人生で一度は登りたいキリマンジャロ。5,895mの頂で、感動よりも先に出た「辛さの涙」
頂上アタック当日。夜の11時に起きると、軽い頭痛。
「あ、来たな。」という感覚がありました。
標高4,700m、キリマンジャロのキボハットと呼ばれる最後の小屋。
深夜のアタックが始まる1時間前。高山病の予兆でした。
頭痛薬を飲んでから外に出ると、真っ暗な山肌にヘッドランプの光がいくつも連なって揺れていました。
その光の列の先に、5,895mの頂があります。
始まりは約1年前。
キリマンジャロに登らないかと声をかけてくれたのは、サハラマラソンを一緒に走った仲間でした。
声をかけてもらった当時は、1年後の仕事の状況が見えていなかったこともあり、そもそもアフリカに行けるかどうかもわからない状況でした。それでも、初めてのアフリカ、そして合わせて組まれていたケニアのキベラスラムやマサイ村へのツアーには強く心が動いていました。
キリマンジャロに関しては、正直なところ、登山そのものへの強い動機があったわけではありません。せっかくアフリカまで行くなら、という気持ちでした。
しかし、アフリカ大陸最高峰にして、独立峰としては世界最高の5,895m。人生で登る機会に恵まれることなどそうそうあるものではありません。
都合をつけさせてもらって、登ることにしました。
マタタツアーズに手配を依頼し、チームが結成
キリマンジャロを登るときには、ガイドが必要です。
今回はマタタツアーズという会社を通じて手配をお願いしました。ここはかつて俳優の渡辺謙さんをキリマンジャロ登山でガイドしたという実績を持っています。ポーター、シェフ、ウェイター——たくさんのスタッフが斡旋してチームを組んでくれます。ルートは4泊5日のマラングルート。宿泊は山小屋、荷物の運搬も食事もすべておまかせ。道具もほとんどレンタルできました。

雲の上までの、至れり尽くせりなプロローグ
いざ臨んだキリマンジャロ登山ですが、最初は拍子抜けするほど楽でした。
標高1,800mのゲートから歩き始めると、そこはただの森です。日本の山とそんなに変わりません。この旅では直前までケニアでサファリをしてキリンやゾウなどの野生動物をたくさん見ていたので、「野生動物はそこまでいないのか」と少し物足りなく感じたくらいです。


さらにキリマンジャロ登山の特筆すべき点は、とにかく「おまかせできる」ということ。ポーターが重い荷物を背負って先に登っていき、小屋に着けばシェフが食事を作って待っていてくれます。ウェイターがお茶を淹れてくれます。テント泊ですらありません。自分は身軽なデイパックだけ背負って歩けばいい。こんなに至れり尽くせりでいいのだろうかと思ったほどです。

そのままのペースで、3日目までは毎日およそ1,000mずつ高度を上げていきます。1日の行動時間は5〜6時間。歩いては小屋に泊まり、また歩くの繰り返しです。
2日目、3日目と標高が上がるにつれて植生が変わっていきます。初日のうっそうとした熱帯林は背の低い茂みに変わり、やがてそれも消えて、岩と砂だけの荒涼とした景色が広がります。
空が近くなり、雲の下ではなく雲の中を歩く時間が増えていきました。


3日目のホロンボ・ハット(標高3,720m)付近までは体調にも体力にも問題はありませんでした。高山病対策に飲んでいたダイアモックスという薬が効いていたのかもしれません。毎日小屋に着けば温かい食事が待っていて、寝袋にくるまればぐっすり眠れました。このまま山頂まで行けるんじゃないか。そんなふうに思っていました。

そんな緩やかな状況が変わったのは、4日目です。
意識が遠のく暗闇、5,895mへの一歩
深夜0時。アタック開始。
気温は氷点下を下回っていたと思います。ダウンジャケット、セーター、インナーなど、寒さに備えてとにかくありったけ着込みます。暗闇の中、ヘッドランプの小さな光だけを頼りに、砂利道を6時間から7時間、ただ歩きます。
ドリンクは凍ってしまうので上下逆さまにザックにいれます。
進んでいる間、何を考えていたかと聞かれれば、何も考えられなかった、というのが正直なところです。足元を見て、ただ一歩を踏み出す。それを繰り返す。
寒さと空気のうすさ、そしてまだ真夜中なので景色を楽しむ余裕はありません。世界は自分の足元の砂利と、吐く息の白さと、前を行く人のヘッドランプだけに縮まっていました。

ギルマンズポイント——標高5,685m、山頂手前の最後の関門。ここの直前がとにかく必死でした。休憩も少なく、体力を使う急勾配の砂利道と岩場を登り続けます。 一歩踏み出しても、足元の細かい砂利がさらさらと崩れ、半分ほどずり落ちてしまう。進んでいる感覚がまるでないまま、太ももに乳酸が溜まっていく。酸素が薄いため、数歩進むだけで全力疾走したあとのように肩で息をするしかありません。
それでも空気が薄いので酸欠状態の中で、頭痛薬の効能も切れてここで身体がほぼ限界を迎えます。
それでも仲間と声をかけあい励まし合いながら、なんとかギルマンズポイントまで上がることができました。

ギルマンズポイントから山頂のウフルピークまでは、そこからさらに30分ほど進む必要があります。
時間の余裕がなく十分な回復や水分補給ができないまま、息苦しさと頭痛と疲労で意識が遠のいて、トランスしているような感覚のまま進みます。
その時、ポーターが手を引いてくれました。それだけのことが、どれほど助けになったか。手を引かれて歩くという経験は、子どものとき以来かもしれません。でもそのとき、自分の力だけではここにいられないということを、素直に受け入れていました。

そして進むこと、30分。標高5,895m。ウフルピーク。アフリカ大陸の最も高い場所に到着しました。

仲間も、誰一人リタイアしていません。ふと立ち止まると、眼下には雲海が広がり、遠くに氷河の残骸が朝日に照らされて光っています。空気が澄みきっていて、どこまでも見渡せました。でも、それ以上の感想は出てきません。感動を味わう余裕すら、身体が許してくれませんでした。きつさで泣けてきました。

身体のダメージや時間も考えると、山頂には長く滞在はできません。
すぐさま下山になります。
しかし、登りに比べたら下りは楽でした。登りに何時間もかけた道を駆け下りながら、「こんなにすごい道を登ってきたのか」とぼんやり思いました。登っているときは目の前の一歩しか見えなかった。視界は足元の砂利だけに縮まっていて、自分がどんなルートを歩いてきたのかすらわかっていませんでした。下りでは全体が見渡せます。あの暗闇の中をこんな斜面を登ったのか、と驚きました。

泥を洗い流し、残ったのは感謝
この日はホロンボ・ハットまで降りて、そこで一泊しました。ぐっすり眠れたおかげで疲れはだいぶ取れました。
そして最終日、そこから入口のゲートまで行き、バスに乗ってモシのホテルまで帰ります。
ホテルに着いて真っ先にシャワーを浴びると、体から砂や泥が落ちていきます。髪はパシパシで、肌には何日分もの砂埃がこびりついていました。
サハラマラソンを完走したあとの感覚と同じでした。
そしてベッドにごろごろしながら思い返すと、登山中、ポーターやガイド一人ひとりを考えました。彼らはまたすぐに他のお客さんのガイドのために登ります。
手を引いてくれたこと。荷物を運んでくれたこと。温かい食事を標高4,000mの小屋で出してくれたこと。全部おまかせの登山で、道具もご飯も荷物も、全部誰かが支えてくれました。
もちろん最後に歩くのは自分の足ですが、歩ける状態にしてくれたのは、彼らのおかげがとても大きいです。
誘ってくれた友人をはじめ、誰一人リタイアすることなく登りきった「ワンチーム」に感謝です。
キリマンジャロを登ってみて
今回のキリマンジャロ登山は自分の人生の中でもっとも大変な挑戦の一つとなりました。
その中で感じたことは、大自然と改めて向き合うということです。
サハラマラソンなどのレースでは事前にコースが決められており、その中で自分の中のゴールや、タイムや他の人との順位と向き合うことになります。
道中で自然を感じたり、過酷な環境を味わいますが、あらかじめ決められた枠組みの中であると、キリマンジャロを経た今では思うようになりました。
今回のキリマンジャロは当然ルートは決まっているものの、標高が高いところで自分の身体に生じる変化や、空気の薄い中で見える澄んだ景色のきれいさ、そしてそれを見る大変さなど、自分自身とキリマンジャロという環境が直接対峙した感覚がありました。
それはとてもきついものでしたし、登山中は限界状態で楽しむ余裕などはありませんでした。
しかし下山して数日たった今では、目に飛び込んできた景色、冷たい空気、そして息苦しさなどの記憶にかすかに残る感覚がその時感じたものよりも少しだけ暖かく、かけがえのないものとして感じられるようになってきました。
