見出し画像

なぜ人間は争うのか──「生物の本能」から見えてくる東アジアの現実

「争いはなくせる」という前提が問い直されている

私たちは、「争いはよくない」「戦争は避けるべきだ」と教わって育ってきた。
それは道徳としては正しいし、人類が共有すべき願いでもある。

だが、現実には戦争はなくならない。争いも絶えない。
その理由を「人間が愚かだから」と片づけることは、もっと深い構造から目を背けることになる。

本当に問うべきは、なぜ人間は争うのかということだ。

生命とは、遺伝子(DNA)が“自己複製“を繰り返すための仕組みである

人間もまた、生物の一種である。
すべての生物は、細胞の中に「遺伝子(DNA)」を持ち、その設計図に従って行動する。

この遺伝子が目指しているのは、「生き残ること」ではない。
「自分を複製して増やすこと」──それが、生物の本質的なプログラムである。

そのためには、まず自分自身が生き延びなければならない。
食糧、水、安全な環境、配偶者、仲間──生存と繁殖に必要なリソースを確保することが最優先となる。

人類は、他の生物とも、そして人類同士でも競争している

この「リソースの確保」が、生物同士の競争を引き起こす。
自然界では、異なる種が水や食料を巡って争う。
そして人間もまた、かつては他の動物や病原体との競争の中で生き延びてきた。

だが人類が地球を支配するようになった現代では、
最も激しい生存競争は、人類の集団同士で起きている。

国家、民族、宗教、文明、そして企業──
人間集団が、それぞれの存続と繁栄をかけて、同じ資源、同じ市場、同じ影響圏を争っている。

争いとは、悪意や憎しみからではなく、
生物としての宿命から生まれる「構造」なのだ。

「話せばわかる」という美徳は、条件つきの幻想である

もちろん、だからといって戦争を完全に肯定するわけではない。
だが、「対話があればすべて解決できる」という考え方は、ある前提に立っている。

──相手にも、話し合う意志があること。
──ルールを共有する意思があること。
──対話がリスクよりも利益をもたらすと、双方が判断していること。

これらの前提が揃って、初めて「話せばわかる」という言葉が意味を持つ。
だが世界には、話す気も、聞く気もない相手が確かに存在する。
その現実から目を背けたとき、「善意」は無防備へと変わってしまう。

東アジア──世界で最も争いが絶えない場所

私たちは日本に暮らし、「平和は当たり前」だと感じがちだ。
だが、日本が位置する東アジアは、争いが潜在化している地域である。

中国は軍事力と経済力を武器に、現状変更の圧力を強めている。
北朝鮮は、核ミサイルと威嚇を日常化し、もはや既成事実として扱わせようとしている。
さらにロシアは、ウクライナ侵攻によって「国境は力で変えられる」という実例を世界に示し、いまや北朝鮮と武器・技術を介した連携を深めている。

そして韓国は、政権交代のたびに対日政策が反転し、
安定的な信頼構築が極めて困難なパートナーとなっている。

この地域において、「話し合いで解決」は前提が崩れている選択肢になりつつある。

備えることは、戦うためではない──戦いを未然に封じるためである

抑止力とは、「相手の攻撃を防ぐための構造」だ。
武力を背景に、「攻撃すれば痛みを伴う」と相手に理解させることで、そもそも戦いが始まらないようにするための装置である。

準備をすることは、好戦性の表れではない。
むしろそれは、戦争を未然に防ぎ、平和を守る最も現実的な方法なのだ。

“優しさ”では守れない──試される日本の現実

私たちは、爪も牙も隠してきた。
だが、世界の多くは、隠したものを“無いもの”とは受け取らない。
むしろ、「抵抗しない意志」として解釈されてしまう。

いま求められているのは、言葉や理想ではない。
生物としての人間の本質を理解したうえで、それを超えるための“構造”を築くこと。
そして同時に、万が一この国の生存が脅かされるような状況が訪れれば、
日本とて武器を手にする──それが、生物としての自然な反応である。

それは侵略や報復ではなく、ただ“生き延びる”ための行動だ。
実際、人間の歴史とは、そうして他者を押しのけ、生存圏を確保し続けてきた記録でもある。
この現実を見誤れば、平和もまた絵空事に変わってしまう。

平和は、善意では維持できない。
平和は、現実を直視し、それに備えた者だけに、初めて許される“果実”なのである。

関連記事

台湾有事と日本──態度の違いがもたらす未来の分岐点


いいなと思ったら応援しよう!