[連鎖する絶望:第8回 妹の自死、後を追った元カレ。そして始まった母の壮絶な復讐〜


私の妻の家族には、静かに、しかし激しく流れる壮絶な歴史がある。それは、すれ違う愛情と深い後悔、そしてそこから始まったそれぞれの「人生を取り戻す旅」の記録だ。
我慢を強いられた長女、人たらしの次女、重圧から逃れた長男
妻は三人きょうだいの長女として生まれた。真ん中には人当たりの良い妹、そして少し離れて末っ子の弟がいた。
幼少期、きょうだいへの両親の接し方は残酷なほどにいびつで、対照的だった。
妻には、幼い頃の病気による大きなお腹の傷があった。母親は「この子を傷物として産んでしまった」という強い後悔と自責の念から、「厳しく育てなければ、この子はこの先生きていけない」と思い詰め、妻にことさら厳しく当たった。「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と、好きなものさえ満足に食べさせてもらえない環境で育てられたのだ。
一方、真ん中の妹は人当たりが良く、誰に対しても愛想のいい八方美人だった。今で言う「人たらし」な性格で、父親の懐に飛び込むのが上手く、母親の目を盗んでは父親に甘え、欲しいものを手に入れる術を知っていた。
一応義父は代々続く名家で事業を営み、アパート経営も手がける裕福な家長だった。
そして一番末っ子の弟は、代々続く名家の「後継ぎ」として、両親からことさら大切に、過保護に育てられた。しかし、その過剰な期待と家業を背負う重圧がプレッシャーになったのか、結局彼は家を継ぐことなく、実家を離れていってしまった。
妹の「人のものを欲しがる癖」は、やがて取り返しのつかない確執を生むことになる。高校時代、妹はあろうことか妻の当時の彼氏にまで手を出し、奪ってしまったのだ。妻の心に積み重なっていた「自分ばかりが我慢させられている」という澱は決定的になり、姉妹の仲は修復不可能なほど冷え切っていった。
裏切りの連鎖と、壊れていく心
大人になった妹は、父親の会社で事務員として雇われ、さらに父親から与えられたアパートの一室で、結婚を約束した許嫁(いいなづけ)と同棲生活を始めていた。
しかし、人のものを欲しがった妹自身もまた、残酷な裏切りに直面することになる。
妹と許嫁は互いの休みが合わず、すれ違いの生活が続いていた。そんなある日、妹がアパートに帰ると、自分が仕事で留守にしている隙を見計らって、信じていた許嫁が女を連れ込み、ベッドで行為に及んでいる現場を目の当たりにしてしまったのだ。
しかもその女は、見知らぬ他人ではなかった。妹にとって専門学校時代からの親友であり、当時も変わらず仲良くしていたはずの親友だった。最も身近にいる二人に同時に裏切られるという、自らの聖域であるはずの部屋での生々しい惨劇。
この出来事を境に、妹の精神は完全に崩壊した。人を信じられなくなり、実家に戻って深い心の病に伏せるようになった。「躁鬱病(双極性障害)」の始まりだった。
症状が激しくなると、家の中のものを壊し、泣き叫び、自ら刃物を向けるような自傷行為に及ぶこともあった。少しでも目を離せば何をするかわからない。そんな極限状態の中、母親は24時間体制で娘を監視し続けなければならなかった。終わりの見えない看病と、常に張り詰めた緊張感に、母親の心身はすでに限界を超え、深く疲れ果てていた。
一方で、亭主関白だった父親は、家庭のことにも娘の病気にも、一切関わろうとはしなかった。
白昼の悲劇と、父の号泣
東北の厳しい冬、雪が深く降り積もるある日の昼間のこと。
看病に疲れ果てていた母親は、「気分転換で、少しだけ一人になりたい」と思い立ち、普段は頼ることのない父親に「少しだけ見ていて」と言い残し、わずかな時間だけ家を離れた。しかし、父親は娘を気に留めることもなく、昼間から酒を飲んで眠り込んでしまった。
その隙を見計らうように、20代前半の若さだった妹は、白昼、静かに車を走らせて家を出た。
向かったのは、海に面した大きな公園。夏には日本全国に知られる有名な祭りが開かれ、かつて私も結婚の挨拶の後に、家族みんなで大輪の花火を見上げた思い出の場所だった。
帰宅した母親は娘がいないことに気づき血相を変えて父親に詰め寄ったが、父親は「部屋にいるだろ。知らんわ、自分には関係ない」と我関せずの態度だった。夕方になっても夜になっても妹は帰らず、警察へ通報。翌朝、捜索の末、妹はその公園の駐車場で、冷たくなった姿で発見された。練炭による一酸化炭素中毒だった。
これまで家庭を顧みず、人前で感情を見せることなど決してなかった父親は、妹の葬儀の席で周囲の目もはばからず、声を上げて号泣したという。自らの無関心が招いた、あまりにも重い結末への激しい後悔だったのだろう。
後を追った元カレ、さらなる悲劇の連鎖
しかし、悲劇はこれだけでは終わらなかった。恐ろしいほどの絶望の連鎖が、さらに追い打ちをかける。
妹の死の後、かつて高校時代に姉(妻)から奪い、その後は仙台にいたあの「元カレ」までもが、まるで彼女の後を追うようにして、自ら命を絶ってしまったのだ。
それも、妹と全く同じ、車の中での練炭による自死だった。
かつて姉妹の確執の原因となり、それぞれの人生を狂わせる引き金の一つとなった男の、あまりにも急で、あまりにも重すぎる最期。残された家族は、言葉を失うほどの不条理な闇の中に、さらに深く引きずり込まれることとなった。
突きつけられた離婚と、母の決別宣言
父親は、それまで本当に好き勝手に生きてきた人だった。毎晩のように家に帰らず飲み歩き、深夜にタクシーで帰宅する生活。酔って自分の車をどこに置いたか忘れてしまうことすらあった。「大阪出張に行く」と嘘をつき、不倫相手とグアムへ旅行に行き、真冬に真っ黒に日焼けして帰ってくるような無神経さを持ち合わせていた。母親は長年、そんな父親の裏切りと無関心に涙を流しながら耐えるしかない日々を送ってきた。
しかし、妹の死、そしてそれに続くあまりにも凄惨な連鎖の結末を前に、ついに母親の堪忍袋の緒が切れた。
母親は、父親に「離婚」を突きつけた。それは、これまでの数々の裏切りへの我慢、そして何より、看病の最後の最後で目を離した、父親の決定的な「無関心」に対する痛烈な見せしめだった。
これまで傲慢に振る舞い、家族に謝ることなど一度もなかった父親だったが、この時ばかりは自らの過ちの大きさに打ちひしがれ、「自分が悪かった。これからは変わるから、どうか見捨てないでくれ」と深く頭を下げて許しを乞うた。
母親は離婚を踏みとどまる代わりに、絶対的な一つの条件を突きつけた。
「これからは、私の好きにさせてもらう。私の人生を取り戻す」
家に縛られ、家族に尽くし、ただ耐えるだけだった生き方との決別宣言だった。
人生を取り戻す旅と、逆転した夫婦関係
妹の死を境に、夫婦の力関係は完全に逆転した。
長年、我慢を重ねてきた母親は、憑き物が落ちたように新しい世界へと飛び込んでいった。近くのスキー場でシニアながら1級の資格を取得し、毎週のようにゲレンデへ通い、やがてはカナダへとスキー旅行に出かけるまでになった。さらにはスカイダイビングやスキューバダイビングにも挑戦し、沖縄の慶良間(けらま)諸島の美しい海に潜ってマンタと泳いだ。
旅の舞台はさらに広がり、ヨーロッパはもちろんのこと、中国の万里の長城や、ペルーの世界遺産マチュピチュなど、遠く離れた異国の地や世界遺産を巡るツアーに、何百万円というお金を惜しみなく投じた。それは娘を失った悲しみを紛らわせるための逃避でもあり、奪われた自らの時間を取り戻すための、執念のような旅だったのだろう。自責の念に駆られた父親は、母親が何をしようと、どれだけお金を使おうと、もう一切文句を言うことはなかった。
時が経ち、父親の体は長年の不摂線のツケを払わされるように蝕まれていった。かつて好きだった海釣りでの転倒による背骨の骨折に加え、酒の飲み過ぎによる糖尿病や心臓疾患が悪化。さらには痛風の発作にも見舞われるようになった。医師から固く酒を禁じられていたにもかかわらず、母親が旅行で留守にしている隙に居酒屋で日本酒を煽り、痛風を発症して数日間動けなくなるようなこともあったという。
そうして次第に体が不自由になっていった父親からは、かつての暴君の面影はなくなり、母親の介護なしでは生きられない、弱々しい姿へと形を変えた。
悲劇によって壊れ、歪み、それでもなお形を変えながら続いていく家族の形。残された者たちは、それぞれのやり方で過去の業と向き合い、自らの人生を歩み直している。

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