【鬼滅の刃考察】童磨と感情
ネタバレが含まれます。
〈書いた人のプロフィール〉
・お医者さんではない
・家族の言いつけに従って進学先と就職先を選び、もう自分の意志も感情も分からなくなった人間
童磨は「感情が無い」と言われていますが、実際に作中でそう断言されたことはなく、代わりに「何も感じない」「人間の感情というものは俺にとって他人事の夢幻」という表現が用いられています。
この考察は、童磨って最初から感情あるんじゃね?という説です。
アレキシサイミアとは
ざっくりいうと「自分の感情を認識・表現するのが苦手な傾向」です。感情が無いわけではなく、感情を自覚できないだけです。
アレキシサイミアは明確な定義があるわけではなくDSM-5にもICD-11にも載らないため、考察に利用するのがちょっと難しかったです。でも、以下の考察における作者の思考回路は、アレキシサイミアという概念に大きく影響を受けています。童磨の“感情”について掘り下げたい方はぜひ調べてみてください。
自覚できない感情の発露
童磨は神でもなんでもなく、ただの一人の人間であるなら、自覚できないだけで感情は存在するはず。
感情がありそうなシーンを挙げてみます。
「うーん いい拳だ!前よりも少し強くなったかな?猗窩座殿」
童磨の猗窩座に対するウザ絡みは、非生産的な行為です。猗窩座は信者でもなんでもない鬼なので、もしも本当に感情がなかったら友人としてしつこく接する必要はないと思います。
「君のお母さんのことはね 喰うつもりなかったんだよ 心の綺麗な人が傍にいると心地いいだろう?」
この台詞は、童磨が琴葉から快い感じを受け取っていたことを示します。
また、琴葉に人喰いを目撃された後、(琴葉が秘密を他の人にバラすリスクがあるのに) 即座に殺すのではなく自身の善行を説明して納得させようとしています。ここから琴葉を生かして傍に置き続けたい思いが見て取れます。
「うわーっ楽しい!!毒を喰らうのって面白いね 癖になりそう」
童磨はほとんどの場面で一般的な感情の動きをエミュレートしています。が、ここでは学習元が無いにも関わらず、毒を喰らうのは楽しいことと認識しています。
「(中略) そんなことばかり頭に浮かんで 悲しいとか寂しいとかほんの一瞬も感じなかった」
「あー やっぱり駄目だ 何も感じない」
童磨は、恐らく人間の感情を感じられないことがコンプレックスです。感情を感じるはずの場面で、残念そうにしています。
もしも本当に感情がなかったら、両親が死んだとき「さ、掃除しよ」で済むはず。悲しいと思えない……と考えている時点で、童磨は感情を感じないことに露骨に悩んでいると思います。
「君みたいな意地の悪い子初めてだよ 何でそんな酷いこと言うのかな?」
このシーンでは、いつもみたいに悲しむ芝居をするのでもなく、笑って受け流すでもなく、無表情になっています。
もしも感情が無いなら、カナヲを「意地の悪い子」と捉えることは難しいのではないかと思います。童磨にとって感情を感じないことがコンプレックスだから、カナヲに踏み荒らされて気分を悪くしたのでしょう。
童磨にも快・不快程度の感情はありそうな感じがしてきました。
原因
どうして感情を感じられない状態が生まれるのか?
仮に現実世界のアレキシサイミアを参考にしても、複数の説が考えられています。遺伝の場合、ASDと関連する場合、愛着が関連する場合、トラウマに関連する場合などがあります。童磨の生育歴を辿れてちょうどいいです。
脳の仕組みがどうとかはもう考察しようがないので
・ASD
・愛着
・トラウマ
の3つは見てみたいと思います。
〈童磨はASDなのか?〉
コミュニケーションの在り方が人とズレているので悪意なく嫌われてしまう……という流れだけ見れば、そうかもしれません。ただそれにしては、会話に厳密さを求める節がなく、こだわりが見られない、幼少期から周りに話を合わせていけるなど、らしくない特徴もたくさんあります。
結局、適応できるASD者は健常に見えるので、なんともいえませんが……。
〈愛着〉
アレキシサイミアになる原因の一つと考えられているのが、赤ちゃんに対する親の接し方です。
情動処理にはトップダウンとボトムアップの両方があるといわれていて、後者の身体感覚 → 脳の感情という経路は重要な要素です。ドキドキしたら興奮している、顔が火照ったら照れている、頭がカッとなったら怒っている、胸にどろどろを感じたら落ち込んでいる……などなど身体の感じから感情に繋がることって多いです。
赤ちゃんは身体感覚が混沌としており、自分の中の感覚や外界からの感覚を理解も制御もできないので、泣いて養育者に伝えます。養育者は、泣いている原因を推測して対処を施します。養育者の応答(表情や言語)を通して「涙が出るのは悲しいとき」とか学んでいき、身体感覚に感情のラベルが貼られます。そして、嬉しいとはこんな感覚だ、と感情が分かるようになるのです。しかし、養育者が赤ちゃんに冷淡に接したり、逆に情緒不安定だったり、一貫性のない対応を繰り返したりした場合、子供は感情を学ぶヒントが与えられません。親のフィードバックがしっかりしていないと感情の意味を学ぶ機会が損なわれてしまうのです。
愛着ってめっちゃ赤ちゃんのころの話なので作中でほとんど描写されていません。ただ、童磨の両親は作中一度も「目を開いている絵がない」ため、“童磨をちゃんと見れていない”傾向は赤子のころからずっとあっただろうと思います。
母親は「きっと神の声が聞こえてるわ」という自分の推測を童磨に押しつけ、ちっちゃい子供のほうが“話を合わせてあげる”くらい、人の話を聞く気がありませんでした。父親も信者の女を食ってるので、家庭そのものにさほど執着がなかったのではないかと思います。
〈トラウマ〉
PTSDや複雑性PTSDに伴ってアレキシサイミアが現れることがあります。まさにカナヲちゃんのようなことです。もともと感情を認識できていたものの、悲惨な家庭で過ごす途中でプツンと何も感じなくなったのは、めっちゃこの例にあたります。
童磨にトラウマがあるかどうかは不明です。両親がクレイジーとはいえ命の危険が付き纏う家ではないので、トラウマに該当する出来事自体がカナヲより少ないはずです。強いて言うなら、両親の死でしょうか。
両親の死が感情に鈍感な傾向を強めた可能性はなくもない……かもしれませんが、証明のしようがないように思います。
あとは、ネーミングセンスの神である無惨が彼に与えた名前が童磨 (≒擦り切れた子供) であるなら、最初から欠落していたわけではなく摩耗する過程があったのだろうってくらいでしょうか。血鬼術の氷も“心が凍っている”なら、凍るだけの心があるはずで。
恋心
この考察のトップオブどないするん案件は、しのぶさんへの恋心です。
先程もちらりと触れた通り、情動処理にはトップダウンとボトムアップの両方があります。トップダウンは脳で形作られた感情が身体感覚に反映され、ボトムアップでは身体感覚が脳に影響を与えて感情が生まれます。
あのシーンでは「心臓が無いのに恋をするという状況+鼓動と恋情の結びつき」が鍵になります。
心臓が物理的に無い時点で、童磨はボトムアップの情動処理をしようがありません。トップダウンということになります。
「今はもう無い心臓が脈打つような気さえする これが恋というやつかなぁ 可愛いねぇしのぶちゃん」
無い心臓が脈打つことは現実に起こり得ず、感情に伴う錯覚だとわかります。つまりこのときの童磨は、恋情と鼓動が結びついているのです。五体満足のころから感情を感じたことのなかった童磨にとっては、初めて情動と身体感覚が統合されて認識された瞬間かもしれません。
過去に複数の女性と恋愛ごっこをしてデータを増やせていたところへ、殺害されるという大きな衝撃を受け、やっと一つ感情を学習できたのかも。
ここから、しのぶさんのどんなところが快いのか、しのぶさんを褒めていたシーンから考察します。
(因みにしのぶさんを褒めたのは煽りでなく、信者の話を聞いて全肯定してあげる習慣から飛び出たやらかしだと思います。泣いているからです。)
「偉い!!頑張ったね!」
「俺は感動したよ!こんな弱い女の子がここまでやれるなんて」「姉さんより才も無いのによく鬼狩りをやってこれたよ 今まで死ななかったことが奇跡だ」「全部全部無駄だというのにやり抜く愚かさ これが人間の儚さ 人間の素晴らしさなんだよ」
童磨は、しのぶさんを弱い女の子だと認識していました。可哀想で、信者に近い属性です。普通ならば神様に祈って自分のことを投げ出していいはず。
なのに童磨を殺すことができた。神に祈らず人間の力で目的を達成したのです。
信者と全く異なる人間の在り方を示したことが、童磨を驚かせた可能性はありそうです。
また、影響を与えうる童磨側の要素として、彼は感情、特に快楽を感じたいという願望があります。恋愛ごっこをしたり、心地よい存在である琴葉を食べずに傍に置き続けたり、鬼なのにタバコを吸ったりします。喫煙は快楽物質のドーパミンを秒で放出させるので、最もシンプルな快感を得る方法です。
同時に、何であれ強い刺激を楽しみたがる傾向がありそうです。毒の分解でテンションが上がるとか。だから、しのぶさんから向けられる憎悪はただのスパイスと憧憬にしかなりません。
以下おまけ
なぜ童磨は人の地雷を踏むのか
童磨の会話は「感情を模倣して一般的な返答をする」「相手の本心を見抜いて寄り添う(なお教祖権力で本心の誤った決めつけもゴリ押せる)」というルールに沿っています。
これは万世極楽教の内部では問題なく働くものの、よその場に出ると差し障りが出るのです。たとえば対等なコミュニケーションや、殺し合いの場など普通ではないコミュニケーションでは、童磨の応答様式は文脈から逸れて浮いてしまいます。
童磨が人を苛立たせるのは、教団の外に出る機会が少なく、身につけている文脈やコミュニケーションの様式が少ないからといえそうです。
なぜ周囲を見下しているのか
・万能感
現人神や救世主の如く育てられたことにより、幼児的万能感がずっと保たれたままなのかなと思います。周囲に自分の能力や素晴らしさを否定されることがなく、実際に毎日のように大の大人の信者を救って成功体験ばかり積んでいるので、自己否定の隙がなさそうです。
・防衛機制
防衛機制の中の……一体何に当てはまるんでしょう。合理化?反動形成?
ともあれ、童磨がやっていることはネガティブに捉えれば無給カウンセリングです。でもその現実を直視するとしんどいので、周囲に利用されているわけじゃない、周囲を救済してあげてるんだ、と理屈を丸ごとひっくり返して認識しているのだと思います。
童磨と無惨の関係性
鬼にしてもらったのは、童磨の人生唯一の自由意志による決断です。その目的は、救済を長く続けることかもしれないし、単純な興味かもしれません。
ともあれ、無惨に対する童磨の言動はかなり面白いです。
髪に洗礼みたいに血が注いであることもあり、童磨と無惨の関係性は、極楽教を踏襲した上下関係として童磨に認識されていると思います。
たとえば、お詫びとして「目玉をほじくり出しましょうか?」と差し出そうとしたシーンでは、親に褒められた自慢の綺麗な瞳を差し出そうとしています。無惨も綺麗なものが好きだろうと推測したのでしょうか。
また、無惨に自分の役割を「委ねる」ことができました。万世極楽教から崇拝対象に無惨を上げ、童磨自身の心的負担は減ったと思います。自分より頼りになる存在がいると童磨が認識できたのは、数少ない良いことだったと思っています。

