たまたまニュータウン
多摩ニュータウン。
それは東京都の西部にある、なんだか高齢化が進んでいる古い団地。山の中に人工的に作られた住宅地。平成狸合戦ぽんぽんぽこで狸が宅地開発に反対していた場所。うすらぼんやりとそんなイメージしか持っていなかった場所で、これまで生きてきた40年ほど、まるで興味のなかったエリアだった。ところが、ここ数年で急に僕の心を掴んで離さなくなったエリアなのである。どんでん返しの裏と表くらいガラッと心象が変わってしまった。
事の発端はTwitterだった。
理想の暮らしと橋の街
— 星井さえこ🚲自転車旅の漫画 (@rinkosaeco) January 12, 2025
多摩ニュータウン (1/3) pic.twitter.com/Zj3rA42som
Twitterで、折り畳み自転車を持って日本中をサイクリングしている星井さえこさんのコミックエッセイが流れてきたのだ。そこには多摩ニュータウンをサイクリングしたときのこと、それに付随して多摩ニュータウンというものの簡単な紹介が描かれていた。
僕はそれにえらく惹かれてしまった。
行ったことがない場所なのに、その景色は僕の心のどこかからノスタルジーをぐりぐりと引っ張り出してくる。なつかしく、せつなく、どこか憧れるような、心のどこかで僕はこの光景をずっと探し求めていた、そんな風景だった。
この感覚を覚えた一番古い記憶は、自動車免許教習所で流れていた運転方法についてのビデオの風景を見た時だ。神奈川県の教習所で2003年とかそのあたりの年代のものだったはず。
そのビデオ(当時はビデオを流していた)では導入で天気のいい日のドライブ風景が流れていた。両側が少し高くなっている谷のような場所にまっすぐ伸びる両面二車線の広い道路。起伏があるため先の先までまっすぐには見通すことはできない。道路の脇にはロードサイドにありがちなチェーン店の看板が並んでいるわけではなく、緑が多く、そこは商業エリアではないのかもしれない。だからといって自然の多い田舎というよりは人工的な……それゆえに都会的な雰囲気もある……そんな道を車が走ってゆく風景だ。
気持ちの良いドライブの光景であり、漫画や映画に出てくる絵に描いたような理想の風景のようでもある。その風景の上に「人身事故の悲惨さについて」みたいなテロップが現れるわけだが。
教習を受けるとき様々な交通ルールと共に現れるその景色に、僕は日本のどこかにあるはずのその景色に惹かれていった。
それから20年ほど、心のどこかでずっとその道を探していたように思う。
北海道の長い直線の道路だろうか、どこか地方都市の景色なのだろうか、いまはもうないどこかの宅地開発前の風景だったのだろうか……
世田谷区の赤堤のあたりにそんな景色をみたかもしれない、横浜の山間の住宅地に似た道があったかもしれない、仙台のバイパス沿いの路に面影があったかもしれない。でもどこも決定打にかける。
そんな思いを事あるごとに抱いていた僕に、この星井さえこさんのエッセイ漫画は衝撃をもたらすものだった。「あの道ってここじゃん!?」と思わず声が出てしまうほど(でてはないのだけど)。
計画的に作られた真っすぐの道路、多摩丘陵の形状をそのままにした起伏、残された緑、高い建物がないロードサイドで空が広い。完全にここではないかと思った。
もしかしたら教習所のビデオが作れた当時、多摩ニュータウンはまだ作りかけだったのかもしれなくて、交通量も少なく、ああいった交通のイメージを撮影するのに向いていた場所だった可能性がある。あとで道路の名前をしらべてみたところ、南多摩尾根幹線道路(画数が多いな)や鎌倉街道がそれだった可能性が高いような気がする。まったく確証はないのだけども。冒頭で紹介した星井さんがエッセイ漫画で描いている「くじら橋」があるのもこの南多摩尾根幹線道路の、稲城市のエリアだ。
というわけで前置きが長くなったが、この記事は多摩ニュータウンの写真を載せていく記事である。僕は星井さんのこのエッセイ漫画を読んだその月のうちに多摩ニュータウンに赴き、趣味の写真撮影がてらエリアを散策をしてきた。その時から約一年とすこし、時間が出来たときに多摩ニュータウンに赴き、散策を続け撮ってきた写真が溜まっている。いつもの「写真を見てほしい」という記事ではあるが、今回はそれにくわえて多摩ニュータウンの良さを少しでも共有したいという思いもある。
今のところ周りでは自分だけの趣味なのだ。趣味の多摩ニュータウン。おそらく同志は限りなく少ない。
とはいえフォトエッセイというように、写真の横に気の利いた多摩ニュータウンコメントや多摩ニュータウンのウンチクを添えられるわけではない。一応書いてみるけれども、この記事ではただ多摩ニュータウンの魅力を共有できることを祈りながら写真を貼るという事を主眼としている。僕の実力的にそうなってしまっている。本当はお洒落で楽しいコメントを書きたい。
写真の色が揃っていないのは僕の心の迷い。どうかお気になさらず……



多摩ニュータウンは多摩丘陵のうねるような、起伏のある地形を大規模に造成してつくられた住宅地だという。丘を削り、また谷を埋めて平坦な土地を確保した場所には、団地やマンションや学校、商業施設などが計画的に配置されている。一方で、もとの丘陵地の名残としてそもそも坂道や高低差が多いエリアでもある。
そんな高低差のあるエリアの多摩ニュータウンには、歩行者専用の遊歩道が張り巡らされている。これは他のニュータウンにはあまりない特徴的な構造なのかもしれない(他のニュータウンを知らないけれども)。どんなものかというと、車が通る道路と人が歩く道とを立体的に分けて作られているのだ。
幹線道路は住宅地の外側であったり高低差の低い位置……元の地形でいうと谷にあたる部分を通してあり、その道路の頭上に歩道橋を通すことで、子どもや足腰の弱いお年寄りが谷向こうの学校や公園や駅などへ行くときに一度降りて車道を横断してまた丘へ上がるという事をしなくても済むという構造になっている。




この辺りは歩道橋から道路を撮影した写真である。noteで多摩ニュータウンの特徴を説明するために撮るつもりでいなかったのでわかりやすいものがなくて、この写真ではどれも遊歩道の存在がみえずらいけれども、丘の上部では起伏を埋めて平らな住宅地にして、谷ではまっすぐ直線に切り開いて道路にしている。この丘と丘を高さを合わせて遊歩道が結んでいるため、先ほど書いたように、道路を挟んで丘から反対側の丘へ行くときに一度谷へ降りて道路を渡らなくてよくなるようになっている。空中歩道橋とでもいうような道がそこかしこに整備されているのだ。住民は交通量の多い幹線道路を渡ることなくエリアを回遊できるのである。道路でも信号が少なく済むため交通がスムーズになる。
この写真からは全然わからないけれども。



何度も造成の話になってしまうのだけれども、多摩ニュータウンに限らず、多くののニュータウンはそれまで山や丘だった土地を切り開いて作られているものが多く、その地域は起伏が多くなりがちだ。それにつくられた目的として都市の増加した人口を郊外の限られた土地に収容する必要があったために、巨大な集合住宅……団地群がその地域に現れるということは必然で、ニュータウンの多くは「丘の上の団地」という趣きになり、みんなどこでも似たような形に収束するはずなのだが、僕が多摩ニュータウンに感じるこの特別感は何なのだろうか。

他のニュータウンに詳しいわけではないけれども、僕はおそらく、あくまで自分的に感じるところでは、緑の多さや、元の多摩丘陵の形状と調和しようと設計された人工と自然とのバランスがここには存在しているのだと思っている。この地域は場所によってはたしかに土地へのリスペクトがある。それを感じる。
人間を詰め込み収容できればよいという単純な思想では決してない、人間は人工物だけでは精神生活を営めないという直感が込められた設計であるように思う。駅近くの団地からふと背後を振り返れば、ここはあくまで多摩の山間部なのだということを忘れないでいられるようになっている気がする。主役の一部を自然側に譲っているという気さえするのだ。





自然を活用しながら、しかし人間のために高低差を意識せず生活できるように設計された区画。それも広範囲に。歩いて写真を撮っているといつも何かしらの面白いものが見つかり、散策が楽しいのだ。






これまで歩いてきた、稲城から若葉台を経て永山、唐木田から多摩センター、多摩センターから平久保を周って多摩センター、南大沢から京王堀之内、立川からモノレールで多摩センター、聖蹟桜ヶ丘から永山、多摩センターから唐木田。
どうしても起点と終点になりがちなので多摩センターばかりだが、どれも写真を撮りながらの散歩道としては小一時間のルートでとてもコンパクトだった。我が家の最寄駅からも多摩センターや若葉台の駅まで30分ほどで着くので、往復2時間の空きがあれば散歩が出来てしまう。偶然だけれども、新参の多摩ニュータウン趣味者としてはなかなか良い場所に居を構えているものだ。住んでいる人からはもしかしたら住宅地ばかりで駅前にしか遊べるよう場所がなく味気ない街として思われているのかもしれないけれども、カメラを持って外から訪れる分には十分刺激的なエリアであるように思っている。(ちなみに立川から多摩センターまで伸びる多摩モノレール線は、多摩丘陵の起伏を感じながら高いところから高低差を眺めて移動できるので、そういうものが好きな人にはお勧め。僕のような人間には)
ここは無機質で人工的で都市部のための人口収容装置というものでは決してない。ここは何十年も、何世代も人が暮らしてきた地域であり、暮らせるように心を砕いて考えられて改善を重ねてきた過去がある。団地にも平屋にも、人工物であれ手付かずのものであれ人の手が入ったものであれで木々や草々にも季節の花にも落ち葉にも、そこには確実に記憶がある。人の営みの気配がそこかしこに残っている。それは僕の好きな写真家マイケル・ケンナ氏のステートメントである、ひとがそこにいた記憶や気配を撮る、というものに通じる魅力があるように思う。京都や金沢や、下北沢や高円寺などとはまた違うが、同じくらいに濃く、確かにここにしか存在しない、生活者の作った歴史と文化とその痕跡があるのだ。
それは過去のものではなく、今現在も更新し続けられている。











ここは人工的物と自然とを融合させることに苦心して作っているだけのことはあり、春のさくらや秋のメタセコイアの並木などは見事であるように思う。都心にある公園と比べたら最盛期も人は少なくそうとう穴場ではないだろうか。秋に訪れる事はまだ叶っていないが、春と冬に撮影した写真がある。住んではいないからなのだろうか、この山と街の様々な季節の景色を見てみたいと思ってしまう。



















多摩ニュータウンはその「整っている形状」が使いやすからなのか、新興住宅地で許可が撮りやすいからなのか、ドラマや映画のロケ地になることが多いという。特異な形状のモニュメントや建造物が作られていて、アイコニックなものとして映像映えするから使われやすいという可能性はある。街の高低差がドラマのある絵作りに適していたり撮影の際に便利であるという可能性もある。スタジオジブリのアニメ「耳をすませば」の舞台が聖蹟桜ヶ丘であることは有名だが、僕らがなにかしらテレビや映画、アニメなどで観た事のある様な景色が、ここをどこか懐かしく感じさせてくれるのかもしれない。
都心からも近く、聖地巡礼的な事もしやすい。
ここは別に観光地として売っているわけでもないし、何か派手なアクティビティが行えるわけでもなく、生活の場である以上興味本位でウロウロするようなものではないかもしれないが、それでもこの地域には言いしれない魅力が詰まっている。自動車教習所のビデオに出てきた道路を求めて散歩にやってくる変な人だっている。楽しめる景色はきっとある。















僕はここに来はじめて一年くらいなので、まだ行けていない、歩けていない、それに知らないエリアがたくさんある。
多摩ニュータウンにはこれからも通うつもりだ。仕事の関係で少し難しいが、出来るならば半年くらい住んで生活してみたいとさえ思っている。ある時から急に作られたもので自然発生した街ではないとはいえど、ここには文化がある。歴史がある。暮らしがある。それらをもっと感じてみたいと思わせる、僕の琴線に触れる何かが確かにある。
どこをと言われても勧められる具体的な場所はないわけだが、もしお時間があれば訪れてみてほしい。多摩センターにあるサンリオピューロランドから15分ほど歩けば、さきほどアップした写真で桜が満開だったエリアに着くのである。奥が深い。どこも駅前商業地だけではもったいないエリアなのだ。

















おしまい。

