『湯船に咲いた、看護の真実』
コロナ発症四日目。
ようやく熱が下がり、
久々にお風呂に入ってみることにした。
普段は「風呂キャン界隈」などと自称し、お風呂に入るくらいなら一生布団と友達でいたいと願うほどの面倒くさがりな私であるが、今日ばかりは、身体が本能的に「水」を、いや「お湯」を求めていた。
ほかほかと湯気の立つお風呂へ、ちゃぷん、と浸かる。
その瞬間、私は「はふぅ……」という、自分でも驚くほど情けない、けれど最高に幸せな溜息を漏らしてしまった。
気持ちいい。
ただそれだけのことが、今の私には、何よりも尊い
救済のように感じられた。
その温もりのなかで、私はふと、看護界の大御所・川嶋みどり先生の『看護の力』という一冊を思い出した。
人間が本来持っている、
自然に治ろうとする力を引き出すこと。
美味しく食べて、清潔に過ごし、ぐっすりと眠る。
そんな「当たり前の暮らし」を整えることこそが、看護の原点なのだというあの教え。
ナイチンゲールが『看護覚え書き』に記したように、清拭や入浴は、ただ身体を洗うだけの作業ではないのだ。
それは、患者を安楽へと導き、生命をイキイキとさせる、いわば「救命の要素」そのものなのである。
「……なるほどね。これが、生命が喜ぶ音か」
私は、お湯の中で
ふやけた自分の指を見つめながら、神妙な気持ちになった。
けれど、現実はなかなか厳しい。
全国にどれほどの看護職が、湯船の温度一つに、ナイチンゲールの魂を込めて関わっているだろうか。
川嶋先生のおかげで、その考えは随分と広まったけれど、頭では分かっていても、忙しい現場では「単なる清潔ケア」として流されてしまうのが、今の世の中の切ないところである。
あんな風に、魂を込めて『看護の力』を語れる先生は、
もしかしたら川嶋先生が最初で最後なのかもしれない。
まずは、自分がこの「気持ちよさ」を忘れないこと。
それこそが、現場へ戻った時の、私の一番の武器になるはず。
おじいちゃんの珈琲(薄いコーヒーに角砂糖を6個入れたもの)のような甘い癒やしと、川嶋先生の看護の力。
その両方を胸に、私はコロナという砂漠をのらりくらりと脱出し、再び戦場へと向かう。
お風呂、やっぱり入ってよかった。
私の生命は今、間違いなく、ピカピカに輝いている。

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