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慰安婦神話の構造──「慰安所制度」はいかにして日本人の原罪へ変換されたか

はじめに──慰安婦問題を道徳劇から引き戻す

欧米でポリコレ的な言論支配への揺り戻しが可視化されたいま、慰安婦問題もまた、国際人権言説の熱狂の中で形成された「道徳劇」として再検討されるべき時期に来ている。これは過去を消し去るための議論ではない。事実と物語、制度と原罪、個別責任と集団債務を切り分けるための作業である。

いわゆる慰安婦問題は、もはや単なる歴史認識の問題ではない。戦時下の制度をめぐる実証的検証を超え、日本人を加害者側に、朝鮮人女性を被害者側に固定する国際政治上の道徳劇として機能してきた。そこでは、被害者側の語りは疑ってはならないものとされ、加害者側の検証は「反省不足」「歴史修正主義」「女性蔑視」として処理される。

しかし、歴史は本来、道徳劇ではない。当時の公娼制度を背景に、業者があり、貧困があり、軍事行政があり、戦地の秩序維持という実務があった。そこに個別の詐欺、強圧、搾取、不当な拘束があったなら、それは個別に検証されるべきである。ところが慰安婦問題では、その複雑な実態が切り捨てられ、「日本軍による性奴隷制度」という単純で強力な物語へと変換された。

第一章──公娼制度を背景とした「慰安所制度」の現実

慰安所制度を考える際に、まず分けるべきは「慰安所が存在した」という事実と、「日本軍が国家的に女性を拉致し、性奴隷として運用した」という戦後的な物語である。前者は歴史上の制度の問題であり、後者は政治的に増幅された道徳的言説である。この二つを混同した時点で、議論は実証から離れ、裁きの言葉へと変質する。

少なくとも、日本政府が確認した公的資料の範囲において、軍や官憲による組織的な「強制連行」を裏付ける資料は確認されていない。もちろん、そのことは慰安所に関わる苦難や不当行為の存在を否定するものではない。しかし、公娼制度を背景とした「慰安所制度」と「国家的拉致犯罪」は別概念である。ここを曖昧にすることで、慰安婦問題は巨大な道徳的断罪の物語へ作り替えられた。

当時、慰安所が軍事行政の中で利用された背景には、性病予防、軍紀維持、現地女性への性暴力抑止、防諜、兵士管理といった実務上の目的があった。現代の感覚からすれば、肯定しがたい側面を持つ制度であった。しかし、当時の公娼制度と軍事行政の文脈において、それは無秩序を防ぐための管理政策として位置づけられていた。

責任が問われるべきだとすれば、それは制度の存在そのものではなく、個別の詐欺的募集、強圧、不当な拘束、業者による搾取、現場での虐待や放置の有無に即して検証されるべきである。歴史を精密に見るとは、責任の所在を一つずつ切り分けることを意味する。慰安婦問題で長く行われてきたのは、その切り分けではなく、すべてを「日本人の罪」に束ねる作業であった。

第二章──「慰安婦神話」はいかに作られたか

慰安婦問題の最大の特徴は、実態の検証よりも先に、道徳上の配役が決められていたことである。日本人は加害者側、朝鮮人女性は被害者側、被害者側の語りは疑ってはならず、加害者側の反論は反省不足とされる。この構図に入れられた瞬間、議論は議論ではなくなる。最初から判決の出ている裁判が始まるだけである。

本来問われるべきは、軍の関与の範囲、民間業者の役割、公娼制度を背景とした慰安所運営の実態、前借金、貧困、家族の関与、朝鮮半島における斡旋構造、現場での個別の違法行為である。ところが、こうした複雑性は、国際人権言説の中では扱われにくい。複雑にすればするほど、「日本軍がアジア女性を性奴隷にした」という単純で強力な物語の輪郭が崩れるからである。

そこで用いられたのが「性奴隷」という言葉であった。この語は極めて強い道徳的効果を持つ。一度この言葉が貼られると、制度の実態を検証すること自体が、被害者を傷つける行為であるかのように扱われる。募集の実態を問えば「二次加害」とされ、軍の直接的拉致を疑えば「歴史修正主義」とされる。言葉が事実を説明するのではなく、言葉が事実への接近を妨げるのである。

ここに「慰安婦神話」の構造がある。慰安婦制度は存在した。しかし、戦後に語られてきた慰安婦像の多くは、制度の実態そのものというより、日本人を道徳的下位に固定するための政治的物語として形成された。慰安婦問題とは、女性の苦難の問題であると同時に、歴史を利用した集団債務論の問題でもある。

第三章──募集の現場と不可視化された業者責任

慰安婦問題で見落としてはならないのは、募集の現場にいた業者の責任である。悪質な募集、詐欺的勧誘、強圧、前借金による拘束、不当な搾取が問題であるなら、まず検証されるべきは、それを実際に担った周旋業者、接客業者、斡旋関係者の行為である。ところが戦後の慰安婦言説では、この具体的な媒介過程がしばしば省略され、「日本軍の加害」という大きな言葉の中に吸収されてきた。

朝鮮半島における募集には、現地の周旋業者、接客業者、斡旋機構が関わっていた。そこには、職業斡旋、貧困、前借金、家族の事情、業者間の仲介といった当時の社会経済構造が絡んでいた。これらを検証せず、すべてを「日本人がやったこと」として処理するのは、歴史の単純化である。

もちろん、これは責任を別の集団へ転嫁するための議論ではない。問われるべきは、民族や国民を単位にした集団責任ではなく、具体的な業者、制度、管理主体、現場の責任である。民族を単位に加害者と被害者を固定する発想そのものが、慰安婦問題の理解を歪めてきたのである。

第四章──国際人権言説と日本メディアの自己告発

慰安婦問題が国際的に拡大した背景には、欧米発のポリティカル・コレクトネスがある。「女性の権利侵害」「戦時性暴力」「植民地支配」「男性権力」「アジア女性」という言葉が組み合わされると、強力な道徳的磁場が生まれる。その中では、事実の検証よりも、どちらが被害者でどちらが加害者かという配役が優先される。

この配役に、韓国の反日ナショナリズムが結びついた。韓国側にとって、慰安婦問題は、日本を道徳的に下位に置き、自国を被害者側の正義に位置づけるうえで有効な政治的資源となった。そこに国際人権言説が加わることで、韓国側の主張は「民族的な対日批判」から「普遍的人権の主張」へと格上げされた。

さらに深刻だったのは、日本国内の一部マスメディアがこの構図を増幅させたことである。本来、日本のメディアは事実関係を精密に検証し、日本国民の名誉が不当に傷つけられないよう冷静な議論を行うべきであった。ところが一部メディアは、日本を弁護するのではなく、日本を告発する側に立った。自国を裁くことによって自らの道徳的優位を確認するという、戦後日本特有の自己告発癖がここに表れている。

日本人の多くには、この問題への拒否反応があった。それは過去の苦難を否定したいという感情ではない。事実を精密に見ないまま、日本人全体に原罪を負わせる構図への拒否反応である。にもかかわらず、その自然な違和感は、長く「反省不足」や「右傾化」として処理されてきた。

第五章──反ポリコレ時代における歴史認識の正常化

しかし、ポリコレ的な道徳支配は、近年、世界的に限界を露呈している。米国では、白人男性を中心に、非大卒の労働者階級、地方・小都市の住民、保守派、宗教保守層が、長く「遅れた側」「特権側」「差別する側」として扱われてきた。これに対する反発が、トランプ現象として可視化された。これは単なるポピュリズムではなく、黙らされてきた多数派が、道徳裁判に対して異議申し立てを始めた出来事である。

トランプ現象の意義は、トランプ個人の品格や発言の粗さとは別に評価されなければならない。彼が可視化したのは、ポリコレの道徳独占に対して「おかしい」と言ってよいのだという空間である。異論を言えば差別、検証すれば加害、反論すれば反省不足という構図に対して、多くの人々が沈黙を拒否した。

日本社会は、欧米における反ポリコレの潮流に先んじて、慰安婦問題をめぐる一方的な断罪に違和感を示していた。90年代以降、日本国内では事実に基づく検証を求める動きが起こり、それは異論を封じる言論空間への抵抗でもあった。のちに欧米で同様の反発が可視化されたことで、その違和感はより大きな時代的文脈を持つものとして理解されるようになった。

慰安婦問題もまた、この反ポリコレ時代の中で再検討されるべきである。女性の苦難を否定する必要はない。個別の不当行為があったなら、それは検証されるべきである。しかし、それを「日本人の原罪」へと変換し、日本人全体に永久債務を負わせる言説は拒否されなければならない。歴史認識の正常化とは、過去を忘れることではない。過去を、道徳劇から実証の場へ戻すことである。

むすびに──日本人の名誉のために

慰安婦問題とは、慰安所制度の実態が、国際人権言説、韓国社会の反日ナショナリズム、日本国内メディアの自己告発的姿勢によって、「日本人の原罪」へと変換されていった問題である。糺されるべきなのは、女性の苦難を語ることそのものではない。その苦難を利用して、日本人を道徳的下位に固定しようとする政治的言説である。

歴史は、民族ごとに加害者と被害者を割り振るためにあるのではない。歴史は、具体的な制度、具体的な行為、具体的な責任を明らかにするためにある。朝鮮半島における募集の実態、現地業者の関与、当時の公娼制度、軍の管理範囲、個別の詐欺や強圧の有無を切り分けず、すべてを「日本人の罪」に変換することは、歴史ではなく政治である。

日本人が拒んでいるのは、事実に基づかない集団債務である。否定すべきは、女性の苦難ではない。その苦難を根拠として、日本人の名誉を永続的に傷つける言説操作である。

いま必要なのは、歴史の正常化である。慰安婦問題を「性奴隷神話」から引き戻し、公娼制度を背景とした「慰安所制度」という歴史的実態の中で精密に見直すこと。それこそが、歪められた歴史認識を糺し、日本人の正当な名誉を回復するための出発点である。

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