思い通りにいかないことがほとんどです。
拓斗です。
お久しぶりになってしまいました。
ここ数日、思うようにいかないことが多くてモヤモヤしていまして、なかなかnoteを書こうというモードになれなかったんですね。
ちなみに写真は二日前、出勤中に滑って思いっきり転んで腰を強打したところです。ただ、無痛でした。笑
そこで今日、自分が何でモヤモヤしているのかをバーっと書き出してみました。
そうしているうちに一つアイディアが浮かんできたので、今日はそれを記事にします。
題して、「思い通りにいかないことがほとんどです」です。良かったら、最後まで読んでください。
モヤモヤリスト
おそらく拗らせている咳のせいだと思います。思うように声が出なかったり、喋れなかったり、押さえ込もうとしてもしんどいだけで最終的に爆発するあの感じ。病院で処方箋を出してもらった薬を信じて飲んでいるのに、思うように良くならないんですね。
そういう時にポジティブでいるのが僕はすごく苦手で、立派なことをいっぱい書いている手帳に嫌気がさしてきました。
昨日は「NASAの庭掃除をしている人は人類を月に送る仕事をしている!」って書いてて、ふと我に帰ったように「いや、庭掃除は庭掃除やろ!!!」ってツッコんでました。笑(NASAの人、ごめんなさい。)
そこで今日は手帳に思い切って、「咳が止まらん」って書きました。そうすると(咳だけに)堰を切ったように、今感じているモヤモヤが手帳を埋めていきました。
本当に成功できる?
それまで親は生きてるん?
結局手取りいくらになるん?
ちゃんと東京で生活できる?
ボロ雑巾のようになって人生終わるんじゃないか?
結婚できないんじゃないか?
信じられんくらい禿げるんじゃないか?
・・・
書いた後に一言。
「いや、知らんわ!!!」
って、思わずマクドでひとりごとかましてました。
モヤモヤの正体
結局自分の思い通りにならない未来のことばかりぐるぐる考えていたんですね。体と心はやっぱり繋がっていて、健全でない肉体には健全でない精神が宿ることを実感しました。親はいつか死ぬし、働いた分しか評価されないし、評価された分しか給料はもらえないし、相手がいないと結婚はできないし、禿げるときは禿げるし。
自分でコントロールできないことがたくさんあることを、改めて知りました。すごく調子良く生活できていた分、体調を崩してバランスを崩してしまったことで考え方もネガティブに流れてしまっていました。
自分がコントロールできないこと
改めてGoogle先生に聞いてみると、自分にコントロールできないことは主に三つあるらしく・・・
過去
他人
環境
と、教えてくれました。
この中で今日は「他人」について、掘り下げてみようと思います。
最近、「あぁ、俺はあの人にこんなにも期待していたんだなぁ」と思うことがありました。
「きっとこうしてくれるんじゃないか」とか、「こんな風に思ってくれてるんじゃないか」とか・・・。ただ、どうやら思い通りにはならなさそうで、自分の中でうまく整理することができずにいました。
振り返ると、今までの人生でも同じようなことがたくさんありました。その度に勝手に裏切られたような気持ちになっていました。自分すらまともにコントロールできないのに、それを他人に求めるなんて身勝手な話ですよね。
自分がコントロールできるのは「自分の今この瞬間の行動、思考、反応(感情の取り扱い)」くらいなのに、他人と関わらないと生きていけないという、なんとも生きづらい世界に僕たちは生きています。
そんな世界を生きる上で、ヒントになりそうな話を二つシェアします。これは僕が考え出した哲学でもなんでもなく、ある有名人の方たちが話していたことです。
①「信じること」について
とあるインタビューで芦田愛菜さんが「信じること」について問われ、その回答が秀逸すぎると当時かなり話題になりました。知っている方も多いと思います。
(「信じること」とは芦田さんにとってどういうことか?と問われ)
「その人のことを信じようと思います」と人は良く言うけれど、それは「その人自身」ではなく、「自分の理想とするその人の人物像」に期待してしまっているんじゃないか、と。
だから人は「裏切られた」とか「期待してたのに」と思ってしまう。でもそれはその人が裏切ったのではなく、「その人の見えなかった部分が見えただけ」であり、「それもその人なんだ」と受け止められる自分がいることが「信じる」ことなのではないか、と思う。
でも、それを受け止めるだけの揺るがない自分の軸を持つことは難しい。だからこそ人は「信じる」と口に出して、自分や他人の理想像に縋りたいんじゃないか、と思う。
これが16歳の咄嗟の回答だとは・・・秀逸すぎる。
じゃあ自分の軸をどうやって太く強くしていくのか。そのヒントになりそうなのが、次の話です。
②想像力こそが愛
Mr.Childrenのヴォーカルである桜井和寿さんが、とあるライブのMCで話していたことです。「愛」について一番好きなエピソードをお話しします、と紹介していた話です。
仏陀のエピソードの中で、子どもを亡くしたとある母親の話です。その母親はあまりの悲しみにずっと子どもを抱きかかえたまま離さず、仏陀の元にやってきました。そして、「子どもを生き返らせてください」と頼みました。
仏陀は「わかりました。では町に行ってケシの花の種をもらってきてください。ただし、誰一人として亡くなった人を出していない家から貰って来てください」と言いました。
母親は町に行って、一生懸命探し回りましたが、そのような家は見つかりませんでした。
そこで母親は「大事な人を亡くしたことのない人なんていないのだ」ということを悟りました。戻ってきた母親に仏陀は「生きている子は生きたまま愛せばいい、死んでしまった子は死んだまま愛せばいい」と言いました。
このエピソードを読んで、金槌で殴られたような・・・でもものすごく大きくてとても優しいものに包まれたような気持ちになりました。僕は哲学家でも宗教家でもないですが、なんだか一つ答えが見つかったような気がして・・・それは「愛」とは『想像力』なんじゃないかなって思ったんです。
コントロールすることはできないけど、想像することはできる。それは、相手を理解しようとすることであり、相手の立場に立とうとすることであり、相手を受け入れようとすること。
思いどおりにいかないことばかりですが、「想う」ことはできます。そしてこの記事を書きながら。自分もきっとたくさんの人に「想って」もらっているんだろうなと感じています。
自分にできること
まとめると、自分にコントロールできる領域に全力で集中すること、想像力を働かせて相手を思いやり受け入れようと努めることが、モヤモヤせずに生きていく一番のコツです。
でもきっと一つ大事なポイントがあって、それは「伝えようとしないこと」かなぁ、と思います。
厚かましくならないように、さりげなく、何気なく・・・言葉よりも「行動」や「生き方」で、自分の想いが「伝わる」のが理想的だなと思います。
自分が何をやっているのかを伝えるのではなく、自分がどのような思いでやっているのか伝わるように。
相手を想っていることを伝えるのではなく、相手に感じ取ってもらえるように。
自分がタッチすることを許された領域に対して、真摯に向き合って丁寧に生きていこうと思います。
さいごに
久々の投稿になりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました。
今月突然note投稿を始めて、これまで付き合いのあった友人たちには少なからず「どうした拓斗?」と思わせたと思います。ある友人からは「拓斗が美肌を手に入れようとしている!」と言われ、何も伝わっておらず少し残念でしたが、中学時代から相も変わらず超バカで安心しました。笑
そんな中、なんやかんや言いながらもきっと色んなことを想像した上で「早くノート書かんかい」と言ってくれた友人に感謝して、締めくくりたいと思います。
自分の今がしっかり伝わるように、明日からもまた丁寧に大切に生きていきます。
『もっと素晴らしいはずの自分を探して』
藤原拓斗
