祇園祭前祭 山鉾巡行 前編│巡行準備の朝│山鉾8基を巡るnote
京都の夏の風物詩、祇園祭。
多くの人が山鉾巡行といえば思い浮かべる前祭(さきまつり)の山鉾巡行を観に行ってきました。
7月17日早朝に師匠を京都駅まで見送り終わって、6月の後半からなんと一日も休みがなかった受注会準備が完了。
その後は遂に晴れて自由の身に!
「さぁ、ここからサクッと帰宅するか?」
「それとも烏丸に出て祇園祭を観に行くか?」
逡巡した後、祇園祭を観に行くことに決めました。
まだ朝早いので、巡行前の準備中の山鉾も観られるかもしれない。
函谷鉾の至宝、『イサクに水を供するリベカ』
地下鉄を降りてラクエの階段から地上に出ると、やはりどの山鉾も準備中で、まだ会館からかかる階段も外れていませんでした。
早速ラクエから一番近い函谷鉾へ。

この時期のためだけに、公道に棒を立てるための
穴があって、普段は鉄板で塞がれています。
地味な話だけど、街全体が祭りにかける情熱が凄いと気付かせられるところでもあります

三角と三日月



懸装品の絢爛さと相まって、なんとも神々しいです
祇園祭の山鉾の懸装品はどれも巡行当日まではビニールで覆い守られているのですが、この日だけはそのカバーが外されて、見事な全貌が現れます。
せっかくなので函谷鉾の懸装品の前掛けについて。
旧約聖書創世記の一節を題材にした、巨大なタペストリーで、函谷鉾の至宝といわれるもの。
元々は16世紀にベルギーで製作されたゴブラン織りで、現在巡行の際に掛けられるのは平成18年に復元新調されたものだそうです。
[※歴史文化についての情報は『新版 祇園祭のひみつ(白川書院)』を参考文献としています。その他の参考文献・WEBサイト等ある場合はその都度記載します※]
祇園祭の懸装品は東西のあらゆる文化が混ざっていて、とてもエキゾチック。
海外の豪奢な懸装品を寄贈出来ることが、昔の町衆たちのステータスだったのだろうかと想像しました。彼らの競い合いのお陰で現代の私たちがこのような文化に触れられるので、こういう形なら富の競い合いも悪くないなと思います。



街も準備が進む

ご苦労さまです。
この時期は何日も大変ですね



祭りありきで街が設計されてるんだもんな
こりゃ、やり過ぎだよ(褒めてる)
月鉾、月とうさぎ

大好き月鉾!
月鉾は長刀鉾や函谷鉾をも凌ぐ超大型の鉾で、最も重量もあるとされています。
うさちゃんの破風や、うさちゃんモチーフのまぁるい御守り授与など、なんとも言えずカッコ可愛くて、やたらとかき鳴らしてくれるお囃子と相まってサービス精神たっぷりなイメージがあります
前祭の山鉾の中では、以前住んでいたマンションから特に近いというのも、思い入れが強い理由の一つかもしれません。






いざ参らん

月と波が描かれてるけど、
波も何か由来があるんだろうか

逆光で色がぶっ飛んでしまった…
円山応挙による装飾もあるらしいのですが、
詳しくないし見えないしよく分からない、すまん
放下鉾、アラビアンナイトなフクロウの見送り
四条通りから新町通りを少し北上すると放下鉾が。




会所では祇園祭の時期以外にも
お囃子の練習をされていたりするのが見られます


全てが釘を使わず荒縄で組まれているのが凄い

今まで気が付かなかったけど、巡行当日だけ設置しているのかな?

白フクロウちゃん、なんて意気揚々とした飛びっぷり。ホーホーという声が聞こえてきそうです。
こちらのタペストリーは昭和57年、ろうけつ染めの日展作家皆川泰蔵氏によって制作されたものだそうです。[※放下鉾公式Instagramより]


フクロウ
郭巨山、舁き山の力強さ

四条通りに戻り少し西へ行くと郭巨山。
私が以前よく行っていたやよい軒の真ん前にそびえています。
郭巨山はほとんどの山が車輪をつけていく中、あくまで人の手で担ぐ舁き山(かきやま)であることにこだわり続けた山だそうです。
昭和43年、遂にこの山に車輪が付けられたことで全ての山に車輪が付けられたと言われています。
その割には引っ張って移動する曳き山のような屋根が付いていたり、「もしかして曳き山を目指してた?」というような点が見られるところも面白いところ。


撮ってしまった
酷暑だったし眩しかったので、
随所でこういう仕草が見られました

こういうのを見ると、改めて神事だなぁと感じます
郭巨山のご神体は中国故事の登場人物『郭巨』とその子である『童子』。
郭巨は貧しさに耐えかねて、子を山に捨てに行こうとするのですが、その道すがら財宝が入った釜を発見。
その故事にちなんで郭巨山は金運のご利益があるとされるようになりました。
曳手の装束の背に『釜』とあるのも、郭巨が見つけた財宝の釜からということですね。

そうこうしていると何やら郭巨山の周囲がざわつき始め、担ぎ手の方々が大勢集まってこられました。

一周回って見せてくれました。
これも巡行前の最後の儀式か何かなんだろうか?それとも単に予行演習?

龍頭からの綾傘鉾
今度は四条通りから新町通りを南へ。
後祭りのくじ取り無し最後尾を務める大船鉾の会所の前を通り過ぎると、『ラスボス』と名高い大船鉾の龍頭が鎮座していました。

もうすぐ君の出番だよ。顔面の主張強いね。
以前、大船鉾のある四条町に住んでいたので、
ここは一段と想いが深いです
綾傘鉾の方へ移動します。
綾傘鉾の保存会は、寄付をすればなんと全国どこからでも参加出来ると最近知りまして、「なんだそれ!最高!来年から寄付してみようかな!」と思っています。


以前、この大傘を片付けておられるところに偶然出くわしたのですが、本当に巨大な和傘そのものの構造で、当たり前のことなのでしょうが心底感動したのを覚えています。



綾傘鉾の見どころといえば棒振り囃子。
これもこの後の巡行で幸運にも見られたので、後編で紹介します。

君はフェニックス?違うよ、鷁だよ船鉾

まるっきり船の形をしている船鉾。作りもまるっきり船だそうです。
後祭の大船鉾とはご神体の神功皇后も同じで、兄弟船のような鉾。
因みに前祭の船鉾は出陣の船、後祭の大船鉾は凱旋の船とされています。
船首が龍頭もしくは大金幣の大船鉾に対して、こちらの船首は黄金色の鷁(げき)。

と思ったら、君はげきという鳥なのか。
前髪かわいいね。
鷁は想像上の鳥で、強風に立ち向かう縁起の良い鳥だそうです。1760年作、凄い。



朝鮮出陣の際に妊娠中だった神功皇后を龍神が
守ったとされる伝説になぞらえられているそう。
Youは鉾?No、山です岩戸山
新町通りをまた更に南へ。
岩戸山が姿を現します。

鉾と同じように大きな車輪が付けられた曳き山ですが、山である証に生木の真松が頂上に立てられます。
そのため、鉾とも山ともひと味違うような清涼な空気が漂っていました。


天の岩戸、国生みの神話をモチーフとしており、天照の大御神ら3人の神様を祀っています。
ここでは他の鉾と違って、サカキでご神体のお顔を覆っていました。



セキレイだそうです
12羽飛び交っているらしい


使い方を観光客に説明しておられました


本当はどっちの琴名人?伯牙山
巡行前最後に見れたのは伯牙山。
重要文化財である杉本家住宅の真ん前に建てられています。

伯牙山のご神体は中国の伝説の琴の名手、『伯牙』。彼は理解者である鍾子期の死を悼み、自ら琴を割ります。
というわけで伯牙山の懸装品はどれも中国風。


女仙人とかいたんだ、と思いました

琴を割った琴名人の『伯牙』。
ところが実は中国故事ではもう一人琴を割った人物がいたそうで。
明治以前はどちらの故事がモチーフか分からないということで『琴割り山』と呼ばれていたこの山。
『伯牙』という名前が採用された後も、保存会の中でも意見が割れたそうです。
もう一つの故事は『戴き破琴』(『たいきはきん』、漢字が出ませんでした…)。
こちらの故事の中では琴名人のタイキが王様からの召し上げを断るために琴を壊しています。
どちらの故事にせよ、何故日本の祇園祭の山のモチーフに選ばれたのか不思議なエピソードでした。

後編へ続く…ッ!
さぁ、前祭巡行準備の朝の様子はここまで。
9時スタートの巡行に向けて移動します。
色々調べながら書いていたら長大になりました。すいません。
果たして後編を書き切れるのか!?
後編へ続く…ッ!!!!

