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第12話「未来を占うか、未来を選ぶか」

初夏の午後、カフェ「運命のカップ」には柔らかな陽射しが差し込んでいた。風に揺れるレースのカーテン越し、街路樹の緑が窓枠に切り取られている。その奥に座るデフネの肩が、小さく震えて見えた。

彼女は、いつものように教員用の地味なスーツを着ている。その襟元を指先でさりげなく弄びながら、目の前のコーヒーカップに意識を集中しているのか、あるいは何も見ていないのか、どちらともつかぬまなざしで沈黙していた。

静かな店内。時計の針が時を刻む音だけが、妙に大きく響く。カウンターの向こうでは、エミルがクロスでグラスを磨きながら、デフネをそっと気遣うように見守っている。その隣、ファトマはまるで儀式のようにコーヒーを淹れ、慎重にカップをデフネの前へ滑らせた。

やがて、デフネはぽつりと口を開いた。「……昨日、プロポーズされたんです」

その声は、普段の彼女からは想像できないほど小さく、頼りなかった。だがその一言で、カフェに流れる空気は微かに緊張した。

「同じ日に、転勤の話も来てしまって……どうして、人生の大事なことはこんなふうに重なるんでしょう」

苦笑交じりに呟く彼女の横顔には、戸惑いと困惑、そしてほのかな諦めが混ざっていた。

ファトマは何も言わず、カップの底をデフネに見せる。デフネは、何度も占ってもらったことがある。カップの底に現れる模様を読み取ることに、いつしか心のよりどころを見出していたのだ。だが今日の模様は、三角形が一つと、その先に伸びる道筋のような線。その後、もう一度やり直しても、今度は全く違う形が現れる。

「どうして……毎回違うんです。これじゃ、どちらに進めばいいのか、かえって分からなくなってしまう」

デフネは両手で顔を覆うと、かすかに肩を震わせた。その姿を見て、エミルは胸の奥が痛むのを感じた。人の悩みとは、かくも複雑で、他人の言葉や助言が届きにくいものなのだと、改めて思い知らされた。

「先生」とエミルが小さく呼ぶ。しかし、それ以上は何も言えなかった。デフネの中で渦巻く葛藤は、容易に解けるものではない。彼女自身が、答えを見つけるしかないのだということを、エミルは無力さと共に痛感していた。

しばらくして、デフネは再び顔を上げた。涙で濡れた睫毛が、窓から射す光を微かに反射していた。「私はいつも、誰かや何かに背中を押してもらわなければ、一歩を踏み出せないんです。占いも、好きな人の言葉も、たぶん全部……」

その告白は、彼女自身への苛立ちと悔しさがないまぜになっていた。

ファトマが静かに囁く。「道は、あなた自身の中にもあるんですよ」

だがデフネは納得できないまま、店を飛び出した。通りに出ると、薄曇りの空が広がっている。足早に歩き出すデフネの背中を、エミルは咄嗟に追いかけた。

「先生!」と呼び止めると、デフネは足を止めて、振り向きざま、抑えていた涙を零した。「もう、分からないんです。占いに頼ってばかりの自分が、情けなくて、嫌になるんです……!」

エミルは、彼女の前に立ち、そっと言葉を選ぶ。「占いは、確かに魔法みたいなものかもしれません。進む勇気が持てないとき、そっと背中を押してくれる。でも、どの道を選ぶか、その一歩を踏み出すのは、あなた自身の足です。……僕たちは、あなたが選んだ道を、心から応援します」

エミルの声は、いつになく静かで、しかし優しかった。その言葉が、デフネの心に静かに降り積もっていくのが感じられた。彼女は、しばらく何も言わずに泣き続けた。やがて、嗚咽が止み、深く呼吸し、目を擦ったデフネは、ほんの少しだけ笑みを浮かべていた。

「……ありがとう」

その日を境に、デフネは自分と向き合う時間を増やした。迷いながらも、自分の気持ちを探すようになった。そしてついに、彼女は決断する。愛する人とともに、新しい未来へ歩き出すことを。

旅立ちの日、デフネはエミルとファトマのいるカフェに立ち寄った。店内には、夏を告げる蝉の声が微かに響いている。彼女はエミルの前に立ち、しっかりとした声で言う。

「エミルさん、あなたの言葉が、私の最高の占いになりました。本当にありがとう」

その笑顔には、もうかつての迷いはなかった。ファトマが最後にカップを示すと、そこには大きな三角形――転機の象徴――から、まっすぐに一本の道が伸びていた。その道は、光に包まれ、どこまでも続いているように見えた。

エミルは彼女の背中を見送りながら、静かな安堵を覚えていた。人は時に迷い、頼り、そして自分自身の意志で道を選ぶ。その歩みの美しさを、彼はこの瞬間ほど強く感じたことはなかった。

#創作大賞2025 #お仕事小説部門

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