溶けてしまったディリュージョン
phase1
コンビニ袋にいたので、びっくりした。
指を差し出すとそそくさと逃げてしまったが、かわいいもんだな、壁にぶつかりながらちょこちょこと動く様は癒しそのものだった。
興味ないふりをすると、物陰から構ってほしそうにこちらを見つめてくる。
アルバイトリーダーとして労働力を浪費させられる身、毎日死ぬ気で働いており最早死んでいたわたしの日々に救いの存在が現れた瞬間である。
なぞの物体「じょん」は、それから毎夜23:59になるとこの部屋のキッチンに現れるようになった。
どうやらその時間帯はお腹が空くようで(わかるよ、夜中に限って何か食べたくなるよね)きゅらきゅらと鳴きながらわたしの小指に頬ずりしてくる。
同じくそこはかとない空腹感に揺らいでいたわたしの決意はそこでポキッと手折れるのだ。
誰もいない3LDKで食べる夜食なんて寂しすぎるから、意地でもそんなことはしなかった。潜在するわたしのこころの空腹を知ってか知らずか、「じょん」は絶えず現れる。
こいつ昼間何してるのかなーと気になり、たまに姿を探してみるものの、無駄に日当たりがよく明るいこの部屋には彼(彼女?)の影ひとつない。
「じょん」はほんとにかわいかった。
何に似ているとか、そういう表現をできない見た目をしている。というか、なんともまあぼんやりとした容貌だ。
滲む水彩のような姿、と形容しようかな…うーん、それさえもしっくりこない。
姿はそこに絶対あるはずなのに、ここにはいないような気もするし、でも何度目を擦り凝らしてもやっぱりいる、ここに「じょん」はいる。
自分より大きなサイズの金平糖と格闘している姿を盗撮してみたが、iPhoneのカメラで写すことはできなかった。
きゅらきゅら、きゅらきゅら、彼(彼女?)の鳴き声はこんなにも心地よいのに。
とんだ魔法のような物体だった。
もしかするとほんとに魔法かもしれない。「じょん」が来てくれるなら、と久しぶりに買った金平糖は甘くて美味しかったから。
「じょん」がいるなら、わたしもがんばって生きてみようかな。
明日はフル時間のワンオペか。しんどいな。それでも、なんとかする。
phase2
そんなわたしにも恋人ができた。
「じょん」にその話をすると、縋るような声を出しながらわたしの服の袖を引いてくる。
「大丈夫だよ、これからもちゃんといつもの時間にはおうちにいるよ」
宥めてやると鳴き声は明るげになり、金平糖の上で楽しそうに玉乗り。
きゅらきゅら、きゅらきゅら。
どこにもいかないでね、やくそくだよ。
そう言っているふうにきこえた。うれしいなあ。
いまや彼(彼女?)は立派な家族だ。
「じょん」が来てくれたおかげでザ・ブラックだったアルバイト先を退職して、ちいさいけれど暖かい会社で正社員となった。
23:59には必ず自宅にいたかったからだ。おかしなクレーマーの処理を押し付けられた結果帰宅時間が日を跨いでは困るのだ。
恋人は、新しい職場の社長の親戚。なんと、医師らしい。
職業に格差なんてないけど、子どもの頃は看護師さんに憧れていたから、そんな世界と近く深く繋がれるのが素直にうれしい。
やがて恋人との仲は急速に深まっていった。
仕事にプライベートに毎日忙しい中でも、「じょん」の存在ありきで世界は回る。
彼(彼女?)の影響で、金平糖はわたしの大好物になった。舌に乗せるとじんわり滲み、ゆっくりゆっくり溶けていく塊。
大切なもの好きなものに囲まれている人生って、いいな、しあわせだな。
「じょん」と出会った日のことを思い出す。
過去の絶望と未来の希望を込めて買った荷造り紐じゃ、きっと強度不足だっただろう。
それでもわたしにはそうするしか選択肢がないと思い込んでいた。
「じょん」が現れなかったら、わたしは今頃もうこの街にはいなかった。
止めてくれた、のかな。
とすれば、やっぱり「じょん」はわたしにとっての魔法だよ。
広すぎた3LDKはふたりのお城。これからは恋人と、子どもも増えていく。
生きていてほんとによかった。お母さん、お父さん、今わたしはしあわせです。おふたりも体調にお気をつけてお過ごしください。わたしより。
phase3
恋人と交際を始めてから3ヶ月目のある日、彼がはじめて我が自宅へ訪れることになった。
そういえば、こんなに仲良くなったのに「じょん」のことはペットがいるとしか伝えていない。
ちゃんと紹介してあげなくちゃ。だって、これから家族になるんだもんね。
23:59、いつもの時間に恋人をキッチンへと招いた。
「じょん」は最初怯えた様子で恋人を睨んでいたものの、「これから家族になるんだよ」と伝えると、きゅらんとひと鳴き。
「どう?かわいいでしょ?「じょん」っていうの」
わたしは恋人へ自慢をした。
恋人はわたしの指差す方をぼーっと見つめ、少しだけきょとんとし、「ああ」と納得した。
「ごめんね、すぐ気づかなくて」
わたしの肩を抱き寄せながら、肩まで伸びた細い毛先にキスを落とす。
「すごくかわいいと思う」
その感想をきいてうれしくなった。そう、そうなのだ。この物体を見てよくないイメージを持つ人間なんてそういないだろう。
よくわからない見た目も、どこから発してるのか理解不能な鳴き声も、すべてが愛しい。
猫好きが猫好きとしか結婚できないのと同じ、わたしは「じょん」のかわいさを認めてくれる人としか結婚できないと思う。
恋人が生き物(?)すきなタイプでよかった。
彼はつよくつよく、まるで背骨が砕けちゃいそうなほどつよくわたしを抱きしめた。
「絶対に【(わたし)】のこと、しあわせにするからね」
薬指にはダイヤの指輪。涙で霞む視界の端で、「じょん」がしあわせそうにきゅるきゅるした。
わたしの背に回った逞しい腕は震えていて、お医者さんでも一世一代のときくらいは緊張するもんなんだね。わたしは彼のこういうところが好きなのだ。すごくできる人なのにやさしくて人間らしい、そんな恋人と一緒になれてよかった。
phase4
結婚式に向けて、とりあえずこの荒れた肌をなんとかしたい。
プロポーズの次の日にはすでに挙がっていた式についての話題の中で、わたしは婚約者にこんな相談をしてみた。
元々肌荒れはひどかったのだが、婚約者はそんなわたしも愛してると言ってくれたので、そこまで深く気にとめていなかったのだけど。
すると、婚約者はひとつの提案をしてくれた。
薄く青みがかった錠剤を取り出すと、それをかわいい小瓶に詰めてわたしにプレゼントしてくれたのだ。
「これね、今うちの病院と提携している研究所で開発中のビタミン剤なんだよ。販売は始まったんだけどまだ知名度がなくてさ。もし【(わたし)】さえよければ、モニターになってみない?」
「え、いいの?」
「むしろこっちからお願いしたい!美容効果はかなり高いから結婚式までに肌つるつるになってると思うよ。1ヶ月試してみてから感想きかせて。その後継続したっていいし」
「やったー、ありがとう!」
婚約者がくれた錠剤は、毎晩就寝する1時間ほど前に飲むといいらしい。
「じょん」が来るのが23:59、その後寝るのが0:30くらいだから…逆算して23:30くらいに服用すればいいのかな。
「はやく元気になるといいなー」
婚約者が微笑む。その通り、この荒地と化した肌、さっさと元気になってくれなくちゃ。
しかしまあ、細かい気配りができる、わたしにはもったいないほどすてきな婚約者だ。
今日は「じょん」が喜びそうだからと、ちょっといい金平糖を買ってくれたし。
家族になって一緒に暮らすのが待ち遠しいな。
早速その日の夜に、もらったビタミン剤を服用してみた。
口の中で溶けるとちょっと苦い。慌てて金平糖を放り込んで誤魔化す。
ビタミン剤とはいえ薬とおなじだろうから、間違えて「じょん」が食べちゃったりしないように、机の引き出しに隠しておこう。
自分の夜食用に購入したカップ麺と一緒に、少し冷えるキッチンでわたしは「じょん」が現れるのを待ちわびた。
2022.1.13 じょんが来なくなった。
Last phase
2022.1.14
昨日はどこかに出かけていたのだろうか。出会ってから毎日現れていた彼(彼女?)が自宅に現れないのは少し、心配だ。
婚約者に相談してみると、「じょんくん?ちゃん?にももしかして恋人ができたんじゃない?」と冗談っぽく笑われた。
でもまあ、たしかにそうかな…。
「じょん」が一体いくつなのか、そんなお年頃なのか、そもそもなぞの物体に惚れた腫れたの概念があるのかわからないけれど、もし彼(彼女?)が恋人を連れてきたら快く祝福してあげよう。
ただし、ろくでもなさそうな奴だったら追い返すけどね。
どうなんだろう、「じょん」の仲間ってみんな金平糖すきなのかな。
たくさん準備しておかなくちゃ。
2022.1.20
「じょん」が来ない。
その穴を埋めるように、婚約者はいつでもやさしいことばをくれる。
あの日買った荷造り紐は、近々うちに越してくる婚約者の荷物を纏めるという本来の役割を果たしている。
最初のうちは「じょん」が来るのを朝方まで待っていたりしたけれど、最近は眠たくてその時間まで起きていられない。
「じょん」の声は特徴的だし、キッチンから離れていても鳴き声が聞こえれば絶対に気づくはず。
2022.1.22
「じょん」が久しぶりに帰ってきた。
こちらの顔色を窺うように遠巻きに見てくるので、婚約者からもらった金平糖を与えた。
ぴょこぴょことうれしそうに跳ねる「じょん」はやっぱり、かわいい。
今日はなぜか鳴かなかったので、危うく「じょん」が帰ってきたことに気づかずそのまま眠ってしまうところだったよ。
2022.1.23
今日も「じょん」と夜食をした。引越し間近の婚約者もいたので、家族仲睦まじく過ごした。
婚約者が「物は試し」と羊羹やチョコレートも買ってきてくれたが、やはり「じょん」は金平糖がいちばん好きらしい。
角砂糖ならどうだ、と与えてみると、くるくると喜んだ素振りを見せながら齧り付いている。
羊羹とチョコレートはとりあえず、わたしたちで頂いてしまおう。
「じょん」、ずっと一緒にいようね。
2022.1.24
そういえば、婚約者に渡されたビタミン剤を2日間飲むの忘れていた。
「じょん」と夜食したあとにハッと気づき、慌てて小瓶を取り出す。
舌に乗せると粉っぽくて苦くて、やはりそこは金平糖で味を誤魔化した。
これ、ちゃんと毎日飲まないと効果出ないのかな…。
うわあ、サボっちゃった。これだからわたしはダメなんだよ。こういうの、続かないんだ。
2022.1.25
今日は「じょん」が来なかった。
でも婚約者が一緒だから、大丈夫。
2022.1.31
ところで、今目の前にぼんやりと見えるなぞの物体はなんだろう。
ああ、そろそろ寝なくちゃ。明日は婚約者とほんとの家族になる日。
2022.2.13
夫が婚約者だった頃にくれた錠剤の感想を素直に伝えた。
たしかに肌はきれいになった。けど、やっぱり苦味がちょっと……。
そう申し訳なさそうに伝えると、夫は一言「子ども舌め」と呟きクスクスと笑った。
バカにしやがって!
不貞腐れながらいつもの癖で金平糖を口に入れた。今日の金平糖はいつものより脆くて、すぐに溶けて崩れてしまう。
これはこれで悪くないのかもしれない。
「怒るよ」と言いながら、わたしは夫に砂糖味のキスをした。
2022.3
なんでこんなにたくさん金平糖買ってるんだっけ……。
キッチン戸棚の一部がありとあらゆる種類の金平糖で溢れていた。
理由は思い出せないけれど金平糖は好きだ。
甘く溶ける思い出は滲む水彩のよう。
抜け落ちた過去のしあわせにぼんやりと思いを馳せると、「きゅらきゅら」と、何かの音がきこえた気がした。
なんの音だろう。でもなんだかかわいい音色だね。
ああ、ぼうっとしている暇はないや。旅行の準備をしなくちゃね。
いつからか飲み始めたビタミン剤は忘れずにカバンに入れておこう。
口直し用にそれと同じデザインの小瓶に詰めた金平糖も、ね。
2022.4
きみがくれたしあわせはここにあるから大丈夫。
誰に向かってそう呟いたのか自分でもわからないけれど、なんとなく言いたくなったから。
【溶けてしまったディリュージョン/完】
