|ロッケ育成記|手のひらから伝わる、同じ痛み
私には、この4月で中学2年生になる特別支援学級に通う
障害(身体・知的)のある娘、ロッケがいます。
夜の暗闇の中、下の子がなかなか寝付けずにうろちょろ…
その賑やかさのすぐ傍らで、私は丸まって生理痛に耐える長女の腰を、じっと揉む。
かつては片手でひょいと持ち上げられたはずの体が、いつの間にか私と変わらない大きさに。
手のひらに伝わる、お腹周りの確かな厚み。
あんなに小さかった彼女が、自分の足でここまで歩んできた月日の重さを、改めて手から教わった気がした。
娘は小さい頃に何度も手術を経験している。
その度に「痛いよねえ」と寄り添ってきたけれど、本当のことを言えば、その痛みがどんな質のものなのか、私には想像することしかできなかった。代わってあげられないもどかしさと、どこか遠い場所にある痛み。
けれど、生理の痛みは、私にとってあまりにも…リアル。
中学時代、薬を手放せず、誰かに腰を揉んでもらわなければ立っていられなかった、あの逃げ場のないしんどさ。
トイレでうずくまってよく母親に叱られた記憶。
「ああ、今のこの子も、あの時の私と同じなんや…」
言葉にしなくても、どうしてほしいのか、どこを触ればいいのかが手に取るようにわかる。
痛みの記憶を通して、ようやく彼女と「同じ景色」を見たような気がした。
それは、親としての成長というのか、それとも一人の女性同士としてようやく手をつなげた喜び?
痛がる姿はかわいそうやけど、ちょっと愛おしい時間。
ようやく全員が寝静まったあと。
嵐が去ったような静けさが訪れたリビングで、夫と二人、文旦を剥いた。
ムシャムシャと必死に貪る。
分厚い皮に指を入れ、力を込めて剥いていく。
部屋中に広がる、少し苦くて清々しい柑橘の香り。
最近の私たちのストレス発散術は、こうして静かな夜に、二人で必死に文旦を食べて、その瑞々しさに救われること。
さっきまで娘の腰に当てていた手のひらは、今は文旦の果汁で少し湿って。
娘の痛みを知った夜の、この静かな時間が、明日への力になっていく。
ロッケ、中学二年生進級おめでとう。
さて、高校、どうしよっか
