出来もしない事を、やろうとする
何かカッコいい感じの、何かセンスありげの表現を、しようとする。見事にスベる。それは出来もしない事を、やろうとするからだ。
元から光るセンスがないのなら、テクニックを磨いて補わないと埋まらない。そこの修練をせずにいきなりやろうとするのは、安直で物臭な態度だ。
特に俺は物書きを目指した訳でもなく、当然売り物を想定した修練を積んだ訳でもない。言ってしまえば門外漢のいっちょ噛みである。そんな奴がセンスありげな表現を試みるのは、文章で食べるプロに対する侮辱と捉えられるのだろうか。
とはいえこの場を「習作を公開してるだけ」と考えたら、今がまさに修練の時と言えるかもしれない。まあ、値段付けて売ってるならともかく、無料でブログで公開してる文章なんて全部習作と言っても違いはなかろう。ただ、その姿勢自体が全読者に対する侮辱になるけどね(ごめんなさい)。
カッコつけようと、しちゃうんですよ。見透かされる事もわかってるのに。そこに気付けないほど青くはない。さすがにそこそこ歳食ってますから。
俺という人格を形成した事象ごとに記事化した「おっさん昔語り」には「小説編」は無い。それは、俺の人格形成に影響を与えるほど小説の読み書きにのめり込んだ経験がなかったから。
俺もこれまで小説の類いを書いた事はありますが、それは典型的な「小説読んでないけど書きたい」勢のムーブでした。プロの文章舐めんじゃねえよって。そもそもちゃんと文章の訓練を受けた人間なら、こんなに「ですます」と「だである」が混じった文章なんか書かないしね。
程度の低さは無視するとして、元々自分が表現の基盤としていたものは歌であり音楽でした。それが、エナジーの低下により音楽から離れた事と、文字というツールの簡便性により、今は文章を主な表現方法としています。
そういう状況で、まあ甘えなんだけど、自分の中に明確な土台がない文章というジャンルにおいて、それっぽくカッコつけようとしている。百年早ぇんだよw
特にこのnoteというプラットフォームだと文芸好き、読書好き、小説大好きという人が山のようにいるから、尚更俺の「読んでなさ」が際立つ。読んでないから表現のレパートリーや語彙が少ない。
また長文を読む脳のスタミナもないので、長編小説と呼ばれるものはほぼ読んだ事がなく、中編短編もこれまで数えるほどしか読んできていない。それでいてその中で一番多く読んだ作家が三島由紀夫という。それでこのザマか。ここまで読んで、俺が三島先生から何も学び取れていない事だけは伝わるだろう。
という訳で、もちろんまんまパクったりはしませんけど、今後もし俺がまた「ん? こいつカッコつけてる?」って感じるような表現を書いたら、何かしら直近で読んだ小説に影響を受けたと思ってください。この場を習作の公開場として使わせていただきます。
