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「音楽には価値がある」という虚構の終わり

 

詳細は記事の内容をご覧いただきたいと思いますが、今までの日本国内の著作権法では徴収出来なかったBGMの使用料を今後は徴収出来るようにしますよという事が、閣議決定されて今後施行されていくというお話です。

 

これは一見すると、今まで請求出来てなかった使用料を貰えるんだから、作り手やレコード会社にとっては得な流れのようにも見えます。ただ、もし仮に実際このような法律が施行された場合、今まで通りに商業施設の運営元が使用料を払ってまで商品化されたレコード会社所有の音源をBGMとして使い続けるでしょうか。俺はそこをかなり懐疑的に見ています。

 

今までは、音がないと寂しいからとか、賑やかしの意味でBGMをかけていた商業施設も多かっただろうと思います。おそらくほぼ全ての施設でBGMは使われていたんじゃなかろうかと。ただ、今までタダだったものが有料化される、もしくはJASRACに払っていたこれまでの金額より上乗せされた金額が請求されるとなったら、じゃあそういうカネのかかる楽曲は使わんよってなるところが、激増するんじゃないかなと思われる。

 

これまでも著作権フリー、使用料フリーの音源は広く出回ってましたが、今ではそれだけじゃなく、そもそも楽曲生成AIを利用する事で、自分が思ったようなBGMをタダで用意出来る。しかもAI作曲なので著作権は存在しない。JASRACにカネを払う必要すら無くなる。これ、悪い方のブレイクスルー来ちゃうんじゃねえかって、このニュース見てすげえ心配になったんだ。

 

音楽、音というものは元々は空気に溶けて消えていくものであり、演奏されてるその場にしか存在しないものでした。それがレコードの登場によりフィックス出来るようになり、売り物になった。つまり元々音楽って、値段も何もない空気の振動に過ぎなかったものに、後付けで経済的価値が付加されたものなんだよね。

そう、音楽産業ってそういうもの。空気に値段付けて売ってるのと一緒。長い年月そんなシステムが世界中で常識とされてたから、みんな「音楽には(経済的)価値がある」と思い込んでた訳です。それはいわば虚構であり、洗脳に過ぎなかった。

 

ただ、そういう意味では今の若い人たちはそんな虚構から解き放たれてるので、「音楽にカネを払う価値はない」って分かってる訳ですよ。もう10年前の本だけど、これとか有名だよね。

 

儲からなくなったら、資本を投入して産業として流行らせようと思う人間は居なくなるでしょ。そうなると、音楽が価値を持つのは以下の形態のみ。

・魅力ある人の生演奏(ライブパフォーマンス)を見る
・趣味として自分が演奏する

両方に共通するのは、その場に音が存在するという、音楽の本来のあり方に戻ってるという事。そう、結局音楽ってその場で鳴ってる音以外に(少なくとも)経済的な価値はない。社会はそういう流れに向かいつつある訳です。

 

俺は過去の記事で、Z世代どころかゆとりと呼ばれた世代においても、音楽を聴く事や楽曲自体に価値を見出さないように、世間の常識は変容してしまったという主旨の文章を書いた。

 

俺ら、アラフィフ以前の世代は、音楽に人生と同等の価値を置くぐらい影響を受けてもおかしくないような価値観を、植え付けられております(異論は認めますよ)。だから、アラフィフ以上の人間が商業音楽を好き好んでカネ払って聴くのは、何も不自然な事でもなく、当たり前の事なんですよ。

でも、今の若い世代の人たちは、「音楽なんて放っといてもタダで耳に入ってくるもの」だから、「カネ払って音楽を聴くなんてアホのやる事だ」ぐらいに思ってても不思議じゃないでしょう。だって社会全体の仕組みがそうなってるんだもん。それは彼ら彼女ら世代の問題じゃなく、社会構造の変化の問題なんです。

 

そして、今日のニュース記事を見て、その流れはより一層加速していくんだろうなと思った。著作権フリーのBGM以外の音楽がほぼ流通しなくなる社会は、かなり近づいてきてるでしょう。作る人は(AI生成含めて)増えるだろうけど、広まらないよね。パーソナルな楽曲がただひたすら増えていく。それでも別に問題はないけど、俺みたいなおっさんは一抹の寂しさを覚える。うん、寂しいね。