命
1990年代
私は高校生でアルバイトを始めた。頭がおかしくなるほど欲しい物があった、友人に打ち明けると必ず白い目で見られた。親に買ってもらえる金額ではないので学校の規則は覚えていないが1年生1学期からアルバイトを初めた。
「NSR250r (乾式クラッチ)」これだ。(たくさん有るから型式は忘れた)
中学生の時は寝る前には水ぶくれだらけの指で、少し古いモデルのパンフレットを読んでいた。
右から何かが
来てる、中学生だった私は父の車の後部運転席側に座っていた。
信号待ちだった。追い越しレーンから、即ち私の右後頭部から
「ッンパイーーッン」「ップォーン」⤵「ップォーン」⤵「ップゴォーン」⤵
「ガッカラッ」「カラカラカラカラ…」。
し び れ た。
完全に持ってかれた。スキになってしまった。目が離せない。
青になった。
「ッンパァー」⤴(2㍍ウィリーして着地した)「ッンパァー」⤴(10㍍)「ッンパァー」⤴(…)
見えなくなった。
安全運転の父をこの日ほど恨んだことはない。
宣言
「私も免許撮ったら絶対!!乗るっ!!!」
父も母も訝しげに笑っていた。「んなばかな」と思っていたのだろう。
ギターも本気だったがこの宣言も本気だった。
勝負の日
私はバイク屋に行った、アレを手に入れるためにここで働くと決めたからだ、割のいいバイトは他にも沢山あった。だが違うそうじゃない。ここで働けばアレの傍にいられる。決めつけた。安い時給だが雇ってくれた。
気持ちでは「半分買ったも同然」だっただって傍に有るから触れるから。
社会はそんなに甘くなかった。
負けたのか?
色々と面倒だから
「注文が入ったときにしか触らないし、メンテナンスも基本お断りしている」
「と言うかあんまりオススメしていないよ」
社長はそう言った。(後から知ったが当時はそういう店が本当に多かった)
ガ━━━━━━━∑(゚□゚*川━━━━━━━━ン!
を経て
_| ̄|○ ガックリ.
まさにこの表情と態度を採った気がする。
学んだ
3年間
役所、陸運局、カブ系、スクータ系、CB系、V Twin系、2スト、4スト、戦前・中の旧車(Indian、陸王)、外車、エアペイント、工具のメンテナンス。
だが、電装系だけは触らせてくれなかった、多分法規的な理由だろう。
わかったんだ
社長がNSR250rをオススメしない理由が。複雑な顔をして教えてくれた。
私みたいにNSR250rに憧れた沢山の若者が「命」を落としてた。
保安部品外せば、当時レースに出られるレベルのバイクだ。
扱いが非常にシビアなほぼレーサー仕様なのだ。
ざっくり2ストの馬力は4ストの2倍、4スト換算500ccの「レーサー仕様」を若者が市中で乗る。
3年間バイトした肌感覚で理解した「そりゃそうだよね」。
社長いい人だったんだ、働き始めてもずっと、いじわるしてNSR250r置いてくれないんじゃなかったんだ。
タバコ隠してごめん、キー隠してごめん、ガスケット1000枚注文してごめん…
時を経て
バイクは何台も乗り継いだ、今でもスキです。きっかけは上記の通り。
最後に
「・・・離れ」は有ると思うけど、今はEVでも色んなバイクが有るし、手軽だから乗っている方もそれなりにいるだろう。
是非「安全運転」で。
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