韓国・朝鮮・コリア──戦後日本を映す呼称の軌跡
序論──言葉が映す戦後日本の精神史
戦後の日本社会において、朝鮮半島をめぐる呼称ほど、その時代の空気や国民感情を無言のうちに映し出してきたものはない。「朝鮮」「韓国」「コリア」── 一見すれば地名や言語の名称にすぎないこれらの言葉は、実のところ日本人が半島に向けてきたまなざしの変遷を静かに刻んでいる。軽視、無関心、警戒、そして関心へ。呼称の移り変わりは、外交や文化の表層を超えて、日本人自身の内面をも映す鏡だったのである。
朝鮮から始まった戦後
1945年の解放直後、日本では朝鮮半島も人々も言語も一貫して「朝鮮」と呼ばれた。これは戦前からの呼称がそのまま使われ続けたに過ぎず、南北分断がまだ現実のものとなっていなかったこの時期、「朝鮮」は地理的・民族的な中立語としての性格が強かった。
実際、戦後しばらくのあいだ報道や教科書、辞書類では一貫して「朝鮮語」が用いられており、言語の名称としても長らく標準であり続けた。これが大きく変わるのは冷戦構造が揺らぎ、韓国の国際的地位が高まる1980年代以降のことである。
南北分断と中立的呼称の持続
1948年、南に大韓民国(韓国)、北に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が成立し、呼称は一気に複雑化した。日本政府は韓国を唯一の承認国家としたが、国内外の情勢を反映し、南北いずれにも与しない表現が求められるようになった。
その代表例が「朝鮮語」である。NHKの語学講座や教科書、辞書類では長らく「朝鮮語」が使われ続け、冷戦期を通じて政治的対立を避けるための中立的な呼称として機能した。もっとも、この中立性は必ずしも自然な合意を意味しなかった。植民地支配の記憶や冷戦下の対立を背景に、「朝鮮」という言葉にはしばしば距離感や違和感が伴っていたのである。
中立的呼称と造語の登場
1970年代以降、北朝鮮の国際的イメージが悪化し始める一方で、呼称の面では長らく「朝鮮語」が報道や語学教育で標準として使われ続けた。NHKラジオで「朝鮮語講座」が始まったのは1959年であり、これが2009年に「ハングル講座」へ改称されるまで半世紀以上も続いたことは象徴的である。
この時期、南北どちらにも偏らない表現を模索する中で、「コリア」や「コリア語」という呼称も登場した。特に1980年代には韓国の経済成長と国際的地位の上昇も相まって、「朝鮮」から「コリア」への言い換えが一部で広がりを見せたが、公的な呼称として定着するには時間がかかった。
さらに日本特有の造語として広まったのが「ハングル語」である。本来ハングルは言語名ではなく文字名であり、学術的には誤用であるにもかかわらず定着したのは、政治的対立から言語を切り離し、文化的・学習的対象として親しみやすさを与えようとする脱政治化の意図が働いたからだろう。
北朝鮮呼称の変化──正式名称から略称へ
冷戦期、日本のメディアは北朝鮮を長らく「北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国」と呼んでいた。そこには、朝鮮総連の影響力や国交のない相手への外交的な配慮、さらには冷戦下特有の対立を表に出さない日本的あいまいさがにじんでいた。
しかし1990年代、冷戦終結とソ連崩壊がこの構図を根底から揺さぶる。孤立化する北朝鮮、1998年のテポドン発射、2002年の拉致問題認定──こうした事件の連続は、日本社会にとって北朝鮮をもはや配慮の対象ではなく、警戒と不信の対象へと変えていった。呼称が正式名称から単純な「北朝鮮」へと収斂していったのは、この意識変化の象徴でもあった。
韓国の台頭と呼称の重心移動
1980年代後半から90年代にかけて、韓国の民主化、ソウル五輪、経済成長が続き、韓国は国際社会での地位を高めた。報道でも「韓国」「韓国語」「在日韓国人」や「在日コリアン」が主流となり、北朝鮮が警戒と不信の対象となる一方で、韓国は経済・文化のパートナーとして扱われるようになる。
同時に、日本人にとって「朝鮮人」という呼称は次第に使いづらい言葉となっていった。植民地支配の記憶や在日社会への差別と結びついたことで、この言葉には否定的な響きが伴うようになり、報道や公的な言葉遣いからは急速に姿を消していったのである。
しかし一方で、在日社会の内部には今も朝鮮籍を保持する人々が存在し、彼ら自身はしばしば自らを「朝鮮人」と呼んできた。国籍、民族、言語が複雑に絡み合う中で、「朝鮮人」という呼称は外部の日本社会では避けられ、内部の在日コリアン社会ではアイデンティティを示す言葉として残ったのである。
韓流ブームと呼称の定着
2000年代に入ると、韓流ドラマやK-POPが韓国イメージを一変させた。NHKが2009年に「朝鮮語講座」を「ハングル講座」に改称したのは、政治的配慮だけでなく、韓国語が学びたい言語として若者文化の一部になった象徴でもあった。
一方で、地理的呼称としては日本では一貫して「朝鮮半島」が使われ続け、「韓半島」という言い方は日本語として定着しなかった。国際的用語(the Korean Peninsula)との整合性と外交的な中立性の両方を満たす呼称として、「朝鮮半島」はそのまま生き残ったのである。
むすびに──言葉の層に刻まれた戦後日本
戦後日本で使われた「朝鮮」「韓国」「コリア」「ハングル語」、そして「朝鮮民主主義人民共和国」から「北朝鮮」への呼称の移り変わりは、冷戦構造や国際政治の影響を受けた表層的な現象に見えるかもしれない。しかし、その背後にはもっと深い、日本社会特有の心理と時代の動きが刻まれている。
長らく続いた「朝鮮」という呼称には、植民地支配の残像と同時に、半島を一つの存在として見る無意識の連続感があった。やがて「韓国」「北朝鮮」という分断の現実が突きつけられると、日本社会は角を立てぬように「あいまいな言葉」を選び、時に「ハングル語」のような奇妙な造語まで生み出した。これは対立の回避と同時に、政治から距離を取る日本的な言語感覚の表れでもあった。
そして21世紀、韓流ブームやK-POPは、日本人の耳に初めて韓国語をポップカルチャーとして響かせた。歴史や政治にまとわりついていた呼称は、ここでようやく学びたい言語、楽しむための言語として新しい意味を帯びる。さらに、日本が韓国を特別に配慮すべき相手ではなく、対等な隣国として向き合う意識の変化も、この呼称の定着と重なっている。
呼称の変遷をたどることは、戦後日本が朝鮮半島とどのような距離感を取り、どのように感情を交錯させ、そしていかに文化を受け入れてきたかを読むことにほかならない。そこには無関心から警戒、そして関心や親近感へと変わり、最終的に対等な関係を結ぶ隣国へと移行していった、日本社会の戦後意識史そのものが刻まれているのである。
関連記事
John Curtis 全記事リンク集 ▶ 韓国・東アジアを読み解く入口
👉 リンクは
