オイルショックと食料危機:飢餓の時代に隣人は敵か味方か——災害が暴く人間の本性
危機が続く間、人々は互いを愛した。
個人は死んだ。社会的な自己が支配した。たとえ新しい街で四方の壁がふたたび私たちを閉じ込めても、もう二度と、隣人から切り離されたあの古い孤独を感じることはないだろう。
現代社会が個人の共同体への帰属という基本的人間的欲求を満たすことに失敗している——この失敗こそが、災害が社会的ユートピアになる唯一の理由だ。
1906年4月18日、サンフランシスコ大地震の直後。美容師のアンナ・ホルスハウザー(Anna Amelia Holshouser)は、ゴールデンゲートパークで毛布と絨毯と敷布を縫い合わせて22人を収容するテントを建て、ブリキ缶1つとパイ皿1枚で数百人に食事を提供し始めた。金銭は無意味になった。誰も対価を求めなかった。見知らぬ者同士が家族のように振る舞った。

120年後のいま、ホルムズ海峡の封鎖が日本の食料供給を脅かしている。肥料自給率ゼロ、肥料備蓄ゼロ。多くの人がスーパーの棚を見つめながら、「何を買い溜めすべきか」と検索している。だがその問い自体が、決定的に重要な何かを見落としている可能性がある。
レベッカ・ソルニットが120年分の災害記録から掘り起こした発見は、備蓄リストのどこにも書かれていない。それは、人間が危機に直面したとき、大多数は略奪に走るのではなく、助け合うという事実だ。そして災害を本当に悪化させるのは、市民のパニックではなく、市民をパニック状態にあると「信じた」権力者のパニックだという事実である。食料危機が現実のものとなりつつある今、缶詰を積み上げる前に読むべき一冊がある。
著者・書籍紹介
レベッカ・ソルニット(Rebecca Solnit)。1961年生まれ、サンフランシスコ在住の作家・歴史家・活動家。風景、歩行、都市、政治、フェミニズムを横断する20冊以上の著作で知られる。代表作に『ウォークス:歩くことの精神史(Wanderlust: A History of Walking)』(2000年)、『暗闇のなかの希望(Hope in the Dark)』(2004年)、『説教したがる男たち(Men Explain Things to Me)』(2014年)などがあり、邦訳も複数出版されている。

本書『災害ユートピア:なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか(A Paradise Built in Hell: The Extraordinary Communities That Arise in Disasters)』(Viking, 2009年)は、ソルニットが1989年のロマ・プリータ地震で感じた「不思議な喜び」を出発点に、5つの大災害を精査した作品である。1906年サンフランシスコ地震、1917年ハリファックス大爆発、1985年メキシコシティ地震、2001年9月11日のニューヨーク、2005年ハリケーン・カトリーナ。いずれの災害でも、市民は自発的に相互扶助の共同体を形成した。日本では2020年に亜紀書房から高月園子訳で刊行されている。
災害社会学の実証研究とジャーナリスティックな取材を融合し、災害を社会変革の可能性と接続した点で、ピョートル・クロポトキン(Peter Kropotkin)の『相互扶助論(Mutual Aid: A Factor of Evolution)』(1902年)の現代的更新とも評される。本書がいま読まれるべき理由は明白だ。ホルムズ封鎖による食料危機が進行する中、「危機のとき人間はどう振る舞うか」は、もはや知的好奇心の問いではない。数週間後の私たち自身の問いである。
1. 貨幣が無意味になった街で人々は何をしたか
その底にあるのは新しい音色、静かに泡立つ喜びだ。千年紀の善意。すべての大脱出のなかで、誰もがあなたの友であり、あなたもまた誰にとっても友だった。
1906年4月18日午前5時12分、約1分間の激しい揺れがサンフランシスコを引き裂いた。建物は倒壊し、水道管とガス管が破裂し、3日間の大火災が続いた。市の半分近く、28,000棟以上の建造物が灰になった。約3,000人が死亡し、人口40万の半数以上が家を失った。
だがソルニットが本書で発掘するのは、瓦礫の中から立ち上がった市民の行動記録だ。
ホルスハウザーの台所は瞬く間に地域の社交の中心地となり、1日200〜300人に食事を提供した。だが彼女の台所は一つの例にすぎない。街のいたるところで、損壊した建物からストーブが引きずり出され(ガス漏れの危険があったため屋内での火の使用は禁じられていた)、瓦礫で即席のかまどが組まれ、人々は見知らぬ者同士のために料理を始めた。

オーク通りでは数人の女性が「オイスター・ローフ(The Oyster Loaf)」と「シャノワール(Chat Noir)」という二つの小屋を営んだ。ジェファーソン広場の掘っ立て小屋には「歓楽の家(The House of Mirth)」の看板が掲げられ、「蒸気暖房・エレベーター付き貸室あり」と冗談が添えられた。「ホフマンズ・カフェ」の壁には「元気を出せ、一杯おごるよ」と書かれていた。
最も有名な看板は「食え、飲め、陽気であれ。明日はオークランドに行かなきゃならんかもしれないんだから」だった。粗末なテントや板切れの小屋が、贈与経済と笑いの社交場に変貌した。市の半分が灰になったその同じ週に、婚姻届の手数料収入が例年の同月を大幅に上回ったと、結婚許可証の係員が証言している。

シュミット巡査の一家も同じだった。妻と二人の娘が公園の一角に巨大な洗濯用鍋を据え、難民のためのシチューやコーヒーを昼夜問わず作り続けた。近所の食料品店主は初日にすべての在庫を無償で提供した。大手食肉卸のミラー&ラックス社は、牛300頭分、羊600頭分の肉を一切代金を受け取らずに配布した。オーナーの最初の指示は「黒人にも白人にも黄色人種にも、まったく同じに扱え」だった。
なぜ食肉業者は利益を放棄したのか。ソルニットはこう記す。ホルスハウザー夫人やシュミット夫人がなぜ公共のキッチンを開いて隣人に食べさせたかに説明が不要だったのと同様に、レディ(食肉業者の支配人)も財産に相当する食料を無償で配る理由を必要としなかった。「それがすべきことだった」のだ。
ジャーナリストのジェイコブソンは、地震の11日後にこの「不思議な喜び」を新聞記事にした。彼女自身もすべてを失ったが、オークランドで新しい服を買おうとして踏みとどまった。服を買えばトランクが必要になる。トランクを運ぶには人を雇わなければならない。それは「古い永続性への部分的な回帰」を意味した。つまり、階級の分断が戻ってくる。
彼女は書いた。「あまりにもすぐに、排他性の光輪は戻ってくるだろう。あまりにも短い、この包摂性の治世は」。地震が生み出した贈与経済、身分の溶解、見知らぬ者同士の親密さ。それは一時的だった。だがジェイコブソンは、その一時的な経験が何か「永続的なもの」を残したと確信していた。彼女はそれを「他者のなかの喜び(the joy in the other fellow)」と呼んだ。
「日本人は災害時に秩序正しい」。阪神大震災以来、この言説は繰り返されてきた。だがソルニットの記録が示すのは、それは日本の美徳ではなく人類の本性だということだ。サンフランシスコでもハリファックスでもロンドンでもニューヨークでも、同じパターンが反復する。市民はパニックに陥らない。助け合う。見知らぬ者を家族のように扱う。災害社会学者たちは半世紀以上にわたってこの事実を実証してきた。だがメディアと権力者は、なぜかその事実を信じない。
2. パニックを起こすのは市民ではなく権力者である——災害社会学100年の結論
エリートは社会秩序の撹乱を恐れ、自らの正統性への挑戦を恐れる。
1906年サンフランシスコ。市民がミズパ・カフェで食事を分かち合い、ジェイコブソンが「千年紀の善意」を記録しているその同じ街で、もう一つのまったく異なる物語が進行していた。
プレシディオ軍事基地の准将フレデリック・ファンストン(Frederick Funston)は、議会の承認も、市長の正式な要請もないまま、軍隊を市内に展開させた。市民の大半は戒厳令が敷かれたと信じたが、実際には戒厳令は発令されていなかった。市長ユージン・シュミッツ(Eugene Schmitz)は、「略奪またはその他の犯罪に従事しているすべての者を射殺する」という布告を市中に貼り出した。
ソルニットが「エリートパニック」と呼ぶ現象は、ここから始まる。

コロラド大学自然災害センター所長のキャスリーン・ティアニー(Kathleen Tierney)は、この概念を体系化した災害社会学者の一人だ。彼女の定義は明快である。エリートパニックの構成要素は「社会秩序の崩壊への恐怖、貧困層・マイノリティ・移民への恐怖、略奪と財産犯罪への執着、致死的武力の行使への意欲、そして噂に基づく行動」。ティアニーはこの概念を2005年のカトリーナ直後に発表した。だが構造は99年前とまったく同じだった。
ルイジアナ州知事キャスリーン・ブランコ(Kathleen Blanco)はテレビカメラの前でこう宣言した。「この兵士たちはM16を持っています。装填済みです。必要とあらば射殺します。喜んで」。ニューオーリンズ市長レイ・ネイギン(Ray Nagin)はスーパードームで「何百人ものギャングメンバー」がレイプや殺人を行っていると語った。
ところがこれらはほぼすべて虚偽だった。
スーパードームの死者は6名。うち4名は自然死、1名は自殺だった。「数百体の遺体」は存在しなかった。「大量レイプ」の確認された事例はゼロだった。CNNは「暴走するギャングが街を支配している」と報じたが、後にこれらの報道は撤回された。ニューオーリンズ市警のダマス・カーター(Dumas Carter)巡査は、コンベンションセンターの2万人について後にこう証言している。「4日目のこの時点で、この人たちは疲れ果てて、喉が渇いて、腹が減って、暴動を起こそうにも芝生の椅子一つひっくり返せる状態じゃなかった」。

問題は虚偽の報道だけではない。この虚偽が実際の政策を動かしたことだ。8月31日、ネイギン市長とブランコ知事は救助活動中の警察と州兵を「略奪対策」に転用する命令を出した。人命救助より財産保護を優先したのだ。FEMAはボランティア救助隊を追い返し、物資トラックを拒否し、アムトラックの列車が避難者を運ぶことすら阻止した。「安全でない」というのがその理由だった。
災害社会学の創始者の一人であるエンリコ・クァランテリ(Enrico Quarantelli)は、1954年の修士論文でパニックの事例を探し、こう結論した。「パニックの事例を見つけようとしたが、見つからなかった」。その後の半世紀で700以上の災害が調査され、結論は一貫している。市民のパニックは「消えるほど稀な現象」だとクァランテリは述べる。恐怖を感じることと、恐怖によって不合理に行動することは、まったく別の事象なのだ。
ラトガーズ大学教授のリー・クラーク(Lee Clarke)はこの力学を「エリートパニック」と命名した共著者の一人だ。彼はこう説明する。「エリートパニックが一般のパニックと異なるのは、エリートがパニックの対象とするのは、私たち一般市民がパニックを起こす可能性だという点だ。彼らは権力の座にいるから、情報を握りつぶし、リソースを動かし、結果としてより大きな危険を生み出す」。
日本の読者は「日本では暴動が起きないから関係ない」と思うかもしれない。だがエリートパニックは暴動の有無とは無関係に作動する。1923年の関東大震災を思い出してほしい。朝鮮人が井戸に毒を入れたという流言が広がり、自警団が数千人を虐殺した。これはまさにエリートパニックの典型的構造だ。流言、恐怖、自警行為、そして権力者の黙認または加担。
2020年のロックダウンもまた、同じ構造を持っていた。「市民は感染拡大を止められない」という前提に基づき、行動の自由が制限された。本当に危険だったのは市民の行動だったのか。それとも市民を信頼できないと決めつけた制度的反射だったのか。ソルニットの記録は、120年分の証拠でこの問いに答えている。
3. 日常こそが災害——60年間埋もれていた社会学者の発見
災害は、過去と未来に結びついた心配、抑制、不安からの一時的な解放を提供する。なぜなら災害は、現在の現実という文脈のなかで、瞬間ごとの、日ごとの必要に全注意力を集中させるからだ。
ここに本書の最もラディカルな知的核心がある。
チャールズ・E・フリッツ(Charles E. Fritz)は第二次大戦中にイギリスに駐留した米陸軍航空隊の大尉だった。1943年から1946年、爆撃下のイギリスに到着した彼は、疲弊し、怯え、士気を失った国民を見つけるはずだった。代わりに見つけたのは「輝かしく幸福な国民」だった。「人生を最大限に楽しみ、真に驚くべき陽気さと生への愛を示していた」と彼は後に書いている。

戦後、フリッツはシカゴ大学で災害研究プロジェクトの副所長となり、1950年代を通じて体系的な調査を指揮した。そして1961年、彼は常識をひっくり返す論文を書いた。だがこの論文は出版されなかった。35年間、大学の抽斗の中に眠り続け、1996年にようやく大学の研究報告として公開された。世界はそれに気づかなかった。
フリッツの主張の核心をかみ砕くと、こうなる。私たちは「正常な日常」と「異常な災害」を対比する。だがこの対比自体が誤りだ。日常生活はすでに一種の災害なのだ。孤立、疎外、無意味感、帰属の喪失。現代社会がこれらの「恒常的ストレス」を生み出し続けている事実を、「正常」と「災害」の伝統的な対比はつねに無視する。
フリッツは書いた。「災害は日常の制度化されたパターンを破壊する社会的ショックを提供し、人々を社会的・個人的な変化に対して柔軟にする」。たとえるなら、私たちは普段、見えない檻の中にいる。仕事、通勤、消費、競争というルーティンの檻。災害はその檻を壊す。壊された瞬間、人々は「自由に交流し、妨げられない社会的適応を行う」ことが可能になる。そしてそのとき現れるのは混沌ではなく、秩序だ。ただし、上から押しつけられた秩序ではなく、下から自発的に生まれた秩序。
ここで鋭い逆説が浮かび上がる。災害がもたらす「悲惨のなかの喜び」は、災害が何かを与えたのではなく、日常が奪っていたものを一時的に返したにすぎない。人間には帰属の欲求がある。目的の欲求がある。互いに必要とされる欲求がある。日常の制度——競争的な経済、官僚的な組織、私的生活への閉じ込め——は、これらの欲求を体系的に満たさない。災害はその抑圧装置を一時的に停止させる。だから人は災害のなかで、奇妙にも、生き生きとするのだ。
この逆説は、いまの食料危機の文脈で決定的な意味を持つ。備蓄主義とは何か。フリッツの枠組みで見れば、それは「日常の災害」——グローバルサプライチェーンへの無自覚な依存、近隣からの断絶、共同体の不在——をそのまま温存した上で、突発的災害にだけ備える行為だ。缶詰100個は、スーパーの棚を自宅の棚に移動しただけで、依存構造そのものは1ミリも変わっていない。
日本の「無縁社会」「孤独死」は、フリッツが1961年に記述した「日常の災害」そのものだ。65歳以上の単身世帯は700万を超え、孤独死は年間推計約3万人。食料危機が到来したとき、最も危険にさらされるのは、缶詰を持っていない人ではない。隣人の名前を知らない人だ。
1995年のシカゴ熱波で700人以上が死亡したとき、社会学者エリック・クリネンバーグ(Eric Klinenberg)は決定的な発見をした。隣接する二つの貧困地区で、ラティーノ地区の死亡率はアフリカ系アメリカ人地区の10分の1だった。所得は同程度。違いは社会的つながりの密度だけだった。
4. 「地震が母の内側を揺さぶり続けた」——災害が永続的社会変革を生んだとき
お母さん、地震が母さんの内側で揺れ続けているんだね。
5つの災害のうち、ソルニットが「災害ユートピアが永続した」と評価する事例が一つだけある。1985年のメキシコシティ地震だ。
9月19日午前7時19分、2分間の揺れがメキシコシティを引き裂いた。腐敗した政権下で手抜き工事の横行した建物が次々と崩壊した。死者は推定1万から2万人。80万人が一夜にして住む場所を失った。

だが真に重要なのは、その後に起きたことだ。大統領ミゲル・デ・ラ・マドリ(Miguel de la Madrid)はテレビ演説まで丸一日以上を要し、その内容は「経済のマクロ指標」に終始した。市民の救出にも食料配給にも、政府はほぼ何もしなかった。警察は救助ではなく「略奪防止」のために配備され、ある工場では経営者が閉じ込められた女性労働者の救出より機械の搬出を優先し、警察がそれを護衛した。
裁縫師のマリソル・エルナンデス(Marisol Hernandez)はその朝、息子を保育園に預ける途中だった。職場の繊維工場地区ピノ・スアレスに向かった彼女が見たのは、完全に崩壊した街並みだった。推定1,600人の女性繊維労働者が瓦礫の下で死んだ。だが経営者たちは行方をくらました。法律で義務づけられた賃金も退職金も支払わずに。
このとき、何かが変わった。裁縫師たちは工場跡地で24時間体制の座り込みを始めた。経営者の自宅に押しかけ、「指名手配:この工場のオーナー」と書いたビラを撒いた。メキシコ近代史上初の独立した女性主導の労働組合が誕生した。
同時に、倒壊した巨大集合住宅トラテロルコの住民たちが住宅権運動を立ち上げた。テピート地区の住民組織は150以上の団体と連携し、情報と物資のネットワークを構築した。若い男たちは「ブリガディスタ」(志願救助隊員)として瓦礫に潜り、警官や兵士が何もしない間に命を救った。ある若いブリガディスタはこう語る。「匿名の人間であることが、こんなにも大きな満足を与えてくれると知った」。

メキシコの政治活動家グスタボ・エステバ(Gustavo Esteva)はこう断言する。「1985年以降、この国は変わった。はっきりと確信している」。一党独裁のPRI(制度的革命党)は地震をきっかけに正統性を失い、1988年には野党候補のクアウテモック・カルデナスが大統領選に勝利した(票は操作されたが、二度と覆い隠せない亀裂が入った)。2000年にはPRIの70年支配が終わった。市民社会、つまり政府から独立した草の根の組織とネットワークが、メキシコの政治地図を塗り替えた。
なぜメキシコでは「災害ユートピア」が一過性で終わらなかったのか。ソルニットはいくつかの条件を挙げる。ラテンアメリカの公共生活の伝統。広場や市場を中心とした集いの文化。革命的ロマンティシズムという言語と枠組みの存在。そして何より、「この経験に名前をつけ、保持し、制度化する能力」。
具体的にどういうことか。地震の被災者たちは自らを「ダムニフィカドス(damnificados)」——損なわれた者たち——と呼び、その呼称を権利要求の旗印に変えた。瓦礫に潜って命を救った若者たちは「ブリガディスタ(brigadistas)」と呼ばれ、警官や兵士が何もしない間に市民社会の英雄となった。
エステバが証言するように、地震から数週間後、「私たちは誰なのか」と問われた市民が「我々は市民社会(sociedad civil)だ」と答えた。この言葉は東欧の反体制運動と同時期に、独立した意味でメキシコに出現した。そして裁縫師たちの独立組合は「統一被災者調整委員会(Coordinadora Única de Damnificados)」を結成し、数十万人の住宅権運動を組織した。経験が言葉を得て、言葉が組織を生み、組織が制度を変えた。

エルナンデスの息子が母親の変貌を「地震がまだ内側で揺れ続けている」と表現したとき、少年は比喩の力で、社会全体が経験した変容の個人版を言語化していた。メキシコの市民たちは、集団的にも同じことをやってのけたのだ。
ここに日本の致命的な欠落がある。阪神大震災の「ボランティア元年」。東日本大震災の「絆」。能登半島地震の「共助」。いずれも災害後に現れた市民の力を指す言葉だが、それを恒常的な社会変革の資源として位置づける回路がない。「感動的な美談」として消費され、日常が戻れば蒸発する。ソルニットの言葉を借りれば、「言語がなければ保持できない」のだ。
5. 連帯であって慈善ではない——カトリーナ後に生まれた対抗的共同体
ロバート・キング・ウィルカーソンが言った。「分裂させるのは些細な違いだ。共通の土台を見つけなければ」
2005年8月29日、ハリケーン・カトリーナがメキシコ湾岸を直撃した。ニューオーリンズでは堤防が決壊し、市の80%が水没した。1,600人以上が死亡し、数十万人が避難を余儀なくされた。だがソルニットが本書の最終章で描くのは、嵐そのものではない。嵐の後に起きた「二つの災害」だ。一つは水と風の災害。もう一つは恐怖と偏見の災害。

前章までの分析が示したエリートパニックは、カトリーナで極限に達した。ブランコ知事の「撃って殺す」宣言。救助から略奪対策への資源転換。グレトナ橋の封鎖——コンベンションセンターの数万人は、橋を渡れば安全な対岸に徒歩で到達できた。だが武装した保安官が銃を発砲して追い返した。ニューオーリンズは避難先ではなく、事実上の監獄となった。
ソルニットはこの惨劇のただ中から生まれた組織「コモン・グラウンド」(Common Ground)の物語を丹念に追う。創設者は元ブラック・パンサー党員のマリク・ラヒム(Malik Rahim)。嵐の直後、アルジャーズ・ポイント地区で白人自警団が黒人男性を銃撃し始めたとき、ラヒムはテキサスの白人活動家スコット・クロウ(Scott Crow)とブランドン・ダービー(Brandon Darby)に助けを求めた。元政治犯のロバート・キング・ウィルカーソン(Robert King Wilkerson)を含む5人がラヒムの台所のテーブルに座り、組織の名前を決めた。
「私が20ドル出して、シャロンが30ドル出した。それでコモン・グラウンドの資金にした」とラヒムは語る。この50ドルが、やがて数百万ドルを動かす組織に成長する。

カトリーナ後のコモン・グラウンドの医療クリニック活動写真
9月5日に設立、9月9日に救急ステーションを開設、3週間後には本格的な医療クリニックに移行した。ラヒムはこう説明する。「私がブラック・パンサー党で学んだことがそのまま使えた。食料配布センターは、パンサーがやっていたことそのものだ。救急ステーションも同じだ」。パンサーの「サバイバル・プログラム」——朝食の無料提供、鎌状赤血球症の検査、高齢者の銀行への付き添い——は、かつて治安当局から「破壊活動」と見なされた。カトリーナの後、それはコミュニティの生命線となった。
コモン・グラウンドのスローガンは「連帯であって慈善ではない(Solidarity, Not Charity)」。これは相互扶助と一方的な施しの決定的な違いを示す。慈善は「持つ者」から「持たざる者」への一方通行であり、受け取る側の尊厳を削ぐ。相互扶助は双方向であり、受け取る者と与える者の境界が溶解する。ミッション地区の住民が1906年サンフランシスコで制度化された給食を拒否して自分たちの共同体キッチンを守ったのと同じ原理だ。
そしてここに、備蓄主義への根本的な問いかけがある。コモン・グラウンドが実証したのは、50ドルと技能と関係性で構築された組織が、数十億ドルを受け取ったFEMAよりも迅速に、効果的に、人間的に機能したという事実だ。FEMAの倉庫には物資が山積みのまま腐っていた。赤十字は手袋すら切らしてコモン・グラウンドに電話をかけてきた。州兵は食料と水をコンベンションセンターの群衆の頭上をかすめるように、40フィート(約12m)の高さから投下した。段ボールは地面で弾け、水のボトルは四散した。それでも市民たちは手押し車で食料を回収し、自分たちで分配した。
デニス・ムーア(Denise Moore)という女性の証言が象徴的だ。コンベンションセンターに閉じ込められた彼女は「ギャング」の行動をこう語る。「彼らは武器を持っている者を集めて、女性がレイプされないよう、赤ちゃんが傷つかないよう、老人が守られるよう見張ることに決めた。赤ちゃんのためにジュースを持ってきたのは彼らだった。水の中を歩いてきた人のために服を見つけてきたのも彼らだった。老人たちにうちわで風を送ったのも彼らだった」。報道が描いた「暴徒」の実像は、即興的な相互扶助組織だった。
ミシシッピ州ウェイブランドでは、レインボー・ファミリー(Rainbow Family。1970年代から続く、キャンプ型の共同体生活実践グループ)のメンバーたちが、テキサスの福音派キリスト教団体バストロップ・クリスチャン・アウトリーチ・センターと合流し、1日4,000食を提供した。後者のモットーは「できるかぎりすべての人を愛で包むこと」。前者はヒッピー文化の末裔。通常なら接点のない二つの集団が、危機のなかで完全に機能する共同体を形成した。ソルニットの記録は、危機がアイデンティティの境界を溶かし、共通の目的が文化的差異を凌駕する瞬間を捉えている。

缶詰100個を積む人は、隣人にとって潜在的な競争者だ。だが料理ができる人、配管を直せる人、子どもの面倒を見られる人は、隣人にとって潜在的な協力者になる。技能は物資と違い、分かち合っても減らない。コモン・グラウンドの歴史は、資源の「量」ではなく社会資本の「質」が危機の帰結を決定するという命題の、最も説得力ある実証例である。
6. 肥料自給率ゼロの国で、いま読むべき災害の書
災害は壁に穴を開ける。その穴から、普段は見えないものが見える。日常を取り囲む壁がなくなったとき、その向こうに広がるより広い景色を垣間見ることができる。
ここまで本書が描いた5つの災害を駆け足で辿ってきた。最後に、その射程を2026年3月のいま——ホルムズ封鎖下の食料危機——に延長する。
ソルニットの災害ユートピアは、いずれも「突発的災害」の文脈で発生した。地震は1分、爆発は1秒、テロは数時間、嵐は数日。だが食料危機は異なる。肥料備蓄ゼロ、化学肥料自給率ゼロ、カロリーベース食料自給率38%(肥料依存を考慮すれば実質10〜20%以下)という構造的脆弱性が、数週間から数ヶ月かけて徐々に牙を剥く。「スローモーション災害」だ。
この種の災害でも、ソルニットの枠組みは有効だろうか。本書自身が回答を用意している。アルゼンチンの2001年経済崩壊だ。ある夜、銀行口座が凍結され、中産階級が一夜にして貧困層と同じ地平に立たされた。人々は鍋を叩きながら通りに出た。「怒りで始まったものが、すぐに喜びに変わった。人々は微笑み合い、何かが変わったことを互いに認め合った」とある住民は記録している。「水平主義(horizontalidad)」「主体性(protagonism)」「愛情の政治(politica afectiva)」——新しい現象には新しい言葉が必要だった。物々交換ネットワークと住民集会が、破綻した銀行に取って代わった。

経済災害は自然災害と同じ力学で市民社会を覚醒させうる。ソルニットが描いた先例は明確だ。
だがここで注意深い区別が必要になる。アルゼンチンの市民は、経済崩壊以前からカフェで政治を語り、広場で集い、隣人の名前を知っていた。ラテンアメリカの公共生活の伝統が「社会資本」として蓄積されていた。フリッツの言葉を使えば、「日常の災害」の程度が相対的に軽かった。だから突発的災害が到来したとき、市民社会は即座に立ち上がることができた。
日本はどうか。65歳以上の単身世帯700万超。年間推計3万人の孤独死。近隣住民の名前を知らない世帯が都市部で多数派。フリッツの「日常の災害」は、日本ではすでに深く、広く進行している。食料危機という突発的災害は、この恒常的災害を可視化する触媒にはなりうる。だがそこから相互扶助の共同体が「自然に」立ち上がるかどうかは、平時にどれだけの社会的インフラが築かれているかにかかっている。
イリイチ(Ivan Illich)が「コンヴィヴィアリティ」と呼んだもの——相互依存のなかで各人の自律的行動が最大化される社会的配置——は、缶詰の山の中にはない。それは種子の中にある。発酵技術の中にある。隣人との関係の中にある。備蓄は「完成品」を溜め込む行為であり、消費すれば終わる。生産能力の蓄積は「過程」を編む行為であり、使うほど強くなる。
味噌を仕込める人は、大豆と塩がある限り保存食を作り続けられる。ベランダで葉物野菜を育てられる人は、物流が止まってもカロリーの一部を自前で確保できる。近隣の農家と顔見知りの人は、流通が混乱しても食料にアクセスする別の経路を持っている。これらはいずれも、既存のシステムから完全に離脱するものではない。ベンダ(Václav Benda)が構想した「並行社会」——既存システムと並行して、横に、段階的に、分散的に構築される自律的なネットワーク——の食の実践だ。
備蓄は孤立を深め、技能は関係を生む。この一文がソルニットの本書全体の実践的帰結を凝縮している。
廃墟の中の扉——地獄を通って到達するパラダイス
パラダイスを作ること、それが私たちに与えられた仕事だ。パラダイスの構想はどれも、永遠の休暇のような退屈な場所に聞こえる。意味を作り出す余地がない。地獄の中に建てられたパラダイスは即興的だ。私たちはそれを進みながら発明し、そうすることで力と創造性のすべてが呼び覚まされる。
プラグマティズム(実用主義哲学)の創始者ウィリアム・ジェイムズ(William James)は、1906年サンフランシスコ地震の朝、スタンフォード大学の客員教授としてその場にいた。揺れに対する彼の最初の反応は「純粋な歓喜と歓迎」だったと本人が記している。その後、彼は組織的に市民の心理的反応を聞き取り、二つの発見を報告した。「混沌からの秩序の即興的な創出の速さ」と「普遍的な平静さ」。
だがジェイムズの最も深い貢献は観察ではなく問いにある。「この信念ではなくあの信念が真実であることは、実際に誰にどんな違いをもたらすだろうか」。プラグマティズムの根本的問い。ある信念が「正しい」かどうかではなく、それを信じることが「何を生み出すか」。
この問いを食料危機の文脈に置き直す。
「人間は本質的に利己的だ」と信じれば、備蓄競争に走る。隣人は自分の食料を奪いうる競争者に見える。家の窓を閉め、鍵をかけ、缶詰を数える日々が始まる。ホッブズの世界が自己実現する。
「人間は本質的に協力的だ」と信じれば、隣人の名前を覚え、技能を共有し、種子を交換し、コミュニティ農園を始める。困ったときに頼れるネットワークが厚くなる。クロポトキンの世界が自己実現する。

どちらの信念が「正しい」かは、ジェイムズの問いでは重要ではない。重要なのは、どちらがより良い結果を生むかだ。ソルニットの本書は、1906年から2005年まで120年分の証拠でこの問いに答えている。700以上の災害を調査した社会学者たちが確認したのは、圧倒的多数の人間は助け合うということだ。
だがソルニットは安易な楽観に逃げない。カトリーナの自警団による殺害を丹念に記録し、メディアのデマが実際の政策を動かして人命を奪った過程を追跡する。「エリートパニック」は現実の脅威であり、市民のパニックよりもはるかに致命的だ。人間の善性への信頼は、権力者の悪性への警戒と一対でなければ機能しない。
ホルムズ海峡の封鎖は、第3週に入り終結の見通しは立っていない。戦況は消耗戦化し、ラスラファンのLNG施設やジュベイルの石油化学コンプレックスが物理的攻撃を受けた。肥料供給の断裂は「保険封鎖」の段階から「物理的破壊」の段階に移行しつつある。今後数ヶ月で食料価格の上昇が日本の家計を圧迫し、最悪のシナリオでは数千万人規模の食料不安が顕在化しうる。
その瞬間、あなたの信念が世界を形作る。缶詰を数えるか、隣人に声をかけるか。
ソルニットはこの本の最後にこう書いた。
「パラダイスは到達すべき完成形ではなく、困難に応答する過程そのものだ」。
そしてその過程は、即興的で、混沌として、不完全で、だからこそ私たちの本性を呼び覚ます。
食料を備蓄することは過程ではない。完成品を積む行為だ。食べ終わったら終わる。だが相互扶助のネットワークを編むことは過程だ。使うほど強くなる。
地獄の中の扉は開いている。その向こうに何を建てるかは、まだ私たちの手の中にある。
いいなと思ったら応援しよう!
この投稿が役に立った、面白かった、応援したいと思っていただけましたら、チップでのサポートをいただけると大変励みになります。いただいたチップは今後のコンテンツ制作の糧とさせていただきます。金額に関わらず、あなたの温かいお気持ちが何より嬉しいです。
