刻刻
『刻刻』は、堀尾省太による日本の漫画作品。『増刊モーニング2』(講談社)にて第10号(2008年)より2014年11月号(第86号)まで不定期に連載された。後に『モーニング』(同社刊)本誌2014年47号に「プレミアム読み切り劇場REGALO」枠で、『刻刻 番外編 —300日後—』が掲載された。単行本は全8巻。
単行本第1巻の帯では水木しげるが80点(同氏の近年最高点)と点数を付け賛辞を送っている。また、第2巻の帯では小説家の伊坂幸太郎が「最近、『何か面白い漫画ありますか?』と質問されると、まっさきにこの作品のことを口にします」とコメントしている。
あらすじ
佑河樹里は、無職の父 貴文、ニートの兄 翼、隠居の祖父と母親、シングルマザーの妹 早苗、甥 真と共に、貧乏な暮らしながらも平凡に暮らしていた。
ある日、甥と兄が幼稚園からの帰路の途中で誘拐され、犯人から樹里・父の元に身代金要求の電話が掛かってくる。犯人の要求する身代金の受け渡し期限までは30分しかなく、間に合わないと悟った樹里は、犯人と刺し違える覚悟で2人の救出へと向かう決意をする。しかしその時、じいさんが佑河家に代々伝わるという止界術を使い、時間を止める。人も物も森羅万象が止まった止界で樹里たちは2人の救出へと向かう。
しかし向かった先で、自分たち以外の動く人間たちに遭遇、急襲されてしまう。彼らは、止界術を崇める「真純実愛会」の教祖佐河順治と、幹部の柴田・宮尾、そして幼少時代に止界に入ったことのある相談役の間島翔子、さらに金で雇われた外部の人間たちであった。彼らの目的は、佑河家にあるとされる「止界術の石」を手に入れることだった。
止界術の石を巡り、樹里の「霊回忍を追い出して強制的に止者とする能力」と、じいさんの「上限10メートルの瞬間移動する能力」を使って、教祖たちとの戦いが繰り広げられる。
ーウィキペディアより抜粋ー

舞台は、現代日本に酷似した世界・・・もしかすれば、我々の存在しているこの日本の存在している世界かも知れない:この世界で人々は普通に生を営み、働き、遊び・・・日々を送っている・・・しかし、主人公:佑河 樹里は突然、事件の渦中の人となる・・・甥と兄が幼稚園からの帰宅途中で誘拐され、犯人から樹里と父の元に身代金要求の電話が掛かってくる。
ごく普通の事件かと思われるこの始まりから・・・突然、出現する概念「止界」・・・この特異空間が持つ圧倒的な静寂と異質さ・・・全人類の時間が静止したその世界の中で、動くことを許された者たちだけが動くことが出来る・・・彼等の紡ぎ出す、極限の心理戦・・・そして容赦なき暴力。
日常のすぐ裏側に潜む「静止した時間」ストーリーは突然ソリッドで神秘的なSFへと変貌する。
この作品は、単なる異能バトル物では抑えきれぬ、「止界」の異質さを加味せねば理解できぬ。
佑河家の守り続けてきた「止界術の石」という謎の存在。
信仰と欲望が入り混じる「止界」への侵入者達
真純実愛会の教祖にして宗主:佐河 順治が求めるのは、宗教的な救済などではなく、止界という神域を支配せんと欲する無限の知識欲と野心。
彼の下に集う異質な集団: 狂信的な宗主・佐河、冷徹な幹部の柴田・宮尾、そして過去にトラウマを抱える宗主相談役:間島 翔子。「石」の蠱惑: 外部から金で雇われた荒事のプロ達すら、この「止界」の異様さ・・・そして、其処に在る強大な力の放つ欲望に呑み飲み込まれゆく。
この作品を動かすのは、人間的な善悪の対立に非ず、「止界という理に触れてしまった人間の業」。
佑河家の血脈に潜む特異能力
ストーリーをスリリングに加速させる、佑河家の血筋に潜む「止界」干渉の固有能力。
☆佑河樹里: 止界の中で唯一「止者」に非ざる者から「霊回忍」を強制排除して止者へと戻す力。それは戦術的な優位性のみならず、止界のルールを根本から揺るがす力。
☆じいさん: 半径10mの瞬間移動という限定的な制約が、逆に戦闘に於る極限の緊張感を生み出す。
止界の秩序を乱す者を排除する無機質で無慈悲な管理者「神ノ離忍」
その圧倒的な存在と無慈悲な規律は、人間達の闘争が、如何に巨大システムの上で踊らされている「些事」であるかを突きつけてくる。「神ノ離忍」は、止界に於る「神」でも「悪魔」でもなく、もっと機械的で無生物的な「管理プログラム」とでも表現すべき存在。止界の中を動く者が、その場に留まり続けようとしたり、他者の「霊回」を傷つけようとした瞬間、ポップアップするシステム的な無機質感は恐怖を抱かせる。巨大で歪な人型、そして中身が空洞であるかのような質感。人間を淡々と「処理」する際の手順は、まるで工場のルーティンワーク。
「神ノ離忍」達は止界の維持装置そのものと推測される。止界術の石を介して呼び出される「神ノ離忍」は、現実世界の物理法則ではなく、止界独自の「保存の法則」に従って作動している様子。
佐河順治の変貌:知識欲の果ての「異形化」
宗主・佐河が辿った末路は、本作における最大のクライマックス、そして最も醜悪な「進化」の形。
佐河は「止界術の石」を自らに取り込み、融合させ、「霊回忍」の力を己のものにせんと欲した・・・だが、それは「人間としての個」を捨てる行為。佐河が変貌を遂げた姿は、強大な力を得た英雄ではなく、どこか無防備で、かつ底知れない不気味さを湛えた「異形の赤子」としか形容しえない状態。これは、「止界」という永遠の時間の中で、「始まりも終わりもない存在」へと改変されてしまったことを示唆していたと推測される。それは勝利でも支配でもなく、「永劫の静寂」との対峙。しかし佐河の恐ろしさは、異形になってなお「知性」を喪失しなかったコト。彼は尚も自分が何者になったのかを理解しようと欲し、その果てに止界そのものとの同化を企てる。それは「理」に挑んだ人間の末路 「霊回忍」が「止界の秩序を保護するためのプログラム」とするならば、佐河はそのプログラムを強引に自分の一部にしようとした「バグ」。
最終的に、樹里の能力によって佐河が排除される過程は、プログラムの「デバッグ」に近い印象を受ける。神秘の力に魅了され、その深淵を覗こうとした矮小な人間が、その巨大なシステムの重圧に耐えきれず、個としての形を失い、崩壊してゆく・・・この徹底した冷徹さが、『刻刻』を唯一無二のSFミステリー作品として存在させているように思える。
その場面での樹里の最後の選択は、「止界」という呪縛からの家族の解放、代償は自身がその孤独な神域に一人残留するコト、崇高で・・・切ない自己犠牲。
止まった世界(永遠)で一度「死」を受け入れた樹里が、再び現実の変化する時間の中へ産み落とされる。これはまさに「魂の再誕」のメタファー。
平凡な日常の尊さ
「止界術の石」という強大な力に翻弄された佑河家が、最終的に辿り着いたのは、何の変哲もない、けれど「時が流れる」という当たり前の・・・でも奇跡。
異形の救済者は、人類が知る由もない「宇宙の大きなシステム」の象徴であり、樹里の生還は、そのシステムが、ほんの少しだけ個人の想いに応えてくれた「奇跡」だったのかも知れません。

主題歌「Flashback」歌:MIYAVI vs KenKen
は非常にファンキーで踊りだしたくなるような曲調ながら、同時にどこか冷徹で無機質な雰囲気も漂わせる、印象深い一曲でした。改めて聴き直した今、とてもカラオケに挑戦する勇気はありません・・・挑戦までにもう少し準備期間が必要ですね。( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \。
