ノーベル賞の秋、韓国に訪れる「沈黙の季節」──日本人受賞を見つめる隣国のまなざし
はじめに──歓喜と問いのあいだで
2025年10月、ノーベル生理学・医学賞には坂口志文氏が、化学賞には北川進氏が選ばれた。坂口氏は末梢免疫の制御にかかわる「制御性T細胞」の機能を解明し、自己免疫疾患の理解と治療法の確立に道を開いた。北川氏は金属有機構造体(MOF)の創製において世界を先導し、エネルギー貯蔵や環境浄化などの応用可能性を広げた。これにより、日本の自然科学系ノーベル賞受賞者は通算で30人を超えた。戦後から続く研究文化が、今日まで静かに受け継がれてきたことを示す出来事である。
いずれの研究も、評価に至るまでには長い年月を要した。資金も理解も乏しいなか、研究者たちは「すぐに役に立たない問い」を粘り強く追い続けた。今回の受賞は、その時間の重みそのものが生んだ成果である。
一方で韓国では、この季節になると「今年こそ」「また逃した」という言葉がネットを巡る。ノーベル賞の季節は、成果と焦燥が交錯する時間であり、社会の成熟度を映す鏡でもある。
KBSニュースのコメント欄が映した心の風景
日本人受賞を伝えた韓国のKBSニュースのYouTube動画には、数千件のコメントが寄せられた。そこに見えるのは、かつてのような感情的反発ではなく、冷静な分析と自省のトーンである。
2명은 진짜 대단하네.. 일본 대학생들은 저 정도 수준의 교수들 밑에서 수업을 듣는다는 거잖아.
(2人とも本当にすごい。日本の大学生はそのレベルの教授のもとで授業を受けているということだ。)핸드폰 카메라 렌즈도 90프로가 일본 기술이라던데… 일본은 기술하고 부품만 팔아도 돈벌고 좋겠다.
(スマートフォンのカメラレンズも9割が日本技術だとか。日本は技術と部品だけでもうけられてうらやましい。)한국에게 노벨상도 넘사벽이지만 정밀산업기계나 광학장비는 거의 다 일본제다.
(韓国にとってノーベル賞は高い壁だが、精密産業機械や光学装置はほとんど日本製だ。)리튬이온전지, 플래시메모리, LCD, OLED, 청색LED 같은 양산기술은 전부 일본에서 나왔고, 이걸로 한국·중국이 먹고 산다.
(リチウムイオン電池、フラッシュメモリー、LCD、OLED、青色LEDなどの量産技術はすべて日本発であり、韓国や中国はそれで産業を築いてきた。)일본이랑 미국이 이렇게 노벨 과학상을 꾸준히 받는 건 배워야 한다.
(日本やアメリカがこうして科学分野でノーベル賞を取り続けることは学ぶべきだ。)강 한국은 반미·반일만 하니까 배우지를 않고 계속 악순환.
(韓国は反米・反日ばかりで学ばず、悪循環を続けている。)한국이 노벨상이 안 나오는 이유가, 당장 성과 못 내면 연구비가 끊기기 때문이다.
(韓国でノーベル賞が出ない理由は、すぐ成果を出せなければ研究費が止まるからだ。)손털님이 말한 것처럼, 정부 바뀔 때마다 오락가락 하는 정책도 문제다.
(政府が変わるたびに一貫性のない政策になるのも問題だ。)민족성이 다름… R&D는 시간과 인내의 싸움인데, 한국인은 꾸준히 천천히 오래 하는 걸 못 함.
(民族性が違う。研究開発は時間と忍耐の戦いだが、韓国人はゆっくり地道に続けるのが苦手だ。)한국의 교육은 직업소개소 제출용이다.
(韓国の教育は履歴書づくりのための職業紹介所のようだ。)우리나라가 자랑하는 케이팝이나 오징어게임도, 저작권은 외국 기업이 갖고 있다.
(K-POPや『イカゲーム』も著作権は外国企業が持っている。)애초에 일본하고 비교한다는 거 자체가 자의식과잉임.
(そもそも日本と比較するという行為自体が自意識過剰だ。)한국에서 노벨상이 안나오는 이유 중 하나가 댓글에 도 나옴 ㅋㅋㅋㅋㅋㅋ
(韓国でノーベル賞が出ない理由のひとつがコメント欄にも出ているね 笑)진짜 일본 대단하다. 배울 점도 많고, 되게 창의적이다.
(本当に日本はすごい。学ぶべき点が多く、とても創造的だ。)
これらの短い声は単なる感情の発露ではない。「技術や知財の基盤はどこにあるのか」「なぜ長期研究が育たないのか」という構造的な問いを、国民自身が投げかけている。これは他者を羨むのではなく、自国の現実を見つめるまなざしである。そしてその先にあるのは、日本の研究文化が体現してきた「時間をかける知」の価値である。
繰り返される秋の期待と失望
毎年10月、韓国のメディアは「有力候補」を報じ、国民の期待を煽る。代表的なのが、光化学・有機半導体の研究で知られるキム・ビョンギュ(김병규/金秉圭)氏(ソウル大学)や、がん免疫研究のソ・ヒョンソク(서현석/徐鉉錫)氏(延世大学)などである。いずれも国際的に高い評価を受けており、学会でもしばしば「韓国のノーベル賞候補」として名前が挙がってきた。
報道は「今年こそ」「次こそ」と希望を語りながらも、発表が終わると、毎年同じ反省が繰り返される。基礎研究への投資不足、短期成果を優先する制度、政権交代による支援の揺らぎ──指摘は正しい。しかし、なぜ毎年同じ議論が続くのかという根本の問いが残る。
問題の核心は「時間への耐性」である。基礎論文より応用特許を重視する風潮、若手が「5年で成果を出せなければポストを得られない」として長期テーマを断念する現実、引用数を稼ぐための表面的な研究活動──それらは本質的な効率ではなく、見かけの成果を生む。短期主義は「問いを育てる土壌」を痩せさせ、創造の芽を枯らす。
分岐する韓国──賞賛と倦怠のあいだで
ここ10年ほどで、韓国社会の反応には変化の兆しがある。しかし「変わった」と言い切るのは一面的だ。ノーベル賞の発表直後、ネット上には賞賛と虚無が同居する、感情の二層構造が広がった。
今回のコメント欄にも「本当にすごい」「日本から学ぶべき」といった落ち着いた賞賛の一方で、「どうせ短期で成果が出なければ支援が続かない」「結局、政治が全部壊す」といった構造的な諦めも多く見られた。この自嘲と倦怠が混ざり合った感情こそが、いまの韓国社会の知的リアリズムを映し出している。
この倦怠は、「問題を認識しているが、解決できない」という無力感から生まれている。国民は短期主義の弊害を理解しているが、その根底には「パルリパルリ(빨리빨리/早く早く)」文化と成果主義の政治構造がある。結果を急ぐ社会の慣性は、ゆっくり考え、長く探究するという学問の時間感覚と相容れない。社会全体が速度に馴染みすぎた結果、研究者だけでなく国民全体が「待つ力」を失いつつあるのだ。
それでも、希望を示す変化はある。一部の若者や研究者の間では、目先の利益ではない基礎科学を志す動きや、長期的視野に立った支援制度を求める声が着実に広がっている。「焦るより学ぶ時期だ」というコメントに象徴されるように、ノーベル賞が国家のプライドを賭けた競争の対象ではなく、社会全体の学びと内省の契機として受け止められつつある。
変化はゆるやかだが、確かに始まっている。成熟とは、他者の成功に歓喜しつつ、自国の構造的課題に粘り強く向き合う力を持つことかもしれない。
むすびに──問いを続ける社会へ
ノーベル賞の季節が訪れるたびに、韓国は日本を見つめ、そして自らを見つめる。そこにあるのは嫉妬でも敗北でもなく、「なぜ焦るのか」という静かな問いである。
科学の進歩とは、時間と向き合う営みであり、ノーベル賞は急いで植えても咲かない。何十年も耕し続けた土壌にだけ根付く多年草のようなものだ。
今年のコメント欄には、かつてのような感情的反発はあまり見られなかった。かわりに、自国の構造を冷静に見つめ、日本の研究文化を静かに評価する声が増えた。それは成熟の兆しであり、学びを共有できる隣人としての姿でもある。
ただ、日本人の多くにとって、ノーベル賞を国家的悲願のように語る姿には、どこか不思議な印象を受けるのも事実である。日本では、受賞は社会全体の誇りであっても、「取るために研究する」という発想は希薄だ。この違和感は、両国の「知に対する文化的距離」を映している。成果を目的とする社会と、探究そのものを目的とする社会──その差が、ノーベル賞をめぐる空気の違いとして現れているのかもしれない。
ノーベル賞は、国同士の競争ではなく、人類が積み重ねてきた知の営みの象徴である。韓国の中でいま芽生えつつある問いと内省が、やがて自国の文化として根を張ることを願いたい。
焦りを超え、問いを続けること。その姿勢こそ、時代とともに歩む知の成熟のかたちなのかもしれない。
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