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落ちこぼれと機能 5

※本作は現場での体験をもとに再構成したフィクションです。
※制度名・役職名・評価名は物語上の架空設定です。
※作中の「観察」「アセスメント」は、介護現場で日常的に行われる見守り・気づきの範囲であり、医療的評価・診断行為を意図したものではありません。
※登場人物・団体はすべて架空であり、特定の個人・施設を描いたものではありません。


食事前、離床させるお婆さんの移乗を、機能は気づかれないように眺めていた。
村田の手つきが──ほんの少しだけ違う。

家でイメージトレーニングでもしているのだろうか。
動きの節々に、“繰り返した痕跡”が薄く染みていた。

一連の介助が、わずかながら“流れ”としてつながり始めている。
繰り返しの中で、身体が自然に“筋道”を組み始めるときに出る動き。
考える前に身体が整い、迷いが減っていく。

ただ、機能は心の中で小さく息をついた。

イメージトレーニング自体は悪くない。
けれど、考えが深いタイプほど、思考の泥沼にはまりやすい。
その前に育てなければならないものがあった。

──観察眼だ。

「観察眼が、まだ育ちきっていないな。」

技の引き出しが少ないのは仕方がない。
いや、これは生来の気質だ。愚直で、まっすぐすぎる。
その良さごと伸ばしていくのが、機能の役割でもあった。

観察力が育つ前は、技の選択に迷う。
しかし、それも当然だ。

まずは──
「ここは怒号のない、安心できる場所なんだ」
と村田自身が、骨の底から信じ切れること。

それが整わない限り、村田の“本当の力”はまだ表に出てこない。

機能は村田の背中を見つめながら、呼吸をひとつ整えた。

(焦らなくていい。この子はまだ伸びる)

村田の弱さが表に出ないように、あらゆる場面で下支えする。
それだけで、このユニットは自然と“定着率の良い場所”になっていく。

どの時間帯で集中が切れ、どの場面で踏ん張りが利かなくなるか──
すべて把握していた。

岩柱──もとい、このユニットのリーダーとは、何度も意見をすり合わせてきた。
職員の大切さを骨の髄で理解している人で、
まさに「人は石垣、人は城」と現場で体現している存在だった。

村田がドジをしない職場というのは、言い換えれば、
“極限までリスクを減らして設計した労働環境”ということでもある。

介護は感情労働と言われるが、
利用者の精神が安定すれば、職員も穏やかでいられる。

そして介護は肉体労働でもある。
腰痛の要因となる動きを地道に分解し、負担を評価し、
労働量を見直すことで、職員は体を壊しにくくなる。

利用者の行動の裏に潜む“小さな誘発因子”を拾い続ければ、
ユニットは自然と落ち着いた空間になる。

空間が整っているからこそ、村田の弱さは表に出ず、
代わりに “丁寧さ” と “積み上げる力” だけが静かに伸びていく。

介護の世界では「アセスメント、アセスメント」と口うるさく言われる。
だが本当は、人によって基準も視点も違う。

だからアセスメントは、自分の目で取る。
基準がぶれたら、評価にはならない。

現場に必要なのは、
“数字のための評価”ではなく、
“変化を見抜く目”だ。

ある日、事務所スタッフ(※物語設定)が軽く声をかけてきた。

「ケア職の目線でADL評価、お願いできる?」

この施設では、事務所や医務が介護職を“ケアさん”と呼ぶのが習慣らしい。

バーサルに似た評価表は、すでにユニットのリーダーが取っている。
研修済みの自分が取った方がいい気もするが──
機能はあえて流した。

この施設(※物語上の架空設定)は、認知症の加算も取っていない。
だが機能は、国基準に似た評価表を、現場の“観察記録”として淡々と積み重ねていた。

加算にはならない。
それでも現場の改善には使える。

他の職員にはただの評価表に見えるだろうが、
機能の視線は違う。
日々の“変化の線”を拾うための道具だった。

リーダーはたびたび言う。

「ここは独立国みたいなもんだよ」

リーダーはケアマネ資格をもち、
介護と機能訓練の兼務職員もいる。
不思議なほど介護福祉士が多く、離職者が少ない。

看護師と管理栄養士こそいないが──
“ミズバシラ”と呼ばれる機能は医療知識に強く、
リーダーは食事と栄養に詳しい。

これで全員がショートへ異動でもしたら、
加算的なものはいくらでも取れるだろう。

リーダーが相談員になり、中堅をリーダーに据え、
機能兼介護の自分がいれば、
「QOLとADLに力を入れるユニット」と外部に堂々と名乗れる。

応用行動分析学を活かせば、
問題行動の多い利用者でも“慣れ”が生まれる。

奇跡なんかじゃない。
構造が噛み合ったときだけ現れる、静かな現場の理想形。

目指さなければ、成し遂げることもない。


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