78 宗像三女神の正体は?
記紀での宗像三女神
宗像三女神は、福岡県宗像市に鎮座する宗像大社の祭神である。宗像大社は沖ノ島にある沖津宮、筑前大島の中津宮、本土(宗像市田島)にある辺津宮で構成され、それぞれに女神が祀られている。
記紀は、宗像三女神はスサノオと天照大神の誓約(ウケイ)によって、誕生したという。誓約とは占いの一種であり、誓約から宗像三女神と五男神が生まれ、三女神は宗像族が祀る神となったという。
三女神の父親は?
誓約で子が生まれるエピソードが創作された理由は、三女神の父親を明らかにしないためである。
古代史実では、大日靈(魏志倭人伝では卑弥呼、記紀では天照大神)が女王であった邪馬台国(記紀では高天原)は、スサノオが率いる出雲に征服されていた。そして、スサノオと大日靈の間の何人か子が生まれた。
三女神のうちイチキシマ姫は、スサノオと大日靈の子であろう。連載⑳「宗像三女神は、誰から生まれたのか?」で調査したように、松江市の八重垣神社の国重要文化財「板絵著色神像」では、スサノオと天照大神、イチキシマ姫が親子として描かれている。記紀とは全く異なるシチュエーションだからこそイチキシマ姫の父親がスサノオであるとの有力な傍証である。
出雲が邪馬台国・倭国を支配していたこと、ましてや大日靈とスサノオの間に子があったことは記紀は絶対伏せておきたいので、誓約で生まれたとするエピソードが創作された。
なお他の女神、タギリ姫、タギツ姫の父親がスサノオであるかどうかは分からない。

他の二人の宗像女神は?
日本書紀の異伝では、大国主とタギリ姫が結婚し、事代主が生まれたとしている。後に、事代主が「出雲の国譲り」(出雲の相続)の権利を主張できたことから、タギリ姫は大日靈(天照大神)の実の娘であることが分かる。
もう一人の女神であるタギツ姫は実在人物かは分からない。三女神がセットとなった神社でこそタギツ姫は祭神として祀られているが、単独で祀られる神社が他の2女神と比べて極端に少ない。よって創作された神である可能性もある。
三女神はなぜ三神か
それではなぜ、わざわざ三女神を創作する必要があったのか?
三女神は海と航海の安全を守る神である。航海の神としては、他に住吉三神、海神(ワダツミ)三神がいる。それに合わせて、宗像三女神としたのではないか?
もともと三神だったのは住吉三神である。住吉大社(住吉神社を含む)は神功皇后による三韓征伐の安全と成功の祈願とお礼として創建された。その時、三神が祀られた。連載⑦「住吉大社の祭神は置き換えられた」で調査したように、創建時の祭神は現在の住吉三神(ソコツツノオ、ナカツツノオ、ウワツツノオ)ではなく、饒速日が三神の一人として祀られていた。ちなみに神功皇后は三韓征伐前にも九州で大物主(饒速日)を祀る大三輪社を創建している。
住吉大社の祭神が饒速日であっては、書き替えた古代史と整合しないことから、記紀にて「イザナキの禊からソコツツノオ、ナカツツノオ、ウワツツノオの三神が生まれた」というエピソードを創作し、もともとの住吉三神を置き替えたのである。ワダツミ三神も住吉三神と同じタイミングで生まれたことから、やはり三神とされている。
よって、同じく海と航海の神である宗像神も三神とした。そこで、三人の女性(女神)を組み合わせて、宗像三神が創作された。
一貫性がない宗像三神の神名
創作されたとする根拠は、古事記、日本書紀(本編、異伝)それぞれに三女神の神名、長幼順がバラバラなことである。三女神が実在したなら、このようにバラバラな記述にはならないだろう。三女神が創作されたことを示している。

イツ(チ)キシマ姫は、「厳島姫(イツクシマ、イツキシマ)である。「厳く」とは神を祀ることである。よって厳島は古代から神を祀ってきた沖ノ島のことである。オキツ島も同じである。すると、イチキシマ姫、サヨリ姫と呼ばれる女神が本来の実在した人物であることになる。
それに加えて、天照大神の娘であるタギリ姫(タゴリ姫)、さらにタギツ姫を加えて三女神とした。
イチキシマ姫が宗像神となった経緯
邪馬台国および倭国の首長であった大日靈(卑弥呼)は、出雲の支配を脱する手段として他の氏族の協力・連携を得ることとした。そのため、連載⑱「天孫族は婚姻戦略で勢力を拡大した?」で調査したように、息子、娘と他の氏族との縁組をすすめた。ニニギは隼人族、彦ホホデミおよびウガヤフキアエズは豊玉族、そしてイツキシマ姫は海洋族である宗像氏に嫁がせた。
それがイチキシマ姫が海と航海の神となったきっかけである。
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