「質量はなぜ存在するのか質量の謎から始まる素粒子物理学入門」を小学生でも分かるように説明します(本・書籍)私たちはなぜ重いのか?素粒子が教える質量のひみつ
質量はなぜ存在するのか 「質量の謎」から始まる素粒子物理学入門
著者 橋本 省二

宇宙の謎と「質量」の不思議。
みなさんは、自分自身の体や、身の回りにある物が、いったい何からできているのかを考えたことはありますか?
物をどんどん細かく切っていくと、最後にはどうなるのでしょうか。
物を小さく小さく分解していくと、もうこれ以上は絶対に分けられない一番小さな粒にたどり着きます。
この一番小さな粒のことを、物理学では「素粒子」と呼びます。
素粒子は、私たちが住んでいる宇宙のすべての物質を作る、基本となるブロックのようなものです。
宇宙で起きているあらゆることは、この素粒子がどんな法則に従って動いているかを知れば、原理的にはすべて計算して理解することができるはずなのです。
さて、この解説の最大のテーマは「質量」です。
みなさんは「重さ」と「質量」という言葉を同じように使っているかもしれません。
しかし、物理学の世界では、この二つはまったく違う意味を持っています。
たとえば、氷の上で重い石を滑らせるカーリングというスポーツを想像してみてください。
重そうなカーリングの石を滑らせると、どこまでも滑っていきますし、他の石にぶつかると大きな勢いで相手の石を弾き飛ばします。
このとき、石が持っている「動く勢い」や「ぶつかってもなかなか止まらない性質」のことを、物理学では「質量」と呼びます。
もし、カーリングの石を宇宙の無重力空間に持っていったとしたらどうなるでしょうか。
地球の重力が働かない宇宙空間では、石の「重さ」はゼロになります。
ですから、小学生のあなたでも、指先ひとつで大きな石を簡単に持ち上げることができるでしょう。
しかし、その石の「質量」は地球にいるときとまったく変わりません。
宇宙空間で浮いている重い石が、ものすごいスピードであなたに向かって飛んできたら、それを素手で止めることはできません。
重さはなくても質量があるため、石の動きを止めるにはものすごく大きな力が必要になるからです。
このように、質量というのは、その物質が持っている固有の性質であり、地球にいようが宇宙の果てにいようが絶対に変わらないものなのです。
では、私たちの体や身の回りの物質の質量は、どこから来ているのでしょうか。
物質を細かく分解していくと、原子という粒になり、さらに原子の中心には陽子や中性子という粒があります。
物質の質量の大部分は、この陽子や中性子の質量からできています。
それでは、その陽子や中性子の質量はいったいなぜ存在するのでしょうか。
どんな仕組みで質量は生まれたのでしょうか。
実は、素粒子の世界を深く調べていくと、「素粒子に質量があるのはおかしい」という驚くべき結論にたどり着くのです。
ここから、質量の謎を解き明かすための、不思議でワクワクする素粒子物理学の冒険が始まります。
光のスピードと質量ゼロの秘密。
質量があるのはおかしい、というのはどういうことでしょうか。
それを理解するためには、まず「光のスピード」について知る必要があります。
夏の日に雷が鳴ったとき、稲妻がピカッと光ってから、ゴロゴロという音が聞こえるまでに少し時間がかかりますよね。
これは、光の進むスピードと、音の進むスピードが違うからです。
音は空気の振動で伝わりますが、空気の粒がぶつかり合って進むため、その速さには限界があります。
戦闘機などは音よりも速く飛ぶことができますが、光の速さというのはまったく別次元のものです。
光は1秒間に約30万キロメートル、なんと地球を7周半も回ってしまうほどの猛スピードで進みます。
有名な物理学者であるアインシュタインは、この光の速さについて深く考え、「相対性理論」という理論を発表しました。
相対性理論の教えるところによれば、光の速さは誰から見ても絶対に変わらないという不思議な性質を持っています。
たとえば、あなたが猛スピードで飛ぶロケットに乗って光を追いかけたとします。
普通の感覚なら、光とのスピードの差は縮まるはずですよね。
しかし、どれだけ速く追いかけても、あなたから見た光の速さはやはり秒速30万キロメートルのままなのです。
さらにアインシュタインは、「エネルギーは質量と光の速さの2乗をかけたものに等しい」という世界で一番有名な数式を導き出しました。
この式は、エネルギーと質量が同じものであるということを意味しています。
つまり、質量を持っている物質というのは、じっと止まっているだけでものすごく莫大なエネルギーを内に秘めているということです。
太陽が何十億年も輝き続けているのも、水素の粒が合体してヘリウムになるときに、ほんの少しだけ質量が減り、その減った分の質量が莫大な熱や光のエネルギーに変わっているからです。
そして、ここからが質量の謎に迫る重要なポイントです。
相対性理論によれば、質量を持っている物質を加速させていくと、どんどんエネルギーが必要になります。
光の速さに近づけば近づくほど、さらに加速するためのエネルギーが無限大に必要になってしまうため、質量があるものは絶対に光の速さには到達できないのです。
反対に、光そのものは質量が「ゼロ」です。
質量がゼロのものは、光の速さでしか飛ぶことができません。
つまり、「質量があるかないか」というのは、「光の速さよりも遅いか、それとも光の速さそのもので飛んでいるか」を見れば完全に区別できるということなのです。
この「光の速さで飛べるかどうか」ということが、素粒子の世界ではものすごく重大な意味を持ってきます。
ミクロの世界のルール:回る素粒子と不思議な力。
それでは、素粒子のミクロの世界に足を踏み入れてみましょう。
ミクロの世界では、私たちが普段生活している世界とはまったく違う「量子力学」というルールが支配しています。
量子力学の世界では、電子などの素粒子は、パチンコ玉のような硬い粒ではなく、空間に広がった「波」としての性質も持っています。
そして、素粒子はただの波ではなく、コマのようにくるくると「自転」をしていることがわかっています。
この素粒子の自転のことを、物理学では「スピン」と呼びます。
素粒子のスピンは、右回りの「右巻き」か、左回りの「左巻き」のどちらかの状態を持っています。
ここで、先ほどの「光の速さ」の話を思い出してください。
もし素粒子が質量ゼロで、光の速さで飛んでいたとしたら、右巻きの素粒子は誰がどう見ても右巻きのままです。
絶対に光を追い越すことはできないからです。
しかし、もし素粒子に質量があったらどうなるでしょうか。
質量がある素粒子は光の速さよりも遅く飛ぶため、あなたがものすごいスピードのロケットに乗って、その素粒子を追い越しながら観察することが原理的には可能です。
すると、追い越す瞬間、あなたから見るとその素粒子は後ろに遠ざかっていくように見え、右巻きだったはずの回転が、逆の左巻きに見えてしまうのです。
つまり、質量がある素粒子は、見る人によって右巻きになったり左巻きになったりしてしまい、完全に区別することができないのです。
ここで、自然界に存在する4つの基本の力について紹介します。
それは、「重力」「電磁気力」「強い力」「弱い力」の4つです。
このうちの「弱い力」というのは、素粒子の種類を変えてしまう魔法のような力なのですが、ものすごく変な性質を持っています。
それは、「弱い力は、左巻きの素粒子にしか働かない」という性質です。
右巻きの素粒子には絶対に働かないのです。
これは物理学者たちにとって、とても頭の痛い問題でした。
なぜなら、もし素粒子に質量があるのなら、見る人によって右巻きになったり左巻きになったりしてしまい、どちらの性質も混ざってしまいます。
それなのに、弱い力は左巻きにしか働かないのです。
この矛盾を解決するためのアイデアはたった一つしかありませんでした。
それは、「素粒子は本当はすべて質量がゼロで、光の速さで飛んでいるから、右巻きと左巻きがはっきり区別できるのだ」と考えることです。
つまり、宇宙の素粒子は、もともとはすべて質量ゼロだったはずなのです。
それなのに、現実の素粒子には質量があります。
いったいなぜ、質量ゼロだったはずの素粒子が、質量を持つようになってしまったのでしょうか。
真空は空っぽじゃない!「質量」が生まれる瞬間。
もともと質量がなかった素粒子に、どうやって質量が生まれたのか。
この謎を解き明かしたのが、日本生まれの偉大な物理学者、南部陽一郎さんです。
南部さんは「自発的対称性の破れ」という素晴らしいアイデアを思いつき、ノーベル賞を受賞しました。
南部さんのアイデアを理解するために、まずは「真空」について考えてみましょう。
真空と聞くと、空気も何もない空っぽの空間を想像するかもしれません。
しかし、素粒子の世界ではそうではありません。
たとえば、水面に浮かぶあめんぼにとって、波ひとつない平らな水面は「何もない空間」のように感じられるでしょう。
しかし、水面の下には水がたくさん詰まっています。
同じように、私たちが「何もない」と思っている真空も、実は見えない何かがぎっしりと詰まっている状態なのかもしれないのです。
南部さんは、「超伝導」という現象からヒントを得ました。
超伝導とは、金属をものすごく冷やすと電気の抵抗がゼロになる不思議な現象です。
このとき金属の中では、反発し合うはずの電子同士がペアを組み、全員で一番エネルギーが低い状態に落ち込んで身動きがとれなくなる「凝縮」という現象が起きています。
南部さんは、これと同じことが宇宙の真空でも起きていると考えました。
真空の中には、素粒子とその反対の性質を持つ反粒子がペアになって、ぎっしりと詰まっている(沈殿している)と考えたのです。
さて、本来は質量ゼロで光の速さで飛べるはずだった素粒子が、この「ペアがぎっしり詰まった真空」の中を進もうとするとどうなるでしょうか。
素粒子は、真空の中に詰まっているペアに次々とぶつかってしまいます。
ぶつかるたびに、右巻きだった素粒子が左巻きに変わったり、左巻きが右巻きに変わったりしながら、あっちへ行ったりこっちへ来たりと寄り道を繰り返します。
一瞬一瞬を見ると光の速さで動いているのですが、寄り道ばかりしているため、全体として見ると光の速さよりもずっと遅く進むことになります。
光の速さよりも遅く進むということは、質量を持っているということに他なりません。
つまり、真空の中に素粒子のペアがぎっしりと詰まっているせいで、素粒子は光の速さで飛べなくなり、「質量」というブレーキがかかってしまったのです。
これを、難しい言葉で「自発的対称性の破れ」と呼びます。
宇宙が生まれたばかりのころは、真空は空っぽで、すべての素粒子は質量ゼロで光の速さで飛んでいました。
しかし、宇宙が冷えるにつれて真空に素粒子のペアが詰まり、素粒子は質量を持つようになったのです。
これが、質量の生まれる仕組みです。
陽子の中の小さな粒「クォーク」
南部陽一郎さんのアイデアは素晴らしいものでしたが、時代が進むにつれて素粒子の研究はさらにミクロの世界へと進んでいきました。
物質を作る陽子や中性子は、さらに小さな「クォーク」という素粒子が3つ集まってできていることがわかったのです。
クォークの存在を確かめるために、アメリカの研究所で長さが3キロメートルもある巨大な直線型の加速器が作られました。
この加速器を使って、ものすごいエネルギーの電子を陽子にぶつける実験が行われました。
陽子の中に電子の波を突き刺してみたところ、中から硬い粒にぶつかって跳ね返ってくる電子が見つかったのです。
これこそが、陽子の中に隠れていたクォークの証拠でした。
天才物理学者のファインマンは、この実験データを見て、陽子の中にはクォークが自由に浮かんでいるのだと見抜きました。
しかし、クォークにはとても不思議な性質がありました。
いくら陽子に強い衝撃を与えても、クォークを1個だけ外に取り出すことは絶対にできないのです。
クォーク同士を結びつけているのは「強い力」と呼ばれる力ですが、この力は電磁気力とは逆で、遠く離れようとすればするほどゴムひものように力が強くなるという性質を持っています。
そのため、クォークは絶対に一人ぼっちになることはなく、必ず複数のクォークと結びついた状態でしか存在できません。
このクォークの振る舞いを計算するためのルールを「量子色力学」と呼びます。
クォークには赤、青、緑という3つの「色」の性質があるため、このような名前がついています。
しかし、量子色力学の計算は、紙と鉛筆では絶対に解けないほど複雑で、気の遠くなるような計算量が必要です。
宇宙の空間と時間を細かな網の目のような「格子」に切り分けて計算しようとしても、変数の数が50億個にもなり、まともに計算するととてつもない時間がかかってしまいます。
そこで物理学者たちは、「モンテカルロ法」という確率を使った計算方法を編み出し、さらにたくさんのコンピューターをつないで同時に計算させる「並列計算機」を自分たちで発明しました。
日本の筑波大学のチームも、この分野で世界最速のスーパーコンピューターを作り上げました。
長い年月の努力の結果、スーパーコンピューターのシミュレーションによって、真空の中にクォークと反クォークのペアがぎっしり詰まっていることが計算で確かめられました。
そして、クォークが真空のペアにぶつかりながら進むことでブレーキがかかり、陽子や中性子の質量が生まれる様子が見事に再現されたのです。
私たちが感じている質量の約98パーセントは、この量子色力学の「真空の雑踏」によって生まれていることが証明されました。
これで質量の謎はすべて解けたように思えますが、実はまだ残された謎がありました。
質量の98パーセントは量子色力学の仕組みで説明できましたが、残りの2パーセントの質量はどこから来たのでしょうか。
陽子の中にあるクォークそのものが持っている小さな質量や、電子が持っている質量のことです。
クォークや電子は「強い力」を感じないため、先ほどの量子色力学の真空の仕組みでは質量を持つことができません。
そこで物理学者たちが考え出したのが、「ヒッグス粒子」と「ヒッグス場」という新しい仕組みです。
宇宙全体には、ヒッグス場と呼ばれる見えない海のようなものが広がっていると考えられました。
このヒッグス場は、ワインボトルの底のような特殊なエネルギーの形をしていて、宇宙が冷えるとその底のどこかに転がり落ちて固定されます。
これがもう一つの「自発的対称性の破れ」です。
クォークや電子は、このヒッグス場の海の中を泳ぐときに、ヒッグス場とこすれ合うことでブレーキがかかり、小さな質量を手に入れると考えられたのです。
このヒッグス場の存在を確かめるためには、宇宙の真空をものすごい力で叩いて、ヒッグス場から波しぶきのように「ヒッグス粒子」を飛び出させるしかありません。
そのためには、とてつもないエネルギーを作り出す加速器が必要でした。
スイスにある研究所では、地下に1周が27キロメートルもある超巨大な円形加速器を建設しました。
そして、陽子と陽子を光の速さ近くまで加速して正面衝突させる実験を何度も繰り返しました。
その結果、2012年の7月についにヒッグス粒子が発見されたのです。
世界中の物理学者が待ち望んだ歴史的な瞬間でした。
しかし、ヒッグス粒子が見つかったからといって、素粒子物理学がすべて完成したわけではありません。
ヒッグス粒子の質量は、物理学者が期待していた美しい理論が成り立つギリギリの重さだったため、物理学者は今、新しい理論を探すために頭を悩ませています。
また、ヒッグス場がなぜワインボトルの底のような都合のいい形をしているのか、クォークや電子の質量がなぜあんなにバラバラな値になっているのか、その理由は誰にもわかっていません。
さらに、宇宙には私たちが知っている物質の5倍もの量があると言われる「ダークマター」が存在します。
星や銀河の動きを観測すると、目に見えない巨大な質量を持つダークマターが確実にあることがわかっているのですが、その正体はまったくの謎です。
また、宇宙を飛び交っている「ニュートリノ」という素粒子の質量もものすごく小さく、その理由もわかっていません。
宇宙には、まだまだ私たちの知らない質量を持つ未知の素粒子が隠れているのです。
わかると楽しい物理の世界。
ここまで、質量がなぜ存在するのかという謎を追いかけて、素粒子のミクロの世界から宇宙全体に広がる真空の性質までを見てきました。
物質を細かく分解していくと、単に小さなブロックの集まりになるだけでなく、真空という「何もないように見える空間」が主役になってくることがわかっていただけたと思います。
素粒子は、真空の中に詰まっているクォークのペアやヒッグス場の海にぶつかりながら進むことで、光の速さで飛べなくなり、質量という性質を持つようになったのです。
この解説で紹介された素粒子の性質は、普段の生活で直接役に立つようなものではないかもしれません。
しかし、私たち人間を含め、この広大な宇宙のすべてのものが、こうした不思議な素粒子のルールによって作られています。
宇宙の片隅に生きる人類が、目に見えないほど小さな素粒子のことから、宇宙全体の始まりのことまで、これほどまでに深く理解できるようになっているというのは、本当にすごいことだと思いませんか。
もちろん、ダークマターの正体や、素粒子の質量がバラバラである理由など、まだ解き明かされていない謎はたくさんあります。
究極の素粒子がわかれば、時間や空間がどのようにして生まれたのかすらわかるかもしれません。
これらの謎がいつ解明されるのかは誰にもわかりませんが、何十年かかっても探し続ける価値のある大きな挑戦です。
わからないことがあるからこそ、科学の研究は終わることがなく、常に新しい発見の喜びに満ちています。
「知りたい」「わかりたい」という好奇心を持ち、少しずつ学んでいけば、世界の見え方が変わり、たくさんの「楽しい」が見つかるはずです。
みなさんも、この宇宙の不思議な謎解きに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
わかると楽しい、それが物理学の最大の魅力なのです。
★付録その1★音声考察★
★付録その2★大人向け論文★

質量はなぜ存在するのか
素粒子物理から見た物質の成り立ち
要旨
私たちの身のまわりにある物には、すべて質量があります。人の体、机、石、水、空気、地球、太陽にも質量があります。ふだんは質量があることを当然のように感じていますが、素粒子の世界を深く考えると、質量が存在することは実は大きな謎になります。現在の素粒子物理では、物質をどんどん細かく分けていくことで、原子、原子核、陽子、中性子、電子、さらにクォークなどの基本的な粒子にたどり着きます。
そして、それらがどのような力を受け、どのように結びついているのかを調べることで、物質の性質を理解しようとします。
本稿では、質量とは何か、重さとはどう違うのか、なぜ質量の有無が光の速さと関係するのか、さらに素粒子が本来は質量を持たないように見えるのに、なぜ現実には質量を持つのかを整理します。その中心には、自発的対称性の破れという考え方があります。これは、自然界の基本法則はきれいな対称性を持っているにもかかわらず、実際に現れる状態ではその対称性が見えにくくなるという仕組みです。
この考え方により、陽子や中性子の質量の大部分、そしてヒッグス機構による一部の素粒子の質量を理解する道筋が見えてきます。質量の謎を追うことは、素粒子物理全体を見渡すことでもあります。
序論
質量は、私たちにとってとても身近な性質です。体重計に乗れば自分の体の重さが分かりますし、重い荷物を持てば腕に力が必要です。石を投げれば勢いがあり、車が急に止まれば体は前に持っていかれます。こうした経験から、質量は「物がどれくらい動きにくいか」を表すものだと考えることができます。
しかし、質量と重さは同じではありません。重さは地球の重力によって生まれる力です。地球上では、質量が大きい物ほど強く地球に引かれるので、質量と重さはほとんど同じように感じられます。けれども宇宙空間のように重力を感じにくい場所では、物は重くありません。それでも質量は消えません。大きな物を押して動かすには力がいりますし、動いている物の向きを変えるのも大変です。つまり質量は、場所によって変わる重さではなく、物そのものが持つ基本的な性質です。
この質量の正体を知るためには、物質を細かく分けて考える必要があります。身近な物質は原子からできています。原子の中心には原子核があり、そのまわりを電子が取り囲んでいます。原子核は陽子と中性子からできており、陽子と中性子はさらにクォークという粒子からできています。物質の質量を調べるということは、最終的には、これらの粒子がなぜ質量を持つのかを調べることになります。
1 自然を理解するための出発点
科学は、自然のさまざまな現象を共通の法則で理解しようとする営みです。太陽が光ること、星が輝くこと、地球上で風が吹くこと、物が落ちること、雷が鳴ることなどは、一見ばらばらの出来事に見えます。しかし、それらは同じ物理法則のもとで起こっています。
たとえば太陽は、ただ燃えている火の玉ではありません。太陽の中心では、水素の原子核が強い圧力と高温のもとで結びつき、ヘリウムの原子核になります。この過程でエネルギーが放出され、そのエネルギーが光や熱となって宇宙へ広がります。地球に届く太陽の光も、この核融合によって生まれています。
このような太陽内部の現象は、直接見に行くことができません。それでも理解できるのは、地球上で調べた物質の性質や原子核の法則が、宇宙でも同じように働いていると考えられるからです。科学は、身近な実験から得られた法則を使って、遠く離れた宇宙の出来事まで説明しようとします。
物質を細かく分けていく考え方も、自然理解の重要な方法です。身のまわりの物を分解すると、いろいろな元素にたどり着きます。かつては元素が最も基本的なものだと考えられていました。しかし、元素は百種類以上もあり、それぞれ性質が違います。これほど種類が多いものを最も基本的な単位と考えるのは不自然です。そこで、元素はさらに小さな部品からできているのではないかと考えられるようになりました。
実際、原子の中には原子核と電子があります。さらに原子核は陽子と中性子からできています。陽子の数が元素の種類を決め、電子の配置が化学的な性質を決めます。周期表で性質の似た元素が縦に並ぶのは、電子の配置に規則性があるからです。つまり、複雑に見える元素の性質も、より小さな粒子の並び方と運動によって説明できます。
2 質量と重さの違い
質量を考えるためには、まず重さとの違いをはっきりさせる必要があります。重さは重力によって生じます。地球上で物を持ち上げると重く感じるのは、その物が地球に引かれているからです。月に行けば同じ物でも軽く感じられます。宇宙空間では、ほとんど重さを感じない状態になります。
一方、質量はその物がどれくらい動きにくいかに関係しています。たとえば氷の上をすべるカーリングの石を考えると分かりやすいです。石は氷の上をすべっていき、別の石にぶつかると相手をはじきます。このとき重要なのは、石が地球に引かれている重さだけではありません。石そのものが持つ質量によって、動き方やぶつかったときの結果が決まります。
物体の運動を考えるとき、運動量とエネルギーという量が重要になります。運動量は、質量と速度をかけたものです。質量が大きい物は、同じ速さで動いていても大きな運動量を持ちます。そのため、動いている向きを変えるのが難しくなります。エネルギーもまた、質量と関係しています。質量がある物体が動くと、運動エネルギーを持ちます。
このように質量は、物がどれだけ動かしにくいか、どれだけ運動の状態を保とうとするかを表す性質です。重さは重力がある場所で感じるものですが、質量は宇宙のどこにあっても物そのものに備わっています。
3 光の速さと質量の関係
質量の有無は、光の速さと深く関係しています。音は空気中を伝わる波です。空気の分子が押し合い、その変化が次々に伝わることで音が進みます。そのため、音の速さは空気の性質によって決まります。
一方、光は電場と磁場の変化が互いに関わりながら進む電磁波です。光の速さは、見る人がどのように動いていても同じになるという特別な性質を持っています。この性質を出発点として、特殊相対性理論が生まれました。
特殊相対性理論によると、質量を持つ物体は光の速さに達することができません。どれだけエネルギーを加えても、光の速さに近づくことはできますが、完全に光の速さになることはできません。光の速さに近づくほど、さらに加速するために必要なエネルギーが大きくなり、光の速さに達するには無限のエネルギーが必要になるからです。
逆に、光のように光速で進む粒子は質量を持ちません。したがって、質量があるかないかは、光の速さで進めるかどうかと結びついています。この点は、ふだんの生活ではほとんど意識しませんが、素粒子の世界ではとても重要です。
4 量子力学とスピン
原子や素粒子の世界を理解するには、量子力学が必要です。量子力学では、粒子は小さな玉のようなものとしてだけでなく、波としても考えられます。電子は原子核のまわりをただ惑星のように回っているのではなく、波として広がりながら決まった状態を作っています。
波は、原子核のまわりを一周したときにうまくつながらなければ安定した状態になれません。そのため、電子の状態は連続的に何でもよいわけではなく、飛び飛びの決まった状態になります。この仕組みによって、原子の性質や周期表の規則性が説明できます。
素粒子には、さらにスピンと呼ばれる性質があります。スピンは、粒子が自転しているような性質として説明されることがあります。ただし、実際に小さな球が回転しているというより、量子力学的な基本性質です。スピンには右巻きと左巻きの違いがあります。
質量がない粒子では、この右巻きと左巻きの違いをはっきり区別できます。なぜなら、質量がない粒子は光速で進むため、後ろから追い越して見方を変えることができないからです。しかし、質量を持つ粒子は光速より遅く進むので、見る立場を変えることで右巻きと左巻きの見え方が入れ替わることがあります。このことが、質量の問題と深くつながっていきます。
5 自然界の力と右左の違い
自然界には、重力、電磁気力、強い力、弱い力という四つの基本的な力があります。重力は質量を持つ物どうしの間に働く力です。電磁気力は電気や磁気に関係し、原子や分子の性質を決めるうえで大きな役割を持ちます。強い力は原子核の中で陽子や中性子を結びつける力です。弱い力は、粒子が別の粒子へ変わるような現象に関わります。
特に重要なのは、弱い力が右巻きと左巻きを区別することです。ふつう、自然法則は右と左を区別しないように思えます。鏡に映した世界でも、同じような法則が成り立つと考えたくなります。しかし弱い力では、左巻きの粒子にだけ働くという特別な性質があります。
もし右巻きと左巻きが同じ粒子の単なる見え方であれば、自然が片方だけを選ぶのは不自然です。そこで、右巻き粒子と左巻き粒子は本来別の粒子であり、質量がなければきれいに分けられると考えると話が整理されます。つまり、素粒子はもともと質量を持たないものとして考える方が、基本法則の形は自然になります。
しかし現実には、電子もクォークも質量を持っています。ここに大きな問題があります。基本法則から見ると質量がない方が自然なのに、実際の世界では質量があるのです。この矛盾を説明するために、真空の性質を考える必要が出てきます。
6 真空と自発的対称性の破れ
真空というと、何もない空っぽの空間を思い浮かべます。しかし量子論の世界では、真空は完全な無ではありません。粒子と反粒子が一瞬現れて消えるようなゆらぎがあり、さまざまな可能性が重なり合っています。真空は、何も起きていない場所ではなく、素粒子の性質を決める大切な舞台です。
ここで重要になるのが、自発的対称性の破れです。対称性とは、ある変化を加えても法則が変わらない性質のことです。たとえば、空間のどこで実験しても同じ法則が成り立つなら、空間の位置に関する対称性があると言えます。
自発的対称性の破れとは、法則そのものは対称であるのに、実際に選ばれる状態がその対称性を見えなくしてしまうことです。たとえば、丸い鉛筆を立てて倒すと、どの方向に倒れてもよいはずです。倒れる前はすべての方向が対等ですが、実際に倒れたあとは一つの方向が選ばれます。法則は対称でも、結果として現れる状態は対称ではなくなるのです。
素粒子の世界では、粒子と反粒子の組が真空の中に凝縮することで、右巻き粒子と左巻き粒子が混ざり合うようになります。この混ざり合いによって、もともと質量を持たなかった粒子が、質量を持つ粒子のようにふるまうようになります。これが質量発生の基本的な考え方です。
7 クォークと強い力
陽子と中性子は長い間、基本的な粒子だと考えられていました。しかし実験が進むと、それらの内部にさらに小さな構造があることが分かってきました。陽子や中性子は、クォークという粒子からできています。陽子は主にアップクォーク二つとダウンクォーク一つからできており、中性子はアップクォーク一つとダウンクォーク二つからできています。
クォークには電荷がありますが、その値は電子の電荷を基準にすると分数になります。しかし、分数の電荷を持つクォークを単独で取り出すことはできません。これは、クォークを結びつける強い力の性質によります。クォークどうしは、近い距離では比較的自由にふるまいますが、遠ざけようとすると力が強くなります。そのため、クォークを一つだけ取り出すことはできず、必ず複数のクォークが組み合わさった粒子として現れます。
この強い力を説明する理論が量子色力学です。量子色力学では、クォークは色と呼ばれる性質を持ち、グルーオンという粒子をやり取りすることで強い力が働きます。色といっても目に見える赤や青ではなく、クォークを区別するための物理的な性質です。
陽子や中性子の質量の大部分は、クォークそのものの質量を足し合わせたものではありません。クォーク自体の質量は、陽子や中性子全体の質量に比べるとかなり小さいです。では残りの質量はどこから来るのでしょうか。それは、クォークやグルーオンが強い力によって激しく動き、真空の中でクォークと反クォークの凝縮が起こることによって生まれます。つまり、私たちの体を作る物質の質量の大部分は、強い力と真空の性質から生まれているのです。
8 計算による確かめ
量子論では、起こりうるすべての過程を考え、それらを足し合わせる必要があります。これはとても複雑です。特に強い力のように、粒子どうしの結びつきが強くなる場合、簡単な式だけで答えを出すことはできません。
そこで使われるのが、スーパーコンピューターによる数値計算です。空間と時間を細かい格子に分け、その上でクォークやグルーオンのふるまいを計算します。この方法によって、陽子や中性子の質量がどのように生まれるのかを調べることができます。
計算の結果、クォークと反クォークが真空の中で凝縮するという考え方は、現実の粒子の質量を説明するうえで重要であることが確かめられています。これは、自発的対称性の破れが単なる考え方ではなく、実際の自然を理解するための中心的な仕組みであることを示しています。
9 ヒッグス粒子と残された問題
質量の話をすると、ヒッグス粒子を思い浮かべる人も多いです。ヒッグス粒子は、素粒子に質量を与える仕組みと関係しています。弱い力を伝えるW粒子やZ粒子、またクォークや電子のような粒子は、ヒッグス場との関わりによって質量を持つと考えられています。
しかし、ここで注意が必要です。私たちの身のまわりの物質の質量のほとんどは、陽子や中性子の質量です。そして陽子や中性子の質量の大部分は、ヒッグス機構そのものから直接生まれているわけではありません。ヒッグス機構が関わるのは、クォークや電子がもともと持つ小さな質量です。物質全体の質量の大部分は、量子色力学と強い力によって生まれます。
つまり、質量の起源を一言で「ヒッグス粒子」とだけ言うのは正確ではありません。ヒッグス粒子は確かに重要ですが、それだけで物質の質量のすべてを説明できるわけではありません。むしろ、ヒッグス機構と強い力による自発的対称性の破れの両方を理解して、初めて質量の全体像が見えてきます。
さらに、ヒッグス場そのものがなぜ存在するのか、なぜ現在のような形で対称性を破るのかは、まだ完全には分かっていません。これは今後の素粒子物理に残された大きな課題です。
10 暗黒物質とこれからの課題
ここまでの話は、私たちが直接知っている普通の物質についての説明です。しかし宇宙全体を見ると、普通の物質はほんの一部にすぎません。宇宙には、光を出さず、電磁気力ではほとんど見えない暗黒物質があると考えられています。銀河の回転や宇宙の構造を説明するためには、目に見える物質だけでは足りません。
暗黒物質が何でできているのかは、まだ分かっていません。もし未知の素粒子でできているなら、その質量がどのように生まれたのかも新たな問題になります。これまで説明してきたヒッグス機構や量子色力学だけで暗黒物質の質量まで説明できるとは限りません。
また、素粒子物理には他にも多くの未解決問題があります。なぜクォークや電子には何種類も仲間があるのか、なぜ力の強さは現在の値になっているのか、宇宙の始まりで何が起こったのか、重力を他の力と同じように量子論で説明できるのかなど、問いは尽きません。質量の謎を追うことは、宇宙全体の謎へとつながっていきます。
考察
質量の存在は、日常生活ではあまりにも当たり前です。しかし、素粒子の基本法則から見ると、質量は当然のものではありません。右巻きと左巻きを区別する弱い力、光速で進めるかどうかという特殊相対性理論の性質、粒子が波としてふるまう量子力学、真空が単なる空っぽではないという量子論の考え方が、すべて関係しています。
特に重要なのは、質量が「物の中に最初から入っている固定された量」としてだけ理解されるものではないという点です。陽子や中性子の質量の大部分は、内部にあるクォークの単純な合計ではありません。そこには、強い力によるエネルギーや真空の性質が深く関わっています。質量とは、粒子そのものだけでなく、粒子を取りまく場や真空との関係の中で生まれる性質なのです。
この考え方は、物質を細かく分ければすべてが簡単に分かる、という単純な見方を少し変えます。確かに、物質を分解していくことで基本的な粒子に近づくことはできます。しかし、その粒子がどのような場の中にあり、どのような対称性を持ち、その対称性がどのように破れているかを考えなければ、質量の本当の意味には近づけません。
結論
質量は、物が重いか軽いかという日常的な感覚だけでは説明できません。重さは重力によって生まれる力ですが、質量は物が動きにくいという基本的な性質です。そして素粒子の世界では、質量があるかどうかは、光の速さで進めるかどうか、右巻きと左巻きがどのように関係するかという問題と結びついています。
自然界の基本法則を調べると、素粒子は本来、質量を持たないものとして考える方がすっきりします。しかし現実の世界では、電子もクォークも陽子も中性子も質量を持っています。この謎を解く鍵が、自発的対称性の破れです。真空は空っぽではなく、粒子と反粒子の凝縮や場の働きによって、素粒子に質量を持たせる舞台になります。
私たちの体や身のまわりの物質の質量の大部分は、陽子や中性子の中にあるクォークとグルーオンの強い相互作用から生まれます。一方で、電子やクォークがもともと持つ小さな質量は、ヒッグス機構によって説明されます。したがって、質量の起源は一つの単純な答えではなく、強い力、弱い力、量子論、相対性理論、真空の性質が重なり合って成り立っています。
質量の謎を考えることは、物質の根本を考えることです。そして物質の根本を考えることは、太陽や星、宇宙の始まり、さらに未知の暗黒物質の問題へとつながります。質量はなぜ存在するのかという問いは、私たちがなぜこの世界に形あるものとして存在しているのかを考える入口でもあります。
科学はまだすべての答えを持っているわけではありません。それでも、自然を少しずつ理解していくことで、世界の見え方は大きく変わります。質量の謎を追うことは、自然の奥深さと、理解することの楽しさを教えてくれるのです。

