なぜ世界はジェノサイドを止められないのか?ガザで起きている儀式的殺戮
"人間は魂によって惹きつけられる。権力によって人は強制される。愛は魂から生まれる。権力によって生み出されるのは不安だけだ"
"供犠は対象の実在的な従属関係を破壊し、それを有用性の世界から引き離して、不可解な気まぐれの世界に回復させる"
講演『悪がいかにして勝利するか』江学勤(Jiang Xueqin) 講師
— Alzhacker (@Alzhacker) September 18, 2025
~悪はなぜ世界を支配するのか?https://t.co/QCBi5bsjTW
➢ 権力構造における儀式的犠牲の機能
➢ 集団結束を生むタブー破りの心理学
➢ 古代から現代まで続く支配技術
「ガザで起きていることは儀式的犠牲である。…
はじめに
毎日ニュースを見ていて、こんな疑問を抱いたことはないだろうか。なぜ世界から暴力や不正義がなくならないのか。なぜ善良な市民の声は届かないのに、一握りの権力者の意思で世界が動いてしまうのか。
そして今、私たちの目の前で起きているガザでの状況を見ながら、多くの人が感じているはずだ。「なぜこれほど明白な残虐行為が、堂々と、世界中が見ている前で続けられるのか」と。隠そうとする素振りさえ見えないのはなぜかと。
実は、この疑問に対する答えは、私たちが想像するよりもはるかに構造的で、歴史的に一貫したパターンがある。古代スパルタから現代に至るまで、権力者たちが使い続けてきた「究極の結束術」が存在する。それは道徳や常識を超越した場所で機能する、恐ろしくも効果的なシステムなのだ。
講義録紹介
本記事は、現代社会の権力構造について極めて挑発的な視点を提示した講義の記録をもとにしている。講師のJiang Xueqin(江学勤)氏による、なぜ世界で悪が横行するのかという根本的問題への考察だ。
この講義は大学の授業として行われたものだが、YouTubeでの検閲を意識せざるを得ないほど論争的な内容を含んでいる。講師自身が「これは真実ではなく、考えるためのツール」だと断りながらも、古代から現代に至る権力の本質について、通常の学術的枠組みを超えた大胆な理論を展開している。
注目すべきは、この講義がスパルタやローマの歴史的事例から始まり、現代の地政学的状況まで一貫した論理で貫いていることだ。学生との対話も活発で、哲学的な深みも併せ持つ内容となっている。
権力の究極原理:なぜタブーを破ることが支配を生むのか
この講義が提示する最も衝撃的な理論は、「transgression(侵犯)」による権力獲得のメカニズムだ。
講師によれば、社会で最も強固な結束を生み出すのは、共通のタブー破りの体験だという。なぜか。それは、タブーを破った瞬間から、その集団は「秘密を守らなければ全員が破滅する」という運命共同体になるからだ。
この理論によれば、タブー侵犯のレベルが高ければ高いほど、集団の結束力は強くなる。なぜなら、より大きな秘密を共有することで、より強固な相互依存関係が生まれるからだ。
実際に歴史を振り返ると、この法則が機能していた例は無数にある。
スパルタが証明した「神聖な暴力」の効果
古代スパルタの教育システムは、この理論の完璧な実例だ。
スパルタの少年たちは5-6歳で家族から引き離され、年上の少年たちによる徹底的な暴力的訓練を受けた。これは現代で言う「ヘイジング(新入生いじめ)」の原型だが、その目的は明確だった。共通の苦痛体験を通じて、絶対的な結束を築くことだ。

さらに注目すべきは卒業試験の内容だった。18歳になったスパルタの青年は、奴隷(ヘロット)を夜間に狩り、喉を掻き切って殺すことを求められた。これは単なる殺人ではない。集団で禁忌を侵犯することで、「聖なる暴力」への参加者となる通過儀礼だった。
この結果、スパルタは他のギリシア都市国家から憎まれたが、内部結束は絶対的だった。300人のスパルタ兵がテルモピュライで数十万のペルシア軍と戦えたのは、この究極の結束システムがあったからだ。
興味深いことに、テーベがスパルタのシステムを改良した「聖なる部隊(Sacred Band)」を作ると、今度はテーベがスパルタを打ち破った。そしてマケドニアのフィリップ2世がこのシステムをさらに発展させると、その息子アレクサンドロス大王がペルシア帝国全体を征服することになる。
現代ガザで起きている「儀式的殺戮」の構造
講師は現代のガザ情勢についても、同じ論理で分析している。
「ガザで本当に起きているのは儀式的犠牲だ」
ガザの人口の47%が18歳未満であることを考えると、現在の攻撃で殺されている人々の大部分は子どもたちだ。講師はこれを、現代版の「人身供犠」として分析している。
注目すべきは、この行為が世界中から見えるように、意図的に公開的に行われていることだ。もしも人口を秘密裏に減らしたいなら、もっと効果的な方法がある。水や空気を汚染すれば、20-30年かけて静かに人口を削減できるはずだ。
しかし、あえて世界中が見ている前で行うのは、「究極のタブー」を犯すことで、イスラエル社会の内部結束を最大化するためだと講師は主張する。
「彼らは世界に憎まれたいのだ。なぜなら、そうすることで究極のタブーを作り出すからだ)」

思想の系譜:カントからヘーゲル、プラトンからダンテまで
講義の後半では、なぜこのような権力システムが機能するのかについて、西洋哲学の巨人たちの理論を使って説明している。
カントの認識論によれば、私たちが見ている現実(現象界)は、真の現実(物自体)に私たちの認識フィルターが加わったものだ。つまり、私たちは決して真の現実を直接知ることはできない。
ヘーゲルはこれを発展させ、真の現実は「精神(Geist)」の世界だとした。物質世界は単なる表面的な現象に過ぎず、本当に重要なのは目に見えない精神的な力だという。
この理論体系の中で、権力者たちの「侵犯」がなぜ効果的なのかが説明される。タブーを破ることで、彼らは通常の道徳的制約から解放され、この精神世界の特定の部分にアクセスできるようになる。それは、通常の人々には近づけない力の源泉だというわけだ。
プラトンは知識の追求を通じて真理(monad)に近づけると説いた。ダンテは愛を通じて神に近づけると主張した。しかし権力者たちは、侵犯を通じて別種の超越的力にアクセスしているのだと講師は分析する。

ゲーム理論が明かす「協力vs協力破り」の現実
講義では、なぜこのシステムが現実に機能してしまうのかを、ゲーム理論でも説明している。
100万人が参加するゲームで勝利するには、ルールを守っていては不可能だ。勝者は必ず何らかの形で「チート(不正)」をしている。
最も効果的なチートは「秘密の協力」だ。表面上は個人戦のように見せかけながら、水面下で結束した小集団が形成されれば、バラバラの個人を圧倒できる。
しかし、通常の協力(家族、宗教、民族など)は他の人々にも見えてしまう。すると対抗グループが形成され、協力の軍拡競争が始まってしまう。
ところが、「侵犯による協力」は違う。社会的タブーを共同で破った集団は、その秘密を外部に漏らすことができない。なぜなら、秘密が漏れた瞬間に全員が社会的に抹殺されるからだ。
これこそが、古代から現代まで権力者たちが使い続けてきる「見えない協力」の正体だという。
島の思考実験:極限状況が生み出す超越的結束
講師は、この理論をより分かりやすく説明するため、興味深い思考実験を提示している。
肉食の猿が無数に徘徊する絶海の孤島に、100人の男性が突然放り込まれたとしよう。彼らは異なる国籍、言語、文化背景を持ち、互いを知らない。資源を得るには猿と戦わねばならず、逃げ場もない完全に絶望的な状況だ。
通常なら、このような状況では絶望して死を待つだけだろう。しかし実際に起こるのは正反対だ。
まず、生存のために共通言語を急速に開発する。次に、それぞれの出身地の話から共通の神話・宗教を作り上げる。「神に選ばれてここに送られた」という使命感が生まれる。
そして、リーダーを選ぶ段階が来る。65歳の知恵ある老人が素晴らしい演説をした後、17歳の少年が何も語らずに皆の前で自分の手を切り落とす。誰をリーダーに選ぶか。
答えは明らかだ。最も犠牲と献身を示した者がリーダーになる。知恵ある老人は顧問になるが、真のリーダーは自己犠牲を厭わない者だ。
このような極限状況では、ハイブマインド(集合意識)が形成される。互いの心を読み合い、完璧に同調して行動できるようになる。一人が遠くで猿に襲われても、残りの仲間は直感的にそれを感知し、救援に向かう。
そして20年後、彼らが元の世界に戻ったとしたら何が起こるか。
彼らは秘密の結社を形成し、その超越的な結束力で世界を支配するようになるだろう。表面的には民主的な指導者が存在するかもしれないが、真の権力は彼らが握ることになる。
現実世界への含意:なぜ「普通の人」は権力者に勝てないのか
この理論が正しければ、現代社会の権力構造について重要な含意がある。
私たち「普通の人」は、道徳的制約の中で個別に行動している。家族や友人を愛し、法律を守り、社会の規範に従って生きている。これは人間として健全で美しい生き方だ。
しかし、ゲーム理論的に考えると、これでは秘密結社に勝てない。彼らは道徳的制約を超越し、完璧に同調した集団として行動している。個人の利害よりも集団の利益を優先し、必要とあらば個人の生命すら犠牲にする覚悟を持っている。
講義では、現代の権力エリートが実際にこのような儀式を行っていると示唆している。表面上は洗練された政治家やビジネスリーダーに見えても、彼らを結束させているのは共通の「侵犯」体験だというのだ。
もちろん、この理論が100%正しいかどうかは分からない。講師自身が「これは推測と理論化だ。真実として受け取るな」と警告している。
しかし、この理論は現実世界の多くの現象を説明する。なぜ明白な犯罪が見逃されるのか。なぜ権力者たちは団結して一般市民に対抗するのか。なぜ「良識ある人々」の声は届かないのか。

哲学的な問い:悪は必要悪なのか
講義の最も深い部分は、善悪についての哲学的考察だ。
プラトンの理論では、物質世界は偽の世界であり、真の世界(イデア界)こそが現実だ。この視点からすれば、物質世界での権力争いは幻に過ぎない。重要なのは知識の探求を通じて真理に近づくことだ。
ダンテの理論では、最高存在(神)は愛そのものであり、人間は愛を通じて神に近づくことができる。しかし、神は人間に自由意志を与えたため、悪を選ぶ可能性も残している。時折、神は使者(プラトン、ダンテ、イエスなど)を送って真理を伝えるが、信じるかどうかは人間の選択に委ねられている。
この枠組みでは、現在の権力者たちは意図的に物質世界を「できるだけリアルに」見せることで、人々を真の現実から遠ざけようとしている。彼らは物質世界の支配者であり続けるために、人々が精神的世界に目覚めることを阻止しようとしているのだ。
物質主義は支配のための道具なのか
ここで昨日紹介した記事についての重要な逆転が起こる。この議論が正しければ真の権力者たち自身は、彼らが民衆に押し付ける唯物論を信じていない可能性が高いということになる。
カストラップの観念論によれば、意識こそが根本的現実であり、物質世界はその現れにすぎない。権力エリートが実践する儀式や侵犯行為は、まさにこの「意識の深層」へのアクセス手段として理解することもできる。彼らは唯物論的科学を装いながら、実際には古代から続く神秘主義的技法を使って「意識のフィルター」を操作しようとしていたのだろうか。
民衆には「物質だけが現実だ」「精神世界など存在しない」と教え込み、科学的合理主義に縛り付ける。一方で自分たちは、意識の非局在化、集合的無意識へのアクセス、精神的次元での結束という、はるかに強力な道具を独占している。この二重構造により、権力者は「見えない世界」からの力を利用しながら、民衆はその存在すら知らされない。
これらはあまりにも大きなテーマであり、この記事で深入りするつもりはないが、現代における「唯物論の支配性」は、時代がもたらしたものであると同時に、下位エリートと民衆を精神的に去勢し、真の力の源泉から切り離すための巧妙な檻として利用されているのかもしれない。
善人が勝利する可能性はない
話を少し戻そう。江学勤の分析は根本的な矛盾を露呈している。もしも権力者たちが実際に「侵犯による結束」で団結しているなら、道徳的制約に縛られた一般市民に勝ち目はあるのだろうか。
歴史を冷静に検証すると、「善が悪を打ち破った」とされる事例の多くは、実際には権力エリート内部の派閥争いや、より効率的な支配システムへの移行だった可能性がある。
フランス革命:「民主主義の勝利」とされるが、実際にはロスチャイルド家などの金融勢力が旧貴族階級を排除し、債務による支配システムを確立した。ロベスピエールの恐怖政治は、反対派の物理的消去という「侵犯による結束」の典型だった。
アメリカ独立戦争:イギリス帝国からの「解放」だが、建国の父たちの多くがフリーメイソンであり、新たな共和制も秘密結社ネットワークが設計したシステムだった。ワシントンD.C.の都市設計にはオカルト的シンボリズムが組み込まれている。
ナチス・ドイツの敗北:連合国の勝利後、ペーパークリップ作戦により多数のナチス科学者・諜報員が米ソに吸収された。「悪の根絶」ではなく、技術と人材の再配置だった。
ソ連崩壊:共産主義からの「解放」だが、オリガルヒ(新興財閥)による略奪的民営化が続いた。多くのオリガルヒは旧ソ連の権力構造と密接な関係にあった。
抵抗運動の取り込みパターン
真の草の根抵抗は、歴史的に3つのパターンで無力化されてきた:
1. 指導者の取り込み:純粋な動機で始まった運動の指導者が、権力側からの「より大きな影響力」という誘惑に屈する。
2. 分割統治:運動内部に対立する派閥を作り出し、内部抗争によって自滅させる。
3. 段階的骨抜き:運動の要求を部分的に受け入れることで満足感を与え、根本的変革への意欲を削ぐ。
権力者の「不死身性」
最も重要な歴史的観察は、権力エリートの「不死身性」だ。個々の権力者は死ぬが、その知識・技法・ネットワークは世代を超えて継承される。これは血統だけでなく、儀式による結束システムの継承によって実現される。
古代エジプトの神官階級、中世の騎士団、近世の秘密結社、現代の国際機関—形は変われど、同じ原理が続いている。彼らは「制度」ではなく「血と秘密」によって結ばれているため、表面的な政治体制の変化では解体されない。

真の敗北が存在するとすれば
歴史的に権力エリートが本当に脅威と感じたのは、民衆が彼らの根本的前提—物質世界での支配の意味—そのものを拒絶した時だった。
初期キリスト教:物質的権力を完全に無視し、精神的価値観で生きる共同体を形成した。ローマ帝国はこれを最大の脅威と見なし、300年間弾圧を続けた。
仏教の普及:現世での権力競争そのものを「苦」として否定し、出家による完全な離脱を選択した。これにより既存の支配構造から大量の人材が流出した。
しかし興味深いことに、両者とも最終的には権力側に取り込まれた。キリスト教は国教化され、仏教は国家仏教として体制化された。
本当の問題:ゲームのルール自体
歴史の教訓は明確だ。物質世界での「勝利」を目指す限り、権力者のゲームの土俵で戦うことになり、彼らの有利は動かない。彼らは何世代にもわたってこのゲームを最適化してきたからだ。
真の脅威は、そのゲーム自体を無意味化することだ。しかしそれは同時に、現在の物質文明の放棄を意味する。これが、なぜ根本的変革がこれほど困難なのかの理由だろう。
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