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より少なく、より豊かに:脱成長が世界を救う方法

本日紹介する本の要約はこちら。

https://alzhacker.com/less-is-more/

資本主義の終焉と新たな経済システムへの転換

昆虫が消えていく。子供の頃、車のフロントガラスにびっしりとついていた虫たちは、今どこへ行ったのだろう。

ジェイソン・ヒッケル(Jason Hickel)の著書『Less is More』(邦題:「資本主義の次に来る世界」)は、まさにこんな身近な観察から始まる。南アフリカで育った著者は、かつて車のグリルに何層にも重なってついていた昆虫たちが、今ではほとんど見られなくなったことに気づく。これは単なる思い出話ではない。ドイツの科学者たちが2017年に発表した研究によれば、自然保護区でさえ、飛翔昆虫の75%が過去25年間で姿を消したという。

「まさか」と思った人もいるだろう。しかし、これは世界中で起きている現象だ。プエルトリコの熱帯雨林では、昆虫のバイオマスが36年間で最大98%も減少した。研究者の一人は「1970年代には雨の後、蝶々がそこら中にいた。でも2012年に戻ってきたとき、ほとんど見かけなかった」と証言している。

資本主義という名の巨大な食欲

なぜこんなことが起きているのか。ヒッケルは明確に指摘する。問題の根源は資本主義という経済システムそのものにある。

資本主義の本質は何か。それは「成長」への飽くなき欲求だ。GDP(国内総生産)は毎年2〜3%成長し続けなければならない。これは企業が利益を上げ続けるために必要な最低ラインとされている。3%という数字は小さく見えるかもしれない。しかし、これは複利計算で増えていく。23年ごとに経済規模は倍になり、世紀末には現在の20倍になる計算だ。

「そんなの当たり前じゃないか」と思うかもしれない。確かに、私たちは経済成長を善きものとして教え込まれてきた。しかし、ヒッケルは問う。地球という有限の惑星で、無限の成長は可能なのか?

成長の代償

2017年の世界の物質使用量は920億トンに達した。1900年の70億トンから見れば、実に13倍以上の増加だ。科学者たちは、地球が持続可能に処理できる物質使用量の上限を年間500億トンと見積もっている。つまり、私たちはすでに安全な境界線を2倍近く超えている

この過剰な資源利用の責任は誰にあるのか。データは明確だ:

  • 低所得国:年間一人当たり2トンの物質消費

  • 中所得国:年間一人当たり12トン

  • 高所得国:年間一人当たり28トン

高所得国の人々は、持続可能なレベルとされる8トンの実に3.5倍もの資源を消費している。もし世界中の人々が高所得国と同じレベルで消費したら、地球が4つ必要になる計算だ。

テクノロジーは救世主になれるか

「でも、技術革新があるじゃないか」という反論が聞こえてきそうだ。確かに、多くの人々がこの希望にすがっている。再生可能エネルギー、電気自動車、炭素回収技術...。しかし、ヒッケルはこれらの楽観論に冷水を浴びせる。

BECCS(バイオエネルギー炭素回収貯留)の幻想

2001年、オーストリアの学者ミヒャエル・オーバーシュタイナー(Michael Obersteiner)が画期的なアイデアを発表した。大規模な植林を行い、成長した木を収穫してエネルギーとして燃やし、その際に出るCO2を地下に貯留するという技術だ。これがあれば、大気中からCO2を取り除きながらエネルギーも得られる。まさに一石二鳥だ。

ところが、この技術を大規模に展開するにはインド国土の2〜3倍の面積が必要になる。地球の耕作可能地の3分の2を占領することになり、深刻な食糧危機を引き起こす可能性が高い。さらに、生物多様性は7%減少し、水使用量は現在の農業の2倍になると予測されている。

「これは狂気の沙汰だ」と15人の科学者が2014年にNature Climate Change誌で警告した。BECCSの発明者であるオーバーシュタイナー自身も、自分のアイデアが「誤用」されていると懸念を表明している。

グリーン成長の神話

では、経済成長と資源使用を「デカップリング(切り離し)」できないのか。つまり、GDPは成長させながら、資源使用は減らせないのか。

残念ながら、科学的証拠は否定的だ。2017年、国連環境計画(UNEP)は、炭素価格を1トン当たり573ドル(約8万円)に設定し、資源採取税を導入し、急速な技術革新を想定したシナリオでさえ、資源使用は増加し続けると結論づけた。

なぜか。それは「ジェヴォンズのパラドックス」と呼ばれる現象による。1865年、イギリスの経済学者ウィリアム・スタンリー・ジェヴォンズは、蒸気機関の効率が向上したにもかかわらず、石炭消費量が増加したことを発見した。効率化による節約分は、生産拡大に再投資され、結果的により多くの資源を消費することになったのだ。

幸福と成長の切断

ここで根本的な問いに立ち返ろう。そもそも、なぜ私たちは成長を必要とするのか?

主流の経済学者は「成長こそが人々の生活を改善する」と主張する。しかし、データはこの前提に疑問を投げかける。

マッキーン仮説の崩壊

1970年代、イギリスの学者トーマス・マッキーンは、産業革命以降の平均寿命の劇的な上昇を経済成長の成果だと主張した。この「マッキーン仮説」は長らく信じられてきた。

しかし、歴史家たちの詳細な研究により、真実は異なることが明らかになった。資本主義の初期500年間、成長は人々の福祉を改善するどころか、むしろ悪化させた。1500年代のイギリスでは平均寿命は43歳だったが、1700年代には30歳前半まで低下した。産業革命期のマンチェスターでは、平均寿命はわずか25歳だった。

では、何が寿命を延ばしたのか。答えは単純だった:公衆衛生である。下水と飲料水の分離、予防接種、公的医療制度、教育(特に女性教育)。これらの公共財への投資が、人々の健康を劇的に改善した。

ロンドンのアビー・ミルズ・ポンプ・ステーションの地下に建設中の北流出下水道にて、ジョセフ・バザルジェット(右上)。 写真: オットー・ハーシャン/Getty

少ないGDPで高い幸福を実現する国々

現代のデータも同じことを示している:

  • アメリカ:一人当たりGDP 59,500ドル、平均寿命78.7歳

  • 日本:一人当たりGDP 38,900ドル(アメリカの35%減)、平均寿命84歳

  • コスタリカ:一人当たりGDP 12,000ドル(アメリカの80%減)、平均寿命80歳

コスタリカは特に注目に値する。アメリカのわずか5分の1のGDPで、ほぼ同等の生活の質を実現している。秘密は何か。普遍的な公的医療制度と教育、そして強固なコミュニティの絆だ。

実際、ニコヤ半島の調査では、最も貧しい世帯が最も長寿であることが判明した。なぜなら、彼らは家族や隣人と支え合い、つながりを感じているからだ。

コスタリカの先住民コミュニティ

脱成長への道筋

ヒッケルは、高所得国が「脱成長(degrowth)」を選択すべきだと主張する。これは貧困や苦行を意味するのではない。むしろ、より少ない労働で、より豊かな生活を実現することを意味する。

具体的な5つのステップ

1. 計画的陳腐化の終焉 現在、スマートフォンの平均寿命は2〜3年だ。しかし、技術的には10年以上使える設計が可能だ。もし製品寿命を4倍に延ばせば、資源消費は75%削減できる。

2. 広告の削減 世界の広告費は2019年に5,600億ドル(約80兆円)に達した。CEOの90%が「広告なしに新製品は売れない」と認め、85%が「広告は人々に不要なものを買わせる」と認めている。サンパウロやパリは既に公共空間での広告を制限し始めている。

3. 所有からシェアリングへ 芝刈り機や電動工具は月に1〜2回しか使われない。10世帯でシェアすれば、需要は10分の1になる。

4. 食品廃棄の終焉 世界で生産される食料の50%(20億トン)が廃棄されている。これを防げば、農業の規模を半減でき、温室効果ガスを13%削減できる。

5. 破壊的産業の縮小 牛肉産業は世界の農地の60%を使用しながら、人類のカロリー摂取のわずか2%しか提供していない。

労働時間の短縮

これらの効率化により必要な労働が減れば、週労働時間を現在の47時間(アメリカ平均)から30時間、さらには20時間に短縮できる。研究によれば、労働時間の短縮は:

  • 幸福度を向上させる

  • ジェンダー平等を促進する

  • エネルギー消費を削減する(アメリカが西欧並みの労働時間にすれば、エネルギー消費は20%減少)

1930年、ケインズは2030年までに週15時間労働が実現すると予測した。生産性の向上は彼の予測通りだったが、その利益は労働時間短縮ではなく、資本蓄積に使われてしまった。

新しい豊かさの理論

脱成長は「人工的希少性」を逆転させることを意味する。資本主義は豊かさを生み出すシステムのように見えるが、実際には希少性を作り出すシステムだ。

エンクロージャー(囲い込み)運動がその典型例だ。かつて共有地だった土地が私有化され、人々は生存手段へのアクセスを失った。現代でも同じことが起きている:

  • 住宅の商品化による居住権の希少化

  • 教育の商品化による知識へのアクセスの希少化

  • 医療の商品化による健康の希少化

これらを脱商品化し、公共財として提供することで、人々は高収入を追い求める必要がなくなる。豊かさこそが成長への解毒剤なのだ。

自然との新たな関係

ヒッケルは最終章で、より深い変革の必要性を説く。問題は経済システムだけでなく、私たちの世界観そのものにある。

デカルトの二元論は、人間と自然を分離し、自然を「資源」として扱うことを正当化した。しかし、最新の科学は異なる見方を示している:

  • 人体の細胞の半分以上は他の生命体(バクテリアなど)のものだ

  • 樹木は地下の菌糸ネットワークを通じて通信し、栄養を共有している

  • 森の中で15分過ごすだけで、ストレスホルモンが大幅に減少する

アマゾンのアチュアル族は、動植物を「人」として扱い、相互依存の関係を築いている。彼らの領域では、生物多様性の80%が保護されている。

アチュアル族 Facebookより

日本の文脈での考察

興味深いことに、日本は既に多くの点で脱成長的な要素を持っている。失われた30年と呼ばれる期間、GDPはほとんど成長していないが:

  • 平均寿命は世界最高水準を維持

  • 犯罪率は極めて低い

  • 公共交通機関は世界最高レベル

  • 「もったいない」精神は循環経済の先駆け

むしろ日本の経験は、成長なき豊かさの可能性を示唆している。問題は、この現実を「失敗」ではなく「新しいモデル」として再評価することだ。

しかし現実には、現在の日本で脱成長を掲げる政治政党は存在しない。主要政党はいずれも経済成長の復活を公約に掲げ、「アベノミクス」から「新しい資本主義」まで、成長路線からの脱却を真剣に検討する政治的議論はほとんど聞かれない。メディアでも、GDP成長率の低迷は常に「問題」として報じられ、脱成長という選択肢が建設的に議論されることは稀だ。

だが、地球の限界が明らかになり、環境の悪化が深刻化する中で、このような声や議論があってもよいのではないだろうか。真剣に地球の未来や子どもたちのことを考えた時、その賛否はともかくとして、ほぼ選択肢としてすら存在しないのは議論の多様性を欠いていると言わざるを得ない。

日本は図らずも30年間にわたって、成長なき社会の実験を行ってきた。その経験から得られた知見—高い生活の質、社会の安定、環境への配慮—を積極的に評価し、世界に向けて新しい豊かさのモデルとして発信する時が来ているのかもしれない。

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