈的風景」が、通訳者の職能において「無視できない役割」を果たす場合もあります。
上記「無視できない役割」の例を2つだけ挙げます:
<例1> 通訳者として「文脈的風景」を徐々に形成・調整しながら個々の「解釈と表現」をしていれば、あるE1から自分なりに形成したC2がその時点の「文脈的風景」に明らかに反する場合に、そのC2をそのままE2として言語化する前にいったん立ち止まり、E1話者に真意を再確認することができる。
<例2> 通訳者として「文脈的風景」を徐々に形成・調整しながら個々の「解釈と表現」をしていれば、あるE1の趣意が(通訳者からみて)不明瞭であって、しかもその真意をE1話者に再確認することができない現場状況(例:大規模な国際会議)にある場合、いわば次善の策として、その趣意不明瞭なE1をその時点の「文脈的風景」に引き寄せて解釈したC2を形成し、E2として言語化することができる。
上記に例示したような「無視できない役割」を、人間の通訳者に代わってAI等の自動翻訳機能が果たすことは、少なくとも現時点では、困難だと認識しています。
言い換えると、「文脈的風景」を徐々に形成・調整しながら個々の「解釈と表現」をしていることで、生身の人間ならではの「柔軟で、かゆいところに手が届く」通訳機能を発揮できる、との見方ができます。
したがって、少なくともこの面では、「人間の通訳者なんてもう要らない。コストの無駄だ」と言われてしまう時代はまだ来ていないのではないか、という微かな希望を持っています。
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長過ぎる話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
どうしても簡単な日本語にできない箇所が複数あったことをお詫びします。
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