肥料も電力もない世界で家族を養う方法——サバイバル園芸の実践教本『Grow or Die』
農民は何かを「育てる」のではない。自然が与えると決めたものを、受け取っているにすぎない。
鍬を、兵士がライフルを見るように見てほしい——何が起ころうと、次の角を曲がった先に備える保険として。
1945年、東京・深川倉庫にあった米の在庫は都民のわずか3日分だった。配給は1人1日2合3勺。それでも国民は飢えた。米しか食べられない世界とは、副食からカロリーを補えない世界のことだ。80年が経ち、その記憶は教科書の中に封じ込められた——2026年2月28日までは。
ホルムズ海峡が事実上封鎖された。日本の中東石油依存率93%。肥料原料の輸入経路も同時に遮断された。石油備蓄は8ヶ月分ある。だが肥料の戦略備蓄はゼロだ。ニュースは原油価格を報じ続けているが、パンがアンモニアを、米が尿素を、野菜がリン酸肥料を必要とすることを、どれだけの人が理解しているだろうか。
「備蓄はした。でも備蓄はいつか尽きる。その先をどうすればいいのか」——多くの人がこの問いに直面しているはずだ。マンション住まいで庭もない。自分に何ができるのか。その問いに、10年前のフロリダの砂地で書かれた一冊の園芸書が、驚くほど具体的な回答を用意している。食糧を備蓄することは、貯金を切り崩して暮らすことに似ている。いつかは底をつく。本当に必要なのは、備蓄ではなく「生産する能力」そのものだ。
著者と書籍
デヴィッド・ザ・グッド(David the Good、本名David Goodman)は、フロリダ州の砂質土壌で約30年間にわたり園芸実験を繰り返してきた独立系のサバイバル園芸家だ。大学や研究機関には所属していない。自身の1エーカー(約4,000㎡)の土地で、何百種もの作物を植え、失敗し、記録し、また植えるという作業を続けてきた実践者である。YouTubeの登録者は約24万人に達し、12冊以上の園芸書を執筆している。
本書『育てよ、さもなくば死を:サバイバル園芸の実践ガイド』(Grow or Die: The Good Guide to Survival Gardening, 2015年)は、その園芸哲学の中核をなす著作だ。代表作にはほかに『すべてを堆肥にせよ:極限コンポストの実践ガイド』(Compost Everything: The Good Guide to Extreme Composting, 2015年)、『フロリダ・サバイバル園芸』(Florida Survival Gardening)などがある。
本書の特徴は、いわゆる「趣味の園芸」とは明確に一線を画している点にある。花壇の美しさや珍しい品種の栽培ではなく、「カロリーの生産」を目的とする。電力が止まり、化学肥料が届かず、ガソリンが手に入らない状況を前提に、手道具と自家堆肥と雨水だけで家族を養う方法を体系的に示す。2015年の刊行当時、これは仮定の話だった。2026年3月の日本において、それは仮定ではなくなりつつある。
1. 単純さという保険——サバイバル園芸の第一原則
わが国がこれほどの窮地に陥った理由の一端は、アメリカの銀行システムが——買収された政府の助けを借りて——債務に裏打ちされた紙幣という、ますます理解不能な制度の上に巨大な富の城を築いたことにある。園芸の用語で言えば、彼らは土と日光と種蒔きという単純さから遠く離れてしまったのだ。
著者の友人にティラピアとサラダ菜を温室で同時に育てるアクアポニクスの達人がいた。見事なシステムだった。魚の排泄物が植物の養分になり、植物が水を浄化して魚に戻す。自己完結的で、未来的で、見ていて感嘆するほかない。
ところが、ある晩、エアレーション(曝気装置)のバルブが固着した。ポンプは動き続け、水槽の水は排出され続けた。翌朝、友人が見たのは大量の死んだ魚だった。2度目の事故も似たような原因で起きた。微小な部品のひとつが機能不全を起こしただけで、システム全体が崩壊した。

今は悲しい話で済む。だが、もしその魚が家族の唯一のタンパク源だったとしたらどうか。ほかに食べるものがなかったとしたらどうか。著者はここに、サバイバル園芸の最も根本的な原則を見出す。KISS——Keep It Simple, Stupid(単純にしろ、馬鹿)。
自動灌漑、水耕栽培、IoTセンサーによる温室管理。これらはすべて平時には見事に機能する。だが一つひとつが「外部入力」に依存している。電力、交換部品、専門知識、インターネット接続。一つが欠ければ、残りも連鎖的に倒れる。著者の言葉を借りれば、それはまさに金融システムの構造と相似形だ。レバレッジを重ね、派生商品を束ね、誰にも理解できないほど複雑になったシステムは、一つの亀裂で全体が崩壊する。
では、何が残るか。土。日光。種。鍬。水。これらは外部入力をほとんど必要としない。壊れない。アップデートが不要だ。リコールされない。ここに「コンヴィヴィアルな道具」(自律的な行動を拡張する道具)の本質がある。鍬は使用者の能力を拡張する。トラクターは便利だが、燃料とメンテナンスと部品供給という制度への依存を深める。鍬を握る人間は自律的だ。トラクターに乗る人間は、サプライチェーンの末端にいる。
〈石油備蓄8ヶ月 vs 肥料備蓄ゼロ:ホルムズ封鎖が暴いた食料安全保障の致命的断層〉で分析したように、日本の農業は化学肥料の輸入に全面依存する構造を持つ。その肥料の原料は、いま封鎖されたホルムズ海峡を経由して届いていた。この構造的脆弱性を前にして、「最も単純な手段で食糧を生産する能力」は、もはや趣味ではなく生存技術となる。
2. レイズドベッドの罠——万能農法など存在しない
園芸は万人に共通の方法がない実践だ。あなたの土地、あなたの道具、種、日光、水、養分——そのすべてが、知覚しきれないほど複雑な生態系の中で動いている。
現代の園芸書を開けば、たいていレイズドベッド(高畝式の箱型菜園)を「最良の方法」として推奨している。境界線がきれいに区切られ、土の温度が早く上がり、排水が良く、密植に適し、自分で選んだ良質の土を使える——利点のリストは長い。
だが著者は、この「万能の方法」に異を唱える。

まず排水の問題だ。フロリダのような砂質土壌で乾燥した春を迎える地域では、排水が良いことは利点ではなく負債になる。レイズドベッドの土は乾燥が速く、頻繁な灌漑が必要になる。水が潤沢に使えるうちはいい。だが水道が止まったとき、乾きやすい構造は致命的だ。アメリカ南西部の乾燥地帯では、逆に「沈床式」の畑で水を集めて保持する。要するに、排水性の善し悪しは気候次第であり、普遍的な利点ではない。
次にコスト。木材、釘、土。レイズドベッドの建設には時間と資材がかかる。圧力処理木材は毒性の懸念があり、鉄道枕木は有害物質を含み、タイヤは化学物質を浸出させる可能性がある。危機の最中に、そうした資材の調達に時間を費やす余裕があるだろうか。
著者が推奨するのは、状況に応じた複数手法の併用だ。広い面積には耕耘(ティリング)+緑肥の組み合わせ。小規模な集約栽培にはダブルディグ(二重掘り)。ダブルディグとは、深さ約60センチ(約2フィート)まで土を掘り起こして柔らかくする方法だ。著者がフロリダの砂質土壌で試したところ、半年後も土はふかふかのままで、翌年も周囲の未処理の土より明らかに柔らかかった。
日本の気候に当てはめると、梅雨の過湿期にはレイズドベッドの排水性が活きるが、夏の乾燥期には逆に保水力が課題になる。日本各地で伝統的に行われてきた「畝立て」は、このバランスを経験的に解決してきた技術だ。万能の方法はない。あるのは、自分の土地の気候と土壌を観察し、試し、修正するプロセスだけである。不耕起を教義化することも、耕耘を悪と断じることも、どちらもイデオロギー的硬直だ。実践は常に教義に先行する。



3. 芋が世界を救う——根菜優先戦略の論理
ジャガイモはおそらく究極のサバイバル作物だ。痩せた土でも育ち、大量に実り、さまざまな気候に対応し、カロリーが詰まっている。
「自分の土地で家族を養えるか」。この問いに対する著者の回答は、おおまかに言えばこうだ。約370㎡(4,000平方フィート、約112坪)の集約栽培で、1人あたり1日2,600キロカロリーを維持できる可能性がある。ただし、条件がある。カロリー密度の高い作物に集中すること。穀物に手を出さないこと。根菜を軸にすること。
なぜ穀物ではなく根菜なのか。小麦やオート麦を家庭規模で栽培する場合、種蒔き、収穫、脱穀、風選、製粉という工程を手作業でこなす必要がある。著者自身、小規模な穀物栽培を試みた経験から「パン1斤のために費やした労力は完全に割に合わなかった」と認めている。アイルランド人がジャガイモを愛した理由がここにある。根菜は植えて、待って、掘る。その単純さが、危機的状況での食糧生産を現実的にする。
著者が最優先する5つのサバイバル作物は、ジャガイモ、サツマイモ、冬カボチャ、ヤムイモ(気候が許す場合)、キャベツだ。いずれもカロリー密度が高く、栽培が比較的容易で、保存性に優れる。
これに続くのが、ササゲ(ヤードロングビーン)、カブ、キャッサバ、ニンニク、ケールである。
紫芋を収穫して市場へ売りに行く - Build A Farm | ソロサバイバル
特筆すべきは「スリーシスターズ」の合理性だ。トウモロコシ、豆、カボチャを混植するアメリカ先住民の伝統農法で、トウモロコシが豆の支柱になり、豆が窒素を固定してトウモロコシに供給し、カボチャの広い葉が地面を覆って雑草を抑制し水分蒸発を防ぐ。3種が互いの弱点を補い合う、いわば植物の相互扶助システムだ。
では、日本の食卓に翻訳するとどうなるか。米は面積あたりのカロリー密度が高いが、水田という特殊なインフラが必要だ。畑作に限れば、サツマイモが圧倒的な候補になる。終戦直後の日本で、国民の命をつないだのはまさにサツマイモだった。里芋、ジャガイモ、大根、カブ——日本の伝統的な根菜類は、著者が描くサバイバル作物戦略にそのまま合致する。
「370㎡(112坪)も庭がない」という反論は当然あるだろう。著者もこの点を認めている。重要なのは「完全自給」という到達点ではなく、「食糧生産能力を少しでも持つ」という方向性だ。ベランダのプランターでもサツマイモは育つ。市民農園の3坪でもジャガイモは掘れる。ゼロか100かではなく、ゼロから1への移行がまず必要だ。

4. グラブホー、ブロードフォーク、大鎌——文明崩壊後に生き残る道具たち
かつて園芸に必要だったのは、技術と勤勉さと、わずかな道具だけだった。体を鍛え、良い道具を持ち、着実に堆肥で土を育てれば、どこでも食べ物を育てることができた。
著者はかつて、テネシー州の粘土質の裏庭で桃の木を1本植えるのに15〜20分かかった。地面が硬すぎたのだ。ある春、大型の耕耘機(ロータリーティラー)をレンタルし、40ドル(約6,000円)とガソリンと歯がガタガタになるほどの振動を代償に、なんとか畑を開いた。ガソリンなしで同じことができないか。そう考えた末にたどり着いたのが、手道具への回帰だった。

ここで日本の伝統農具との対応関係を見ておくと興味深い。グラブホーに相当するのは日本の「唐鍬」(とうぐわ)だ。ブロードフォークに近い機能を持つのは「備中鍬」(びっちゅうぐわ)。大鎌は日本の「草刈り鎌」に、マチェーテは「鉈」(なた)にほぼ対応する。著者が強調する道具選びの原則——プラスチック製を避けよ、ガジェットを疑え、鍛造品を選べ——は、日本の鍛冶職人が作る打刃物にそのまま当てはまる。


著者は「道具の供給も危機時には途絶える」と警告する。良い道具を今のうちに確保し、使い方を習熟しておくことが、将来の保険になる。ホームセンターで今日買える鍬と鎌と鋤が、やがて手に入らなくなる日が来るかもしれない。その日が来ないことを祈りつつ、備えることに害はない。
5. 雨水と尿——もっとも原始的で、もっとも確実な資源
水が鍵でないとしても、少なくとも点火装置であり、ガソリンタンクであり、シャーシであり、ピストンであり、オルタネーターだ。水なしに生命は機能しない。
著者の近所にジェイクという農夫がいた。石炭のように日焼けし、白い帽子をかぶり、カウボーイのような風貌の男だ。サツマイモ、トウモロコシ、スイカ、ササゲを、灌漑設備なしで育てていた。「どうやって管理しているのか」と尋ねると、ジェイクは微笑んでこう答えた。「神様が降らせてくれる雨だけで育てている。息子が牧師でね。主に献金すれば、ちょうど必要な雨が降るんだ」。

ジェイクの成功の秘密は献金ではなく、観察にあった。作物間のスペースを約90センチ(3フィート)と広くとり、根の競争を減らしていた。広い間隔は密植に比べてカロリー密度が下がるが、灌漑なしでも作物が自力で水を探し当てる余地を与える。トウモロコシの根は地下2メートル以上に到達する。根に十分なスペースがあれば、降雨だけで生きていける品種は少なくない。
灌漑インフラが使えない状況での水確保について、著者は段階的な対策を示す。まず雨水タンク。著者は中古のバレルを16ドル(約2,400円)で購入し、シリコンと真鍮の蛇口を取りつけた。屋根は強力な集水装置で、少しの雨でもタンクはすぐ満杯になる。次にダブルディグ(二重掘り)による保水。深く耕された土は空隙が多く、雨水をスポンジのように吸収する。さらにダストマルチ(表土のほぐし)。大雨の後に地表を軽く鍬で崩すと毛細管現象が断たれ、水分の蒸発が抑えられる。
日本は年間降水量が約1,700ミリと世界平均の約2倍あり、灌漑は相対的に小さな問題だ。深刻なのは肥料だ。
著者は化学肥料と有機肥料の「どちらが正しいか」という論争を、こう一蹴する。「手に入るものを使え」。有機肥料が理想的だが、大面積に堆肥を十分に行き渡らせるのは現実問題として困難だ。一方、化学肥料は小さなスペースに大量の養分を蓄えられる。著者は両方を備蓄していると明言する。教義的な「有機」へのこだわりと、家族の飢餓を天秤にかければ、答えは自明だ。
そして、著者が最も率直に推奨する肥料がある。尿だ。NPK値(窒素・リン・カリウムの比率)はおおよそ15-1-2で、市販の窒素肥料に匹敵する。水で6〜10倍に希釈して散布する。無料で、ほぼ無尽蔵で、感染症の極めて稀な例外を除けば排出直後は無菌だ。
〈石油備蓄8ヶ月 vs 肥料備蓄ゼロ〉で指摘した肥料供給途絶の構造は、個人レベルでは尿・堆肥・緑肥の「三本柱」で部分的に代替できる。日本には「下肥」(しもごえ)という人糞肥料の伝統が明治期まで広く存在した。文化的抵抗感はあるだろうが、化学肥料が届かない世界では、最も合理的な選択肢の一つとなる。

6. 輪作5年計画と生垣の思想
虫を全滅させたいのではない。虫の数を劇的に増やしたいのだ。
農薬が手に入らない世界で害虫とどう向き合うか。著者の回答は逆説的だ。虫を減らすのではなく、増やせ。

論理はこうだ。害虫は捕食者よりも繁殖が速い。だが捕食者(テントウムシ、クモ、スズメバチ、トンボ、カエル)が生息できる環境があれば、害虫の個体数は自然に制御される。問題は、きれいに整備された菜園には捕食者が住む場所がないことだ。裸の土、整然とした列、単一品種の植え付け——自然界にはそんな風景は存在しない。
著者はスズメバチの巣を意図的に残し、菜園の柵にメールボックスを並べて巣を作らせた。木材に穴を空けて独居蜂の産卵場所を提供した。菜園の合間にバラ、マリーゴールド、食用ハイビスカス、ラズベリーを混植した。結果、毛虫の被害はほぼ消えた。これは「散らかった生態系」の意図的な構築であり、中央集権的な管理(農薬散布)とは対極の発想だ。
輪作もまた重要な害虫管理手段だ。著者は科(ファミリー)単位での5年ローテーションを提案する。1年目にマメ科、2年目にイネ科、3年目にナス科、4年目にキク科、5年目にウリ科。同じ科の作物を同じ場所で連作すると、特定の害虫や病原菌が土壌に蓄積される。科を変えることで、害虫のライフサイクルを断ち切る。
聖書の「安息年」(7年に1度、土地を休ませよ)の知恵もここで引用されている。実際にフロリダ大学の農業研究施設でも、テスト区画を草地に戻して休ませることが行われていた。土地が休む間に菌類やバクテリアが有機物を分解し、土壌の養分が回復する。著者はこれに加えて「鶏の輪作」を推奨する。鶏は害虫を食べ、糞で土壌を肥やし、爪で表土を耕す。生きた耕耘機であり、肥料散布機であり、害虫駆除装置だ。
日本の里山文化は、この「散らかった生態系」を何百年もかけて洗練してきた伝統だ。田畑の縁に雑木林を残し、水路にメダカが泳ぎ、畦道にレンゲソウが咲く——あの風景は美しいだけでなく、構造的に害虫を抑制する仕組みだった。著者はそれをアメリカの文脈で再発見している。

7. 冷蔵庫が止まった日のための4つの保存法
発酵のいいところは、キャベツと塩で始めて酢のブライン(漬け汁)ができてしまうことだ。自然がやってくれる。かなり素晴らしい。
収穫しただけでは食糧安全保障にならない。収穫を冬と不作の年を超えて維持できなければ、綱渡りは続く。著者は4つのローテク保存法を体系的に解説する。
缶詰保存。メイソンジャー(気密性の高い保存瓶)に食品を詰め、加熱殺菌して真空密封する方法だ。酸性の食品(ジャム、ピクルス、トマトソース)は沸騰水浴で処理できるが、低酸性の食品(インゲン、ジャガイモ、肉類)には圧力釜が必要だ。ボツリヌス菌の胞子は100度では死なず、約120度(圧力釜内の温度)で初めて不活化される。この区別を誤ると命に関わる。著者は『ボール・コンプリート・ブック・オブ・ホーム・プリザービング』(Ball Complete Book of Home Preserving)を推奨している。
乾燥保存。水分を除去して微生物の繁殖を止める最古の保存法だ。電気式脱水機が使えない場合、著者は窓用の金網をフレームに張ったソーラー乾燥機を自作した。問題は湿度の高い気候で乾燥が遅く、途中で腐敗するリスクがあることだ。著者のフロリダでは「3日待ってブルーベリーが乾く直前に大雨が降り、すべて台無し」という経験が語られている。
発酵保存。著者が最も熱意を込めて語る方法だ。ザワークラウト(乳酸発酵キャベツ)の作り方は驚くほど単純だ。キャベツを刻み、塩を振り、食品グレードのバケツに入れ、皿で重しをし、布を被せて2週間待つ。塩が腐敗菌を抑え、空気中の乳酸菌がキャベツの糖を発酵させて酸性の漬け汁を作る。結果として生まれるのは、生きた微生物を含む健康食品であり、数ヶ月保存がきく非常食だ。

ここで日本の読者は気づくだろう。味噌、醤油、漬物、甘酒、納豆——日本の発酵文化はこの分野で圧倒的な蓄積を持っている。切り干し大根、干し柿、干物——乾燥保存もまた、日本の台所に深く根づいた技術だ。著者がフロリダの裏庭で再発見したことの多くを、日本の祖母たちは日常的に実践してきた。発酵食品を自分の手で仕込むことは、並行社会構築のもっとも身近で具体的な一歩でもある。
蒸留。著者は酒類の密造が連邦法違反であることを繰り返し念押ししつつ、妻の圧力鍋を蒸留器に改造する方法を図解入りで説明している。蒸留酒は無期限に保存でき、消毒・燃料・交換財として危機時に極めて高い価値を持つ。この実利的な態度——法的に認められた範囲で知識は持っておけ——が著者の一貫したスタンスだ。
8. 今日から始める日本型サバイバルガーデン
園芸の成功の鍵は、練習、忍耐、実験だ。今すぐ始めよ。いくつかの方法を試せ。そうすれば成功が見つかる。
原著はフロリダの砂質土壌とアメリカの住宅事情を前提に書かれている。では、日本の気候と住環境でこの哲学をどう実装するか。

まず気候の類似性を確認しておく。著者が暮らしたフロリダ中北部(USDAゾーン8〜9)と九州北部は、年間平均気温、降水パターン、湿度において驚くほど近い。温暖湿潤で、夏は高温多湿、冬は温暖で短い。フロリダのサツマイモ栽培の知見は、九州にほぼそのまま転用できる。
日本のサバイバル作物を優先度順に整理すると、次のようになる。
カロリーの柱(最優先)。
サツマイモ(カロリー密度が高く、やせた土でも育ち、葉も食べられる)。
ジャガイモ(春と秋の二期作が可能。冷涼地では特に有利)。
里芋(日陰にも耐え、多湿を好む。日本の気候に最適化された作物)。
カボチャ(保存性に優れ、半年以上もつ品種がある)。
栄養と持続性の柱(次順位)。
大豆(タンパク質源。味噌・醤油・豆腐の原料。窒素固定で土壌改良にもなる)。
大根・カブ(生育が速く、厳寒期以外ほぼ通年栽培可能。葉も食べられる)。
ニンニク(保存性に優れ、抗菌作用。秋植え春収穫で手間がかからない)。
ネギ(ほぼ通年収穫可能な万能野菜。分けつで増殖)。
ビタミンと生活の質。
小松菜・ほうれん草(冬場の葉物として不可欠。霜に当たると甘みが増す)。
唐辛子(保存性に優れ、少量で料理の質を劇的に変える。著者も「生存に必須ではないが、生活を人間らしくする」と認めている)。
マンション住まいの場合はどうするか。ベランダのプランターでサツマイモを育てることは可能だ。大型のプランター(深さ30センチ以上)に蔓を植え、日当たりさえ確保できれば秋には収穫できる。ニンニクとネギは小さな鉢でも育つ。ラディッシュは最短28日で収穫に至る。「完全自給」は無理でも、「食糧を生産する経験」を身につけることの価値は計り知れない。

市民農園は平時の練習場としては有力な選択肢だ。多くの自治体が年間数千円で区画を貸し出しており、3坪(約10㎡)もあればジャガイモ、サツマイモ、大根、カブを同時に栽培できる。ただし、食糧難が深刻化した局面では、自宅から離れた無人の区画は盗難リスクと隣り合わせになる。終戦直後の日本でも、畑の作物を夜間に抜かれる被害は日常だった。市民農園で栽培技術を身につけつつ、収穫物の本命は自宅敷地内——屋上、庭先、ベランダ、窓際——に据えるのが現実的だ。技術の習得と生産の場所は、必ずしも同じでなくてよい。
終戦直後の記録が教えるもう一つの教訓がある。飢餓が深刻化した局面で作物を守れたのは、頑丈な柵を持つ農家ではなく、隣人との関係を持つ農家だった。囲いは壊される。番人は眠る。だが「あの畑は誰々さんの畑だ」という認識が近隣に共有されているとき、盗みの心理的障壁は格段に上がる。顔の見える関係のなかでは、匿名の犯行が成立しにくい。
逆に言えば、誰のものかわからない畑、誰が使っているかも知られていない区画は、飢えた人間にとって「持ち主のいない食糧」に見える。市民農園を使うなら、隣の区画の利用者と顔見知りになり、互いの作物を気にかけ合う関係を先に育てておくことだ。防犯カメラは電力が止まれば沈黙する。人間関係は停電しない。
市民農園にはもう一つの機能がある。危機の予感を共有する人間同士が、自然な文脈で出会える場になりうることだ。職場や地域の集まりで「食糧備蓄」や「エネルギー途絶」を口にすれば、たいていは奇異の目で見られる。だが隣の区画で真剣に土を耕している人間は、少なくとも「自分の手で食べ物を作る」という判断をすでに下している。言葉にせずとも、行動が思想を語っている。同じ畑に通ううちに交わされる何気ない会話——品種の選び方、堆肥の作り方、保存の工夫——は、やがて種子の交換、収穫物の融通、道具の共有へと発展しうる。
それは意図せずして相互扶助の回路が立ち上がる過程であり、市民農園が単なる技術習得の場から、危機に備える小さな共同体の苗床へと変わる瞬間でもある。並行社会の最小単位は、隣り合う二つの畑の間に生まれる。

備蓄の次のフェーズ——生産する側に回る
一本のわらから革命は始まると信じている。
ここまで、構造の分析を行ってきた。ホルムズ海峡の封鎖が暴いた肥料備蓄ゼロの断層。ナフサ供給途絶がもたらす石油化学コンビナートの停止。保険市場の信頼蒸発が海運を止めるメカニズム。これらはすべて「マクロの構造」の話だ。個人が石油備蓄政策を変えることはできない。12のP&Iクラブの寡占構造を解体することもできない。
だが、庭に種を蒔くことはできる。
デヴィッド・ザ・グッドの本から学ぶべき最大の教訓は、特定の作物の育て方でも、特定の道具の使い方でもない。それは「食糧の生産を、専門家と制度に全面委任することをやめよ」という哲学だ。スーパーマーケットの棚に並ぶ野菜は、中東の石油で作られた肥料と、ホルムズ海峡を通るタンカーと、ロンドンの保険会社の信用格付けの上に成り立っている。そのサプライチェーンのどこか一箇所が切れれば、棚は空になる。
「趣味の園芸」という言葉がある。だがホルムズが封鎖された今、庭のプランターで育つサツマイモの蔓は趣味ではなく保険だ。ベランダのニンニクは娯楽ではなくインフラだ。一人ひとりの菜園は小さい。だが数十万人が同時に始めれば、それは分散型の食糧安全保障になる。
並行社会の構築は、抽象的な理念ではない。既存システム(スーパーマーケット、化学肥料、グローバル物流)との完全な離脱を意味するものでもない。それは「横に」もう一つの食糧生産能力を構築していく段階的な実践だ。今日、種を一粒蒔く。来週、鍬を一本買う。来月、市民農園の一区画を借りる。秋に、サツマイモを掘る。冬に、味噌を仕込む。それぞれは小さな行為だが、積み重なれば自律性の回復になる。
「専門家に任せよ」という言説は、あらゆる分野で脆弱性の源泉となってきた。医療を医師に任せ、教育を学校に任せ、食糧を農業企業に任せ、金融を銀行に任せた結果、個人はそのすべてにおいて無力になった。この構造を逆転させる最も具体的な一歩が、自分の手で食べるものを育てることだ。
著者は本書の末尾でこう書いている。「自分の食糧を育てる方法を知ることは、あなたが学べる最高の技術の一つであり、子どもたちに伝えられる最良の教訓の一つだ」。温かい土の中から自分の手でニンジンを引き抜く行為は、百万の危機を生き延びてきた伝統と、あなたの手をつなぐ。
株式市場の暴落や遠い国のテロ攻撃は、何千カロリーものジャガイモを前にすれば、少しだけ遠くなる。
今日、種を蒔こう。

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