縄文の大規模集落跡「三内丸山遺跡」がすごい #縄文1 |青森県青森市
6月19日は縄文の日。1877年モースが大森貝塚を発見した日です。
モースと直接関係ありませんが、縄文の最大遺跡のひとつをまとめました。
◾️三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)とは
⚫︎縄文時代前期~中期(紀元前約3,900~2,200年、現在から約5,900~4,200年前)の大規模集落跡です。
⚫︎約1,500年の期間に渡って栄え、最盛期には500人程の人々が生活していたと考察されている大集落です。
狩猟だけでなく、クリ栽培なども行い、定住していたといわれています。
また、遠く離れた場所との遠距離交易もあったとされています。
⚫︎既に、江戸時代にこの場所は遺跡らしいという記録があります。
平成時代の土地開発の調査工事で、相当な大規模集落らしいことが判り、開発は中止され遺跡保存が決まりました。
その後、資料館や遺跡の復元が整備され、令和3年(2021)に世界遺産に登録されました。(北海道・北東北の縄文遺跡群)
⚫︎資料館「縄文時遊館」や、普通の竪穴住居とは異なる大型竪穴建物、大型掘立柱建物などが復元展示されています。

◾️この遺跡の特徴
三内丸山遺跡は、縄文時代の生活や文化を解明する上で非常に重要な役割を果たしています。とりわけ建物の跡や豊富な出土品に特徴があります。
1.建築の跡
それまでの想定よりも高度な土木技術があり、大規模建物が存在していることが判りました。当時の社会構造や生活様式を推測するうえで貴重な遺跡となっています。
2.豊富な出土品
土器や石器、木製品の他、多種多様な遺物が出土しており、当時の人々の生活や文化の様子を推定することができます。
この2つの項目について、とりわけ特徴のあるものをまとめました。
◾️建物の跡
1)六本柱建物跡
復元されたのは基部のみで上部の実際の様子は分かっていません。
祭祀や儀礼の目的ではないかと推測されています。

2)大型竪穴建物
最大で長さ32m、幅10mの建物が復元されています。
共同作業場ではないかといわれています。


3)竪穴住居跡
一般の人々の住居のようです。屋根部分は推定であり、茅葺き、土葺き、枝や樹皮を葺いたものなどが推定されています

4)掘立柱建物跡
竪穴ではなく高床倉庫で穀物などの貯蔵庫ではないかと想定されています。

5)環状配石墓
集落の有力者の墓と考えられています。
6)その他
貯蔵庫跡や整備された道路、ゴミ捨て場などの遺跡がみつかっています。
◾️豊富な出土品
出土品からは、土器や石器、土偶などの他にも、植物の種や動物の骨などから当時の生活や遠方との交易などがわかってきています。
1)黒曜石、ヒスイ
長野県や新潟県など海や陸路などで交流されていたようです。
2)漆器
既に昔から生活用品や道具類に用いられていました。
3)食生活
肉食では野うさぎやムササビが多く、縄文時代のイメージである鹿や猪が少ないことが遺物からわかりました。

青森県三内丸内遺跡の復元家屋
◾️当時の生活を想像する
これらの遺物や遺跡の特徴から、縄文時代の人々は、豊かな自然の中で狩猟・採集を行いながら、クリやクルミなどの栽培も行い、定住生活を送っていたと考えられます。
大型建物を建てる高度な土木技術があり、祭祀や儀礼を行うということは、精神的にも豊かな生活を送っていたことが想定されています。
しかしある時期、急にこの大集落からひとがいなくなりました。
なぜなのか。その理由ははっきりと判っていません。
◾️公式サイト
青森県立美術館と併せて行くのがおすすめです。
◾️おわりに
縄文人はサスティナブルでエコロジーな生活をして自然と共生していた素晴らしい人たちだった・・・というのは現代視点を無理やりあてはめたものだと思います。
縄文人がどのように考えていたのか?認知考古学という学問があるそうです。門外漢なので理解していないのですが、勉強してみたいと思います。
