鍼灸の科学化でふと思うこと
前書き 14年ほど前、私は『完全教祖マニュアル』を紹介する記事を書きました。意外なことに、それが最も反応したのは「経営者層」だったと推定しています。信仰心の話ではありません。むしろ、彼らが注目したのは 「人を惹きつける仕組み」 でした。
「信者を集める=顧客を獲得する」
「教祖のカリスマ=リーダーシップ」
「教団の硬直化=組織の硬直化」
宗教を題材にしながらも、読み解けばこれはそのまま経営論に通じます。
だからこそ、宗教に関心がない層でも売れていったのだと、今なら理解できます。
今回の記事は、その当時の文章をほぼ原文のまま再掲します。
ただし、単なる懐古ではありません。むしろ「宗教=人を集める仕組み」を改めて見直すことで、現代の組織運営や経営の課題にも直結する視点を掘り起こせるはずです。
新興宗教は、残念ながらとてもうさんくさいのです。(中略)ですが、もし、あなたにこれができるのなら、そんな問題もスッキリ解消します。そう科学的な体裁を取れば良いのです。(中略)大丈夫、普通の人は「これは科学です」とさえ言っておけば絶対に疑いません。これを巧くやれば、信者を引っ掛けることなど全く造作もないことです。普通の人は新興宗教の言っていることは頭から疑ってかかりますが、科学だと言い張りさえすれば、無条件で信じるところからスタートしてくれるのです。(中略)そうです。一般人は科学の検証なんかしないのです。(中略)私たちはしばしば科学を「信仰」していることを忘れ、絶対的真理であるかのように錯覚してしまいます。普通の人は科学であるというだけで頭から信頼します。昔の西洋ではキリスト教が同じような立ち位置にあったことでしょう。「教会の言っていることだから正しいんだ」と。今はそれが科学になっているだけです。ですから、極論になりますが、あなたが現在において新興宗教を作るなら、最も適切な手段は「科学的体裁を取ること」です。信じるとか信じないとかいう
レベルではありません。あなたの言うことを信じるのが「当たり前だ」と思わせるのです。 「完全教祖マニュアル」より
鍼灸の科学化が叫ばれたのは戦後でしょうか?では何故鍼灸の科学化が叫ばれたのでしょうか?その理由の一つに、経絡や東洋医学のいう「気」が眼に見えないから説得力が無い、そして東洋医学というものにうさんくささがあったからだと思うのです。そのうさんくささから鍼灸を解放するために、戦後鍼灸の科学化がされた要因ではないでしょうか?僕の論調は戦後の代田文誌や良導絡に対する挑戦だと解釈されるかもしれませんが、これらを批判するものではありません。
僕はとある流派の団体の人たちの使う言葉に疑念を懐いていました。曰く「○○は科学で証明されていますから」と。で彼らの言う科学って何だろう?と思いました。彼らの言う科学は、自分所の研究所で研究したものは科学的である、といいたいようです。ですが僕に言わせれば、とても科学的とは思えません。まず、研究成果が自分所の治療院(とグループ)から出されたものばかりというもの。統計学の概念から言えば明らかに偏りがある。ひょっとしたら、自分たちにとって都合の良いデータだけ公表して自分たちにとって都合の良いように、自分たちを正当化しているようにしか思えないのです。
そのカラクリがわかったのです。普通の人(患者そして鍼灸学生、鍼灸師)にこれが「気」ですと言っても信用されません。ですが「これが科学的に証明されました」となると、多くの人が無条件に信用しちゃうのです。これがという部分は自分にとって都合の良い(場合によっては捏造されたものであったとしても)科学的という言葉で無条件に信用しちゃうのです。うまくやれば、妄信的に洗脳?された鍼灸師が集まってきます。
ここに二つ例を示しましょう。一つは科学的に実験を積んで、時に医学部を凌ぐデータを備えた治療院。もう一つは、江戸時代より続く、鍼灸の名家の治療院。
患者さんはどちらへ行くでしょうか?患者さんはやっぱり「治験」を持っている方を選ぶでしょうね。「○○病を治した実績がある」「○○病で悩んでいた友人がここで治った」
「治験」「実績」ですね。
ではどちらの治療院も優劣がつかない場合、患者さんはどちらを選ぶか?
それは患者さんの価値観によります。「科学的データが好き」と言う人は、前者に行きますし、「伝統の技にかけてみたい」という患者さんは後者へ行くでしょう。
どちらが流行るかは置いといて、患者さんの価値観に合わない治療院に足を運んでも、その患者さんは違和感を感じ、足を運ばなくなると思います。
鍼灸の治療院には俗説として、患者さんを治療家が選ぶのではない、患者さんが治療家を選ぶのだ、というものがあります。これは本当のようです。私も少ないながら治療を経験して、確証を得ました。
ですので、無理して患者さんの集客をしても、定着は難しいのです。
また、「教会の言っていることだから正しいんだ」は「○大医学部の言っていることは正しいんだ」と多くの人が大学の研究グループや医学博士の言葉を鵜呑みにしている現状を無視することはできません。この後に論戦をはりますが、「何故鍼灸師は鍼灸医師を名乗りたがるか?」の一つの回答として、医師や医学博士の言葉を人は信用するから、それを眼の当たりにして鍼灸師がその力を利用しようとしている、と考えることもできます。
現代視点からの後書き
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回の記事は、14年前に書いたものをほぼそのまま再掲しました。
当時と変わらず、宗教と経営の相似は今なお示唆に富んでいると感じています。化学も宗教という言葉をそのまま示した完全教祖マニュアル
そして復刻記事連載後は、さらに踏み込んでみたいと思います。
科学的根拠が乏しいとされる MBTI を、あえて分析の補助線として用い、
「宗教と経営」を心理的な視点から斬っていく予定です。
本来なら実証性の弱いMBTIを使うことには慎重さが求められます。
しかし、組織や人間のダイナミクスを理解するうえで、
「教祖に向きやすいタイプ」や「組織を硬直化させやすいタイプ」 を想定することは、実務やマネジメントを考えるうえで十分に意味があるはずです。
宗教を通して組織を見る。
心理を通して経営を見る。
その「敢えての越境」に、次回は挑戦します。
