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「誰に投票しても変わらない」は正しかった:『民主主義の終焉』が明かす不都合な真実

「民主主義とは、組織化された少数が組織化されていない多数を支配するシステムである。」

ワシリー・ローザノフ(ロシアの哲学者)

はじめに:選挙という名の欺瞞

「選挙に行こう」「投票は市民の義務」「民主主義を守ろう」──こうした呼びかけが当たり前のように響く現代日本だが、果たして選挙は本当に社会を変える力を持っているのだろうか。2021年の衆議院選挙では投票率55.93%と過去3番目の低さを記録し、若年層の政治離れは深刻化している。多くの有権者が「誰に投票しても変わらない」という諦めを抱いている現実がある。

この現象は単なる政治的無関心なのか、それとも民主主義システムそのものの限界を直感的に感じ取った結果なのか。前回の記事「なぜ民主主義は幻想なのか?」では、大衆が決して主権者になれない構造的理由を探った。重要でありながらも、長文難解な記事のため、あまり読まれないだろうと考えていた。しかし、思いの外「いいね」がついたため、もう一度このテーマに沿って紹介してみようと思う。

今回紹介する書籍『民主主義の終焉』は、異なる角度から同じ問題に迫る。著者クリストフ・ビュフィン・ド・ショザル(Christophe Buffin de Chosal)が描く民主主義の実態は、我々が信じ込まされてきた理想とはかけ離れている。民主主義という信仰のトドメをさす本になってしまうかもしれない。。

著者・書籍紹介

ベルギー貴族が描く民主主義の正体

クリストフ・ビュフィン・ド・ショザルは、ベルギーの名門貴族出身の歴史学者である。ユナイテッド・ビジネス・インスティテュートで経済史の教授を務める彼は、25年間にわたり歴史・経済・政治の教育に携わってきた。6人の子を持つ父親でもある彼の視点は、単なる学術的批判を超えて、現実的な問題意識に根ざしている。

クリストフ・ビュフィン・ド・ショザル

『民主主義の終焉』は2014年にフランス語で出版され、フランス語圏で大きな反響を呼んだ。2017年に英語版が刊行されると、その射程の広さと分析の鋭さで注目を集めた。本書は単なる政治批判書ではない。中世史から現代政治まで、歴史学者としての深い知見に基づいて民主主義という政治システムの構造的欠陥を解剖した労作である。

なぜ今この本なのか

著者は序文でこう述べている。「民主主義は政治システムというだけでなく、それ以上のものである。それは神のような性質に近づいており、どれほどの敬意を払われ、どれほどの献身で崇拝されているかを考えれば、民主主義の偶像的性格は明らかである」

現代社会で民主主義を批判することは、ほとんど宗教的タブーに触れることに等しい。しかし、まさにそのタブー性こそが、冷静な分析を妨げる要因となっている。本書は、そうした思考停止状態から脱却し、民主主義という政治システムを客観的に検討する貴重な機会を提供する。

「人民の自治」という美しい嘘

「組織があるところには寡頭制がある」

— ロベルト・ミヒェルス

革命の真の主役は誰だったのか

「民主主義では人民が支配する」という命題は、聞こえは良いが実態は大きく異なる。著者は歴史的事実を丹念に検証し、この神話を解体していく。

フランス革命も、イギリスの議会制度の成立も、ロシア革命さえも、実際には「人民」が主役ではなかった。それらは知的・社会的・金融的エリートによって計画され、実行された権力移動劇だった。「人民」は口実であり、被害者でもあったが、決して変革の主体ではなかった。

フランス革命を例に取ろう。この革命は「国民」の名の下に起こされたが、この「国民」とは実際には教育を受けた裕福なブルジョワジーとその賛同者である一部貴族を指していた。ヴォルテールは権力の行使を「上流階級」に限定すべきだと主張し、庶民には読み書きを教えるべきではないとさえ述べていた。なぜなら、庶民が教育を受ければエリートと権力を争うようになるからである。

1755年、マダム・ジョフルランのサロンにて。ヴォルテールの悲劇『中国の孤児』の朗読会、マリー・テレーズ・ロデ・ジョフルランのサロンにて、アニセ・シャルル作

19世紀のヨーロッパ諸国は制限選挙制を採用し、有権者は人口の10%以下だった。これは古代アテネよりも制限的である。「普遍的」とされる普通選挙は、実は民主主義の歴史において例外的な現象に過ぎない。

現代日本の「少数派支配」

日本でも状況は変わらない。2021年衆議院選挙では:

  • 投票率:55.93%

  • 自民党得票率:48.9%(比例代表)

  • 実際の支持率:有権者全体の約27%

つまり、政権与党は有権者の4分の1程度の支持で「圧勝」したのである。残り73%の有権者は、現政権以外を選択したか、政治システム自体を拒否した。

さらに、未成年などの選挙権を持たない人口は含まれていない。つまり自民党を支持した人々は、人口全体からすると2割程度でしかない。

支配する少数:政治階級という新たな特権階級

「事実として、普遍的選挙権が行われようが行われまいが、常に寡頭制が統治し、少数者が望む表現を『人民の意志』に与える方法を見つけ出すのである」

— ヴィルフレード・パレート

政党システムによる権力の私物化

ショザルは政党を「権力征服のための機械」と定義する。政党の第一目標は権力の獲得と維持であり、公共の利益は二の次だ。この観点から見ると、日本の政党政治の実態が浮かび上がる。

自民党の政治資金パーティー問題、立憲民主党の支持率低迷、維新の会の大阪での利権構造──これらは偶然の腐敗ではなく、民主主義システムの必然的結果である。

政治家選別のメカニズム

民主主義が権力に送り込むのは、どのような人物か。ショザルの分析は辛辣である:

「理想的な政治家は柔軟性があり、説得力があり、本能的な嘘つきである。彼はいかなる政策にも執着せず、イデオロギー的目標を持たない。彼が真に献身するのは権力だけである」

この記述は、現代日本の政治家の行動パターンを見事に説明している。選挙時の公約と実際の政策の乖離、所属政党の頻繁な変更、権力維持のためのご都合主義的な政策転換──これらは個人の資質の問題ではなく、システムが選別した結果なのだ。

記者会見で次期衆院選不出馬の意向を表明する自民党の二階俊博元幹事長=東京都千代田区の同党本部で2024年3月25日午前10時29分、竹内幹撮影 出典:毎日新聞

マネーパワーとの共犯関係

民主主義における真の権力者は政治家ではない。金融・産業・商業グループ、エネルギー・軍需市場、銀行──これらのマネーパワーが真の意思決定者である。

政治権力は本質的に弱い。選挙で常に更新される不安定な権力に対し、経済権力は継続性を持つ。日本でも経団連、金融業界、大手商社などの影響力は政権交代に関係なく持続する。政治家は選挙資金と引き換えに政策を売る存在に過ぎない。

全体主義的民主主義:自由の名による奴隷化

「国家は社会の表面を、小さく、複雑で、細かく、画一的な規則の網で覆い尽くし、それによって人々は最終的に、政府を牧者とする臆病で勤勉な動物の群れに過ぎなくなる」

— アレクシス・ド・トクヴィル

民主主義は全体主義の温床である

ショザルの最も衝撃的な指摘は、民主主義こそが全体主義の温床だという点である。ナチス、共産主義、ファシズムはすべて民主主義システムから生まれた。これらの体制は議会制民主主義の土壌で成長し、しばしば合法的な選挙を通じて権力を握った。

法的全体主義の進行

現代民主主義は暴力による支配ではなく、法律による全体主義を実現している。民主主義においては、多数派(実際は組織化された少数派)が決定したことは何でも正当化される。善悪の判断は法律に委ねられ、市民は「法的に許可されているか」だけを考えるようになる。

日本でも同様の現象が見られる。マイナンバー制度、デジタル庁の設立、ワクチン接種の事実上の強制、言論規制の強化──これらはすべて「民主的」な手続きを経て実現された。批判者は「民主主義の敵」として排除される。

これは私たちの民主主義にとって危険です!

福祉国家による依存の創出

福祉国家は民主主義の論理的帰結である。国家が国民の生活のあらゆる側面に介入し、サービスを提供することで依存関係を作り出す。日本の社会保障制度、雇用制度、教育制度を見れば明らかだ。

国民は国家なしには生きられない存在となり、自由と引き換えに安全を求める。これは自発的な奴隷化である。トクヴィルが予見した「穏やかな専制」が現実化している。

左翼と右翼:見せかけの対立

すべての政党は左翼化する

ショザルによれば、民主主義は本質的に左傾化するシステムである。なぜなら、選挙で勝利するためには有権者により多くの利益を約束する必要があり、そのために国家の介入と支出は拡大し続けるからだ。

日本でも、「保守」を名乗る自民党が実際には社会主義的政策を推進している実態がある。公共事業による経済刺激、企業への補助金、社会保障の拡大──これらは市場原理とは正反対の政策である。

マルクス主義の静かな勝利

ショザルは興味深い分析を行っている。マルクスとエンゲルスが『共産党宣言』(1848年)で提示した10の革命的措置は、ほぼすべてが現代の民主主義国家で実現されている:

  1. 土地所有の廃止と地代の公共目的への充当 → 固定資産税、相続税

  2. 累進課税 → 所得税制度

  3. 相続権の廃止 → 相続税による事実上の財産分散

  4. 中央銀行による信用の集中化 → 中央銀行制度、法定通貨

  5. 交通・通信手段の国家統制 → 公共交通、NHK等

  6. 無料公教育 → 義務教育制度

西欧は革命ではなく漸進的改革によってマルクス主義を実現した。暴力的革命と民主的改革の違いはプロセスにあるが、結果は同じである。

「脱文明化」:民主主義がもたらす社会の解体

文明の基盤の破壊

ショザルが「脱文明化」と呼ぶ現象は、民主主義が社会の基盤的制度を体系的に破壊する過程である。家族、宗教、地域共同体、職業集団──これらの中間組織は国家権力の拡大にとって障害となるため、意図的に弱体化される。

家族制度の解体

特に深刻なのが家族制度の破壊である。離婚の容易化、事実婚の推奨、避妊・中絶の普及、同性婚の法制化──これらは個人の自由として正当化されるが、実際は国家依存を深める効果を持つ。

日本でも同様の現象が進行している。2022年の出生数は約77万人と過去最少を記録し、婚姻率も低下し続けている。保育園の拡充、男性育休の推進、女性の社会進出──これらの政策は表面的には家族支援だが、実際は家族の国家への従属を促進している。

教育制度による思考統制

義務教育制度は大衆の思考統制装置である。国家が教育内容、教育方法、教師の資格を統制することで、「従順な有権者、操りやすい消費者、従順な納税者」を大量生産する。

日本の教育現場を見れば、この指摘の正確性がわかる。画一的なカリキュラム、競争抑制、批判的思考の欠如──これらは偶然ではなく、システムの意図的な設計である。

欧州連合:超国家民主主義の実験場

民主主義的正統性の欺瞞

ショザルは欧州連合(EU)を民主主義の寡頭制的傾向の完成形として分析する。EUは民主主義の外観を保ちながら、実際は非選出・無責任・高度に特権化されたエリートによって運営されている。

2009年のEU議会選挙では、56.59%のヨーロッパ人が投票しなかった。つまり、EU議会議員は半数以下のヨーロッパ人しか代表していない。にもかかわらず、EUは「民主的正統性」を主張し続ける。

腐敗の制度化

EU内部の腐敗は個人の道徳的失敗ではなく、システムの設計上の特徴である。欧州委員会委員長の年収は約35万ユーロ(約5000万円)、欧州理事会議長も同程度の報酬を受け取る。これはアメリカ大統領やヨーロッパの国家元首を上回る金額だ。

このような過剰な報酬は偶然ではない。高額報酬による内部腐敗によって、職員の忠誠心と沈黙を買うシステムである。ソビエト連邦の共産党幹部特権制度と本質的に同じ構造だ。

未来の展望:民主主義後の世界

「歴史は貴族制の墓場である」

— ヴィルフレード・パレート

ポピュリズムの一時的解決策

ショザルは現在の政治システムに対する唯一の対抗勢力としてポピュリズムを挙げている。保守的価値観を持ち、時に古典的自由主義的で、しかし社会保障制度は維持する──このような政治勢力が労働者・中間層の利益を代表できる可能性がある。

ただし、ポピュリズムも根本的解決にはならない。選挙制度の不合理性、政治的無責任、仲裁者の不在という民主主義の構造的欠陥は残存する。それでも、差し迫った問題に対する一時的なブレーキ役は果たせるかもしれない。

三つの政治システムの競争

21世紀の世界政治は三つの政治システムの競争になる、とショザルは予測する:

  1. 西欧型民主主義(全体主義国家への進化形)

  2. 共産主義(中国・ベトナム型の市場開放独裁制)

  3. イスラム制(シャリーア法に基づく神権政治)

西欧の民主主義は経済的効率性と政治的継続性において他のシステムに劣っている。中国は権威主義的な政治制度と市場経済の組み合わせで急成長を遂げ、イスラム世界は宗教的一体性と攻撃性を持つ。

文明の終焉か、それとも再生か

最も悲観的なシナリオでは、民主主義はヨーロッパ文明の死と消滅をもたらす。大量移民、家族制度の崩壊、出生率の低下、経済危機──これらの複合的効果は、社会の物理的・精神的基盤を破壊する可能性がある。

しかし、歴史は直線的ではない。あらゆる帝国は遅かれ早かれ崩壊する。自然法を否定し、強制によってのみ維持される政治システムは、最終的に人間の現実にぶつかって自壊する。

日本における民主主義の現状

投票率の継続的低下

日本の投票率は一貫して低下している。2021年衆議院選挙の55.93%は戦後3番目の低さで、特に20代の投票率は43.21%と深刻だ。これを「政治的無関心」と片付けるのは表面的すぎる。

むしろ、多くの有権者が直感的に民主主義の限界を感じ取っている可能性がある。「誰に投票しても変わらない」という感覚は、ショザルの分析と一致している。

政治資金の実態

2022年の政治資金収支報告書によれば、自民党の収入は約178億円、そのうち企業・団体献金は約25億円だった。これは氷山の一角に過ぎない。パーティー券購入、政治資金パーティー、関連団体経由の資金提供──実際の企業影響力ははるかに大きい。

官僚制との癒着

日本の「民主主義」は実際には官僚制との複合体である。政治家は短期間で交代するが、官僚は継続的に政策を立案・執行する。財務省、経産省、厚労省といった中央官庁が実質的な政策決定者であり、政治家はその追認機関に過ぎない場合が多い。

最後に:選挙を超えた政治参加の模索

「政府に関する最も危険な人物は、流布する迷信やタブーに関係なく、物事を自分で考え抜くことのできる人間である」

— H.L. メンケン

分断された真実の受容

この記事は選挙が無意味だと主張するものではない。ショザルの『民主主義の終焉』が示唆するように、ポピュリズムの台頭は一時的な解決策となる可能性がある。ポピュリズム政党は根本的な解決にはならないものの、直面する問題に一時的なストップをかけたり、悪化を遅らせることはできるかもしれない。

私の大いなる不満は、選挙以外にも多くの社会や政治に影響を与える「合法的選択肢」がありながら、政治家やメディアがザ選挙こそが社会や政治の決定的解決方法であるかのように提示していることだ。選挙以外の政治への関わり方が学校で教えられることもなければ、テレビで知らされることもない。これは選択を狭い枠組みの中に押し込めようとする意図的なプロパガンダである。このことにまず気づく必要がある。

制度を超えた行動の可能性

選挙以外に私たちにできることは、意外に多くある。その一部を過去の記事で幾度となく紹介してきた。「権力のCovid-19心理戦に対する市民的抵抗:シドニー・タローの社会運動論に基づく戦略」もその一例だ。

地域レベルでの自治活動、協同組合の設立、代替経済システムの構築、市民的不服従、情報発信活動、難読化、地域通貨、地下経済、──これらの活動は選挙制度の外部で社会変革を推進する力を持っている。

「不買運動」も、これほど日常的に誰もが利用できる合法的方法でありながら、驚くほど活用されていない抗議方法だ。選挙は数年に一度しか行われないが、消費行動は毎日できる投票権だ。消費行動を抗議手段として活用しない人は、自ら投票権を捨てているに等しい。

イスラエルのジェノサイドに反対しながら、スターバックスに通っている人を思い浮かべてみよう。それがどれほど無知で恥ずかしい行動かわかるはずだ(わからない人は以下のツイートを読んでみて。)

記事より:「スターバックスは通常、業績不振などさまざまな理由で店舗を閉店する。」—メディアはけして本当の理由を伝えない。

ゲームの外へ:選挙の幻想と限界

民主主義選挙が社会を部分的に変える一つの手段である可能性は否定しない。しかし、明らかに万能でも有効でも「まったく」ない。

「今度こそは」というマントラを何十回繰り返してきただろうか?そう考えるように設計された構造的プロパガンダであるということに多くの人々が気づかない限り、日本に未来はない。

これは、あなたが選挙で期待したことが何も得られないという意味ではない。だが、それによってあなたの生活は楽になっただろうか。日本の見通しが少しでも明るくなっただろうか。世の中の不要な苦しみが目に見えるレベルで最小化されただろうか。答えは明らかだ。むしろ反対のことが起こっている。

結局のところ、あなたが選挙結果によって何か得たものがあったとしても、買い物ポイントで喜んでいるのと大差がないものだ。そして何を買うかにあなたの選択はみじんもなく、せいぜい政治家同士の狭い争いの中から限られた選択肢を提示されるにすぎない。

「ビッグマックセットがお嫌ですか?チーズバーガーセットもありますよ。」—ここに選択権(主権)があるとは私は思わない。

民主主義の神話を解体することは、絶望ではなく解放である。システムの限界を認識することで、より効果的な変革手段を模索できるようになる権力者が最も恐れるのは、市民が彼らの仕掛けたゲーム設定を外れることなのだから。最終的に社会が変われるかどうか(日本が立ち直れるかどうか)は、「選挙以外の」あなたの行動で決定される。


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