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韓流は日本から始まった──忘れられた原点を辿る

かつて韓流は、日本を起点に広がった。
2000年代初頭、《冬のソナタ》を筆頭とする韓国ドラマが日本で熱狂的な支持を受け、そこから「韓流(한류)」という言葉が生まれた。これは韓国人が作った語彙ではなく、日本のメディアが名付けた造語だった。つまり、韓流の名も現象も、その最初の大規模な舞台は日本だった。

実際、2000年代から2010年代初頭にかけて、韓国のコンテンツ産業が最も収益を上げていた市場は間違いなく日本だった。韓国国内のファン層よりも早く、深く、大きく動いたのが日本の消費者だった。

にもかかわらず──現代に至る過程で、韓国社会ではこの初期段階の事実が語られることはほとんどない。

日本人は感謝を求めていない

日本人の多くは、「韓国は日本に感謝すべきだ」とは考えていない。
ただ、すべてをなかったことのようにされ、都合よく“加害者”としてのみ扱われ続ける状況に、多くの日本人が強い違和感や不満を抱えている。

戦後の日本が、韓国の近代化・インフラ整備・経済発展に寄与してきたこと、さらには韓流文化の最初の支持基盤となったことは、冷静に見れば否定できない事実である。それを認めることは、韓国の国格を下げるものではない。むしろ、真に成熟した国家であるなら、自国の成功がどのような国際的関係性の上に成り立ったかを正確に把握するはずだ。

「見下し」へと変質した視線

残念なことだが、近年、韓国の一部メディアや世論には、日本の長期停滞や経済的地位の相対的低下をもって、あたかも韓国が完全に日本を超えたかのように語る風潮が見られる。

確かに、韓国は目覚ましい成長を遂げた。BTSやNetflixドラマ、サムスンや現代といった企業のグローバル展開は、高く評価されて然るべきだ。しかし、それは「社会の成熟」や「文化的深度」「国際的信頼」とはまた別次元の話である。

「日本を見下す」という姿勢が見えるとき、それは実は“まだ日本を超えたと信じきれない”心理の裏返しでもある。真に安定した自信を持つ国は、他国を侮る必要などない。

結びに

韓国が経済や文化の分野で成果を上げてきたことは確かだ。
だが、そのたびに他国を引き合いに出し、誰かの上に立とうとするような姿勢が透けて見える限り、彼らが心の底で本当に求めている――「成熟した先進国」として世界から自然に敬意を払われる位置には、決してたどり着けないのではなかろうか。

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