信州 善光寺 |御本尊は日本最古の仏像!?|長野県長野市
善光寺には何度か参詣しています。きっと何かの御縁があるのでしょう。
少し前の訪問を振り返ってみました。
表参道から境内に入ってから歩いた順に進めています。
表参道から宿坊の建ち並ぶ善光寺境内に入ると一際大きな建物が左手に見えてきます。それが浄土宗の大本願という寺院です。
善光寺は無宗派の寺院ですが、その運営は天台宗と浄土宗、ふたつの宗派によって支えられてきた独特の形態です。善光寺境内には、天台宗の大勧進と浄土宗の大本願というふたつの寺院があり、それぞれが善光寺の住職を兼ねています。
大本願(浄土宗)

仁王門(有形文化財)


夜だとスマホ撮影でも見易く写りました
仲見世


火災で消失したあと現在地に本堂が再建されたそうです
弁財天(戸隠九頭龍社の弁財天)

ここには、戸隠九頭龍社の本地仏弁財天が戸隠から移され祀られています
明治の神仏分離で戸隠よりこの場所へ移りました
▼(参考)戸隠九頭龍社の記事はこちらです
大勧進(天台宗)

先ほど見た大本願は浄土宗、2つの宗派で善光寺を運営しています
山門(重要文化財)

善光寺の正面に立つ壮大な門です。楼上には「善光寺」と書かれた「鳩字の額」が掲げられており、3文字の中に5羽の鳩が隠されています。

本堂(国宝)

現在の本堂は、江戸時代中期の宝永四年(1707年)に再建されたものです。
上空から見た棟のT字型が鐘を叩く撞木に似ていることから撞木造りと呼ばれる建築様式です。この本堂は国宝に指定されています。
本堂に入ります。
内部は撮影NGです。
外陣にあるびんずる尊者像は300年以上撫でられて、つるつるになっているほど尊崇を集めています。
内陣からは拝観料が必要です。
内陣の奥には内々陣があり、さらにその奥、瑠璃壇に御本尊が安置されています。瑠璃壇の向かって右側(東側)には御三卿の間があります。
御三卿とは、本田善光、奥様の弥生御前、息子の善佐卿のお三方です。
興味深いのはそのお姿は神像です。神式の神鏡や聖徳太子像もあります。さらに守屋柱と呼ばれる柱があることです。
かつて御本尊を打ち捨てた物部尾輿の子、守屋の名前が登場し、同じ場所に在るという事で、さまざまな伝説や解釈がされています。
内々陣と御三卿の間の配置は、もともとの本田善光の自宅の様子を模しているそうです。つまり、御本尊は今でも善光に救い出され連れて来られた善光の自宅に善光の家族と一緒に居る、ということのようです。
ちなみに地下のお戒壇巡りは、この瑠璃壇の下で「極楽の錠前」に触れることで御本尊と結縁することで極楽往生できると言われています。
江戸時代から続く楽しいアトラクションです。悟りは体験からと言いますので何かを感得出来る気がします。




忠霊殿


現在の展示は全て撮影NGですが、この時は撮影OKでした


牛に引かれて善光寺詣りにちなんでいるとか
経蔵(重要文化財)

歴代回向柱納所

回向柱は必ず松代から運ばれてきます
善光寺縁起
以下は善光寺の歴史をダイジェストです。
何より自分が忘れないためのメモでもあります。
善光寺に伝わる『善光寺縁起』などによると初、約1400年前、初めて日本へ伝わった仏像だそうです。
一光三尊阿弥陀如来像という、竜宮城の金塊である閻浮檀金で出来ているそうです。これが善光寺の御本尊です。
当時、崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏の対立があり、仏像は物部氏により難波に打ち捨てられてしまいます。
のち皇極天皇元年(642年)本田善光が水辺を通りかかると善光の名前が聞こえてきます。仏像が救いを求めて「よしみつ…」と呼び止めたのです。
引き揚げられた仏像は、善光の自宅がある信州まで運ばれ、祀られたのが善光寺の始まりです。
皇極天皇三年(644年)には勅願で伽藍が造られ、本田善光の名にちなんで「善光寺」と名付けられたそうです。
平安時代の記録によると、既に8世紀中頃には、善光寺の御本尊は日本最古の霊仏であるとして京の都にも知られるようになります。
平安末期には浄土信仰(阿弥陀仏)の広まりとともに朝廷や貴族のみならず、民衆の信仰が集まり、その名は全国に知られるようになります。
戦国時代、御本尊は時の権力者たちに、自らの権威を示すシンボルとして重要視されます。武田信玄や織田信長、豊臣秀吉といった時の権力者のもとを転々としました。一時期は甲斐国、尾張国、そして京都の方広寺などに移され、数十年間、信州の地を離れていました。
再び信州に戻った御本尊は徳川家の庇護を受けます。さらに江戸時代の旅行ブームと相まって、善光寺の人気が高まります。
御本尊は厨子の中に祀られ、いつの頃からか厨子の中のお姿を誰も見た事が無いという絶対秘仏となりました。
御本尊の分身としてつくられた前立本尊(鎌倉時代の作で重要文化財です)は、数えの七年に一度「御開帳」が行われます。
前立本尊は五色の糸で回向柱と繋がり、回向柱を触れることで前立本尊と結縁できるとして、大勢の参拝者が集まる大行事となっています。

鎌倉時代・建長6年(1254)|銅造、鍍金
(栃木県那須市周辺)
東京国立博物館蔵
本来ならひとつの光背に三像が収まる形だと思います
古くから、貴族から庶民まで宗派や身分を問わず広く受け入れられ、「一切衆生の済度(すべての人々を救うこと)」という教えや「遠くとも一度は詣れ善光寺」という言葉とともに全国的な信仰になりました。
また「牛に引かれて善光寺参り」の民話は、不信心な人でも意図しない偶然の出来事でも良い結果になることがある話として善光寺信仰と合わせて広まりました。
善光寺は、時代を超えて、人々の苦しみや願いを受け止め、宗派を問わず救いを求める人々に開かれた寺として、現在も篤い信仰を集め続けています。

私の所蔵品で版ズレがひどいですが、むしろ味があると思っています
次回の御開帳は、令和9年、2027年4月4日~6月19日(77日間)です。
7年に一度でも、そうでないタイミングでも、行きたくなった時が呼ばれた時です。
気になったら、こちらの最も詳しい善光寺情報を確認して、ぜひ出かけてみましょう。

