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”仲間”や”オトモダチ”は少なくていい理由

ちょっと大胆なタイトルになりました。
1年生の歌で、友達100人できるかな、という有名な歌詞があり、
子供たちには、

友達を大切にしよう

というメッセージが、いつのまにか、

友達を多くつくろう

という内容に変わってしまっているように思います。
友達を無下に扱ったり、人の信用をやたらと裏切ったりするのはおかしなことです。
ですが、友達(”オトモダチ”)を増やすことに注力することは、
同じくらいにおかしなことだと思っています。

今回は、学級経営や子育てには直接関係ないかもしれませんが、
無益、時には有害ですらある考え方に対するパラダイムシフトに向けて、記事を綴ります。

友達の定義

「友達の定義」
これは、小学校高学年くらいから始まり、実は、ずっとその後の、大人になってからも引きずるテーマです。
言葉にすると”中二病”とかからかわれて、話題の芯にたどり着かないので、ほとんどの人が避けているだけなのではないでしょうか。
親友
友達
知り合い
やたらと、身の回りの人をカテゴライズする必要もないのですが、
「友達だよね?」
とか、
「友達なんだからさ」
と、人との関わり方について、自分の思いや考えを押し付けてくる人がいます。
言葉でそう言ってこなくとも、無意識で、その姿勢を突き付けてくる人もいます。
そういう状況も実は少なくありません。
一般に言われる「友達」という意味や定義に対し、

自分はどう考えるか

をしっかりもっておくことは、非常に重要だと思います。

SNSのフォロワーとオトモダチ

SNSのフォロワーを増やすことに必死になる話を聞きます。
友達やフォロワーの数は、自己承認欲求をある程度満たしてくれるものでしょう。
かくいう私も、このnoteでフォロワーが増えると、とても嬉しいですし、励みになります。

ただそれが、
何かしらの「コレクション」に寄ってしまうと、
フォロワー集めも友達集めも、ゲーム感覚に近いものになっていってしまいます。
友達の定義に戻りますが、
様々にある友達の定義でも、心の通い合いは共通項として挙げてよいと思います。
心の通い合いをゲーム感覚で「コレクション」することはできないと思います。

友達を100人つくろう!
よし、じゃあ、まず、友達の証として、サインをノートに書いてもらおう。
よし、100人集まった。
これで友達100人だ!

と、子供が喜んでいたら、どう声をかけてあげるでしょうか。
ここには「友達」はいなくて、「オトモダチ」という仮想の存在をコレクションしているだけです。


自己承認欲求を満たすオトモダチ

ふと思ったのが、
朝残業と夕残業です。
記事に関連するかどうか、書きながら確認してみます。

残業は、そもそもあってしかるべきものではありません。
朝残業よりも、夕残業の方が「残業感」があり、残業が献身的で美徳というへんてこりんな意識がまだはびこる職場では、
夕残業が評価される傾向があります。
そもそも、夕残業する人は、朝、出勤が遅いので、朝残業している人の様子や、そもそも、何時に出勤しているかも知りません。

さて、夕残業している人のあくまで傾向として見られる様子を想起します。
(もちろん、有意に残業している人もいらっしゃいます)
・基本、だべっている。
・忙しいふりをする
・遅くまで残ること自体を多忙と勘違いしている
・先に帰る人は自分より楽だと思っている

おもしろいものですね。
あくまで傾向です。
あくまで傾向なのですが、上記にあてはまる人の夕残業は、

人の足を引っ張る時間

に使っていることが多いように感じます。
記事の主題にどう関係するかと言えば、

夕方以降、夜な夜な、特に生産性もなく一緒に残ることで、

おかしな仲間意識⇒オトモダチ意識

をもつという点です。
夕方の、生産性のないだべりが最も時間を費やすのは

愚痴
噂話
悪口


です。
こういう時間を共有しながら「オトモダチ」と思うなら、
それは一切、不要なものです。

こういう人に多いのが、
子供たちに、
「100人、オトモダチつくろうね」
「オトモダチを大切にしようね」
「自分のことよりもオトモダチの気持ちを優先しなさい」
「ルールなんだから仕方ないでしょ」
という言葉を発しているように感じるのは気のせいでしょうか。
自己犠牲を自分以外の人にも求め、
結局、足の引っ張り合いをして、誰かが突き抜けようとすることを異様に嫌います。
子供たちにもそれを求めます。

自分は一人じゃない

という自己承認欲求を満たすために、足を引っ張り合うことを友達と呼べるでしょうか。


一人で抱え込みすぎず 一人で抱えたいときがある

悩みや苦労は、一人で抱えすぎない方がいいです。
これは、

悩みを一人で抱えてはいけない

ということを意味しているものではありません。
悩みに真剣に向き合おうとしたとき、
誰かの助言やアドバイスを必要とせず、一人、とにもかくにも、向き合う時間が必要である場合があります。
これを、

どんな悩みも人と共有すべき

とするのは、なんともおかしな話です。
真剣であればあるほど、一人でじっくりと向き合う時間が必要になります。
もちろん、抱え込み「すぎる」のはよくありません。
実際、悩みや課題を抱え、それに向き合い始めると、
自分が抱え込み「すぎて」いるかどうか、わからなくなることがあります。
そうならないように、いつでも相談に乗るよ、ということをそっと投げかけてくれる人は、非常に助かる存在です。
それに対し、
一人で悩みや課題に向き合うこと自体をよしとせず、すぐに介入する人を友達というのなら、
それは余計なお世話であり余計な存在になってしまいます。
人間だれしも、一人でじっくりと、時間をかけて物事に向き合いたいときがあります。
そうすべきときがあります。
”人間だれしも”なので、子供であっても同じです。
程度の問題があるだけです。


オトモダチが多い方がいいというバイアス

以前、担任していた学級の個人面談で、ある保護者(母親)から相談されました。

うちの子、家に帰って、ずっと本を読んでいるんです。
心配でしょうがないんです。

とのことでした。
何が心配かと問うと、オトモダチがいないんじゃないかということでした。
その子は、確かに、周りの子供たちとワイワイと波を自分から起こすような子ではありませんでしたが、
周囲の空気を乱したり、誰かとの衝突が絶えなかったりするような子ではありませんでした。
豊かな読書量を背景に、豊かな語彙があり、文章力も高く、書いた作文や創作した物語が、クラスの他の子たちから一目を置かれる存在でした。
班やグループの活動も、円滑に進める子でした。

おそらく、母親の幼少期と異なる過ごし方だったのでしょう。

それを理由に、
子供はいつも、複数のオトモダチに囲まれていなくてはならない。
と思い込むことこそ、子供を追い詰めはしないでしょうか。
実際、面談で母親に、

あの子が、もっと友達がほしい。友達との時間をつくりたいって、言っているんですか?

と聞いたところ、母親や一瞬、豆鉄砲を食らった鳩のような表情を見せた後、

オトモダチ、つくらないでいいんですか?

と聞いてきました。
心の中で一息つき、じっくり、対話しました。
無理にオトモダチなんてつくらなくていいと知った母親は、半分、涙目になって安心した気持ちを吐露してくれました。

友達は多い方がいい。
オトモダチと友達の区別がない。

これらのバイアスは、どこで植え付けられるのでしょう。


オトモダチコレクター

一人になりたくない。
孤独が怖い。
こういった思いから、オトモダチをたくさん集めようとする傾向があるようです。
携帯電話(ガラケー)が一気に流行したときも、
電話帳に何人登録しているかを自慢している人がいました。
私はそういう人を「オトモダチコレクター」と、密かに心の中で名づけています。
悲しいのが、
コレクトしたオトモダチが何人いようと、
SNSのフォロワーが何人いようと、
孤独感は変わらないということです。
先々の飲み会の予定が何件あろうと、
職場でだらだらと残業し、どれだけ同僚との愚痴に時間を費やしたとしても、
孤独感は変わりません。

以前、独身の知り合いが言っていました。

結婚しろよー早めにさ。
色々不便なこともあるけどさ、老後に一人は、寂しいぞ。孤独だぞ。

ということを上司に言われたらしいです。
彼はそれを鼻で笑っていました。

いくら結婚して子供がいたとしても、
それと「孤独かどうか」は関係ないだろう。


とのことでした。
少々、極論じみた意見にも感じましたが、一理あるなと思いました。
というのも、家族をもったはいいものの、老後、自身の遺産を巡って家族が揉めに揉め、
もはや、家族の絆など塵に等しいといった様相は珍しくないからです。
熟年離婚。
家庭崩壊。
例を挙げたらきりがないほど、家族をもつということが孤独から逃れる切符にはならないというのは、分かる気がします。
家族であっても、互いの尊重と思いやりが、それぞれの年齢や立場の変化に合わせた形でなされていることが、関係を良好に保っていくために必要になります。

家族を例にして少し脱線しかけていますが、
人が、物理的にそばにいたとしても、当人が感じる孤独感とは直接的に関係はなないとういうことかもしれません。


自分を見つめる視点が大切

さて、とりとめもない内容になってしまいましたが、
友達をはじめ、他者に対する意識よりも、自分自身を見つめる視点が重要だというまとめにできそうです。
友達が何人だとか、親友は誰だとか、他者に目を向けるよりも、

自分の心にそっと耳を傾け
他者との比較を取り払い
ある程度自分を相対的に見るために
ある程度自分を客観的に見るために
他者と適度に比較して
自分の心に向き合える仲間と出会い
一人で歩く意志をもちつつ
助け合いや支え合いに感謝し
群れずに
一人の時間を大切にして
他者の時間を大切にする


そんな心構えでいると、

友達とオトモダチの違いが見えてきて、余計な時間や心労に疲弊しなくなる

かもしれません。



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