「推し活」なんてのは結局自己満でしかない
いつ頃からだろうか、「推し活」なんて言葉が世間一般で使われるようになったのは。その前は「ヲタ活」なんて言われてたような気がするし、当然同様の消費行動はずっと以前から見られていたものだ。
ただ、空気感的に一番変化した点は何かと考えると「ネガティブな印象を排除しようとした点」じゃなかろうか。要するに、これを否定的な文脈から、より肯定的に扱い、今はむしろ推奨しようという流れになってるのかなと。
おそらく旧来の消費行動は家庭、家族という集団の維持に依拠していたところが多かったのでしょう。家屋、車、子供の教育費などのあらゆる出費が、それまで当たり前とされていた家族にかかる費用だった。
でも、核家族化以上に深刻な「おひとり様」の異常増殖によって、従来のようなニーズを想定して消費を喚起しても効果が薄くなってしまったのは容易に想像がつく。だからこそ、何が何でも市民に消費をさせないといけない経済市場は、新たな消費(浪費)の一形態として「推し活」へと誘導してるんじゃなかろうかと思う。
ただね、あくまで俺の感覚での話だから納得出来ない人は納得出来ないで結構なんですけど、俺は社会が推し活を推奨するような状況って正直言って良くないと思うんですよ。アレって要するに「自分で稼いだカネを赤の他人に貢げ」って事でしょ。それって「自分を大切にしない、自身をぞんざいに扱う」ことを推奨してるのと変わらない気がする。
資本主義社会において、資本を使わずに(使うは投資も含む)溜め込んでおくことは良くないってのは分かる。でも、浪費の対象を積極的に自分の外に求めるように誘導するのっておかしくないか?
家族に出費するなら、家計を一緒にしてる以上、身内であり、自分への間接投資につながると思うんだけど、赤の他人への出費って単なる資本の流出でしょ。言い方悪いがカネをドブに捨てる、カネドブ行動と変わらんのよ。
俺思うに、家族や家庭に出費しないなら、自分で得た資本は自己に投資すべきじゃないかね。成果が出る出ないに関わらず、自分磨きの為にカネ使った方がよっぽどマシなんじゃないかと思いますよ。
とはいえ、「俺が(私が)納得して貢いでるんだからいいだろ。推しに浪費することが生き甲斐なんだよ」と言われてしまったらそれを否定することは出来ない。思想信条・ポリシーに首を突っ込むのは野暮だし、今はそういう時代じゃない。ただ、そういう人達は自分らのやってる推し活が所詮は自己満に過ぎないという事を忘れないでいてほしい。
推しに対して見返りを求めるのは傲慢だし、これが経済活動だという事を理解してない幼稚な発想であることに気付いてほしいですね。別に悪かないし止めやしないけど、自分が何をやってるかは(ストッパーとして)覚えておいた方がいい、ということ。
・・・どの口がほざいてるんだ? という感想はごもっともですがw
